第39話 パスポート

 日本に入るには、高度な技術をもつ民族や特別な事情があるなどしか許されなかった。天皇家は、鉄を造る氏族としてヤマト入植を認められた。二種の神宝は、天皇家にとってヤマトに滞在できる証明証のようなものだった。

 しかし、それでは天皇家の権威にかかわる。神器が、ヤマトから与えられたという成り立ちを天皇家に都合よく捏造した。つまり神器は、ニニギが天孫降臨の際に天照大神から授けられたものとしたのだ。

 さらにこの権威付けは、逆に不要になった神器を捨てられなくした。すでに天皇家は日本のトップに君臨しており、過去の

入管管理証など捨て去りたいものとなっていた。それらは祟ると称して伊勢や熱田に追いやっていたが、消し去ることができなくなった。

 天皇家は結局、不本意ながらこれらを神器として奉ることになってしまった。しかし、これはヤマトの豪族にとっては重要なことだった。天皇家は、ヤマト入植の経緯から物部氏に特別の配慮をはらい続けた。  継体天皇の即位までも天皇家は物部氏や大伴氏の意見を聞いて決定した。

 天皇家は、奈良時代までは重大な問題で独裁的な決断を下せなかった。聖徳太子が造ったといわれる十七条憲法の第一条、和をもって尊しとなせとはその精神がその時まで残っていたことを示す。だから出雲の従属国立場からの脱却という決定は天皇家が下したのでは決してなく、ヤマトの総意だった。それでも、ヤマトには出雲系の種族が多数いた。

 ヤマトは、彼らに出雲と敵対してもあなたがたのヤマトでの地位は変わらないと説得して実行にこぎつけたのだ。これは天皇家にとっては悲願で、ヤマトの臣の豪族

にとってもうれしいことだった。

 これが、崇神天皇の四道将軍の派遣である。これは皆がいう版図の拡大でなく、ヤマトが出雲からの従属的関係を離脱を他の国に通知して、その上友好関係を得ようと外交交渉したことを示している。

 こうしてヤマトは一方的な自立は果たし、友好国との交渉の段階に入った。

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