第38話 臣と連

 そしてこの両者によって、出雲振根は誅殺されてしまう。出雲臣らはこのことを恐れて出雲大神の祭祀を停止したが、のちに天皇が勅して祭祀を復活させたとなっている。

 しかしこの話は戦いの概要を簡潔にしただけで、実際は壮絶な戦いがあったと思われる。日本を二分するほどの戦いがあったことは天皇家にとって都合が悪く、強大な出雲も強大な敵も不都合だった。日本を統治していた出雲には同盟国、友好国が数多く存在した。ヤマトにも、出雲系の種族が多数存在した。ヤマトは土着民と難民、出雲系の種族が特に混在している地域で姓を別けていた。臣と連なのである。

 原住民は臣姓で、難民などは連姓である。葛城氏や蘇我氏は臣姓で、中臣氏や物部氏は連姓である。連姓の中臣氏は、関東出身で物部氏は日本海沿岸出身と推測される。連姓のなかで最も格上なのは、物部氏であった。

 当時日本を統治していた出雲領の出身で、物部氏は出雲の意向をヤマトに伝える役を担い、ヤマトの仕切り役をかって出ていた。物部氏は尾張氏や海部氏など同族といわれる氏族が多数存在するが、それらは出雲領出身などの出雲系の氏族という意味である。天皇家は、その物部氏の支配下にあった。

 ところで神器は、崇神天皇の御代では二種であったと考えられる。初代神武天皇が即位した際に、器が鏡と剣の二種であり、以後も特に玉について触れられた記述はない。

 しかし三種の神器は、代々継承される我が国の究極の宝物と記されている。しかも鏡は「同床共殿せよ」とアマテラスが厳命しているのにも関わらず、そうなっていない。それを記した記紀の時代には、すでに天皇と鏡は別々だったのに全く逆のことを記している。

 それはどういうわけなのか。

 つまり三種の神器と二種の神宝の由来は、全く関連がないということである。二種の神宝の由来は、今でいう入管管理証であった。

 当時は農作物は天候や害虫や作物の病気の影響が大きく、豊作になるのが難しかった。食料が安定できない理由から日本は外国人の流入を厳しく規制していた。

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