第35話 無用の長物、銅鐸
出雲は、このように日本の国々を物で支配していた。その中で最も人気の物品は、やはり鉄だった。
なんと言っても、鉄は武器にもなる。出雲は鉄の供給には慎重に吟味して、特にライバルになるかもしれない豊かな土地をもつヤマトには出し渋り、食糧難民まで押し付けていた。
古代日本では寒冷化で東日本や朝鮮は不作や凶作が続いたが、西日本は比較的その影響を免れて平穏であった。出雲は凶作が続く朝鮮で米を売り、鉄を独占的に仕入れていたが、鉄を米の供給先であるヤマトなどの国には出したくはない。
出雲は米の返礼を、平和の象徴だがなんの役にたたない物を渡すようにした。それこそが、銅鐸である。
銅鐸は、中国南部地方の物である。日本の米作りが中国南部から伝播したことは、銅鐸が米を作る場所と関係していることからもわかるのである。
当時は、まだお金のない時代である。彼らは、米の返礼として銅鐸を受け取った。そして銅鐸は、自分達が凶作になった時の保険証だったのである。銅鐸を遠い故郷中国のゆかりの物として、出雲は各国に渡していった。少しおかしいと感ずかれると、銅鐸を大きくしてごまかし、銅鐸は巨大変形していった。
流石に中国に近い九州では騙せず、それでも銅矛を返礼として渡していた。
しかし、天孫族がヤマトに入植するとこのシステムは崩壊する。誰しもが、銅鐸より鉄を欲しがった。各国は、出雲に米を売るより天孫族に米を売りたがった。
しかし、天孫族が米を直接買うことは禁じられていた。理由は、全て出雲を通すことが決まりだったからだ。
しかし天孫族は、嫁の実家という理由で鉄を米の代わりにおすそわけするという姑息な手を考えた。ヤマトの豪族はこぞって天孫族に娘を差し出し、親戚になろうとした。通い婚や外戚が強い力をもつのは、この時の名残なのだ。
欠史八代といわれる時代は、最期の開化天皇までは陵はヤマト南部である。つまりヤマト南部は、天孫族が鉄を融通する地域となっていた。
こうしてヤマト南部は、その鉄の農機具で豊かになる。
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