第34話 ヤマトの大きな変化
この下には、農機具などを造ったと考えられるが、天皇家の名誉にかかわるので故意に省いたのだろう。
天孫族のヤマトでの主な仕事は、鉄製品造りだった。そしてこのことが、ヤマトに大きな変化をもたらした。堤防工事や溜池などの灌漑設備や治水対策が容易にできるようになり、水害や干魃の被害が減り、農作業の労力も楽になり、人々の暮らしも安定し、生活も豊かになった。ヤマトの豪族は、快適な生活を保証する鉄製品を求めて率先して天孫族との交流を望んだ。そして、積極的に婚姻関係を結んだ。
初期の天皇が入彦という名がつけられているのは、天皇が入り婿になってヤマトの豪族と政略結婚をくり返していたからだ。 こうして天皇家はヤマトの有力な豪族と固い絆を造り勢力を蓄えていった。
鉄は古代は貴重品であり、天皇家は崇められ始める。その結果、肥沃な土地のヤマトの農作物も倍増して国力も増大する。米も余り、密かに東国に流通も行われ始めた。
ヤマトはその対価として、牛馬や海産物などを調達して豊かな生活になっていく。日本の吹き溜まりだったヤマトは、一転して裕福になり、日本の経済システムまで変えていった。それに大きな懸念を示したのが出雲だった。まだ鉄がそれほど普及していなかった古代は米作りは水害や干魃などの自然災害を防ぐことは難しかった。また品種改良も未熟で生産高もよくなく、害虫の被害も多かった。
つまり米作りは今よりずっと難しく、自然災害で不作や凶作も度々あり、全滅さえ起こりえた。古代には、保険の制度もない。食料は基本自給自足で、食糧難は村や国単位で解決しなければならなかった。争いや戦争は、食料の争奪が大きな原因だった。
この争いの調停役が、古代日本では出雲だった。出雲は余った米を集め管理して、凶作で食糧難の場所に届ける手続きを引き受けていた。また争いの元を断つだけでなく、流通も支配して色々な物品を売買していた。その物品を、米を仕入れた国や村に対価として支払っていた。
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