第29話 「三種の王器」
ところでこの神器は、代十代崇神天皇のころはまだ二種であった。初代神武天皇が即位した際に神器が鏡と剣の二種であり、以後も特に玉について触れられた記述はない。
しかし実はそれ以前にも三種の時代があってそれは別の国、中国の王朝のものであり、この三種の神器はその王朝にとって大切なもののはずである。この三種の神器という思想、システムの原型は古代中国に
あり、四千五百年前と非常に古く、しかも中国では失われた文明である。
それでも日本は、その文明の精神を受け継いでいる。銅鐸なども、この文明の名残といわれている。この文明は良渚文明といわれ、紀元前四千五百年前の長江の大洪水で消失、しかし彼らの一部が日本に流れ着いた可能性は多いにある。というのは、この王宮にあたる場所から大量の玉製品が発掘された。
発掘されたのは、玉を精密に加工して造られた「三種の王器」である。しかもそこには、古代道教の思想が体現されている。王権を象徴する三種の王器とは、玉棕、玉壁、玉鉞である。(玉棕)は、外型は方、内型は円という造りの筒型の王器で、王の権力を象徴する。
ここに「天円地方」の思想が、すでに見られる。天空は円形であり、大地は方形であるという哲学こそは、古代道教の宇宙観である。玉棕は、また銅鐸の形とよく似ている。四隅の外観には神獣が彫り込まれているが、四神すなわち青龍、白虎朱雀、玄武の原型であろう。(玉壁)は中央に穴の空いた円盤型の玉器で、天を象ったもので、富の象徴である。通貨の原型とされる。
玉鉞は斧の形をした王器で、軍事統帥権の象徴である。これら三種の王器が象徴しているものは「政治」「経済」「軍事」であることはいうまでもない。この中国の三種の王器は揚子江文明であるが、これに対して「鏡」「勾玉」「剣」は明確な、政治、経済、軍事ではない。階級と一般の人では、埋葬スタイルがまるで血統を示していることになる。
しかし副葬品は、揚子江文明の「三点セット」が共通して埋められている。そして近畿地方の古墳からこれらが出土するようになるのは、はるかにこの後三百年が経過しなければならない。
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