第19話 比売大神

そのため、記・紀をはじめ日本の古代の史書には日本を代表する聖山・富士山はでてこない。これは日本の聖山が、今と昔では全く違う意味であることを示しているのである。

またヒメ神が降りた御許山こそが、天孫降臨の地高千穂に近い場所と考えられる。つまり宇佐神宮は天孫降臨ていう天皇家にとってきわめて重要な場所である可能性が高いのだ。また宇佐神宮本殿は御許山聖山の参拝詣所機能だけなのか。

そうではない。ここには、きわめて重要な意味がある。宇佐神宮が鎮座する小椋山が、古墳であることは関係者には事実として知られている。そして小椋山山頂の本殿の下には、石棺が埋葬されている。誰もその石棺を開けたものはなく、学術調査の類も一切行われていない。しかし、この時代の九州北部の墓は甕棺である。

これは吉野ヶ里遺跡でも大量に発掘され、他の遺跡にも共通の特徴である。甕棺は南方系の習俗であり、石棺は北方系の習俗である。当時は、埋葬形態は民族や部族によって決まっていた。今のように、仏式や自然葬など埋葬形態を選択できることはない。葬儀が今より大事であった古代、埋葬形態を変えれのは死者に対しての冒涜だけでなく自分へのアイデンティティーの自己否定で耐えられない苦痛であった。

しかし宇佐は、北部九州の東南にある。最南端の宇佐が、なぜか北方系が埋葬方法なのだ。しかも石棺が、二之御殿の主でなければならない。二之御殿はいうまでもなく「比売大神」である。ここに眠るのはヒメ神で、ヒメミコは御許山で封禅を行い、死後は小椋山に祀られた。

そして、北方系の埋葬でその可能性は高いのだ。また、八幡神はよく託宣(お告げ)を行う神だったとされ、本来の八幡神についても託宣のなかで自らの出自も語っている。

「宇佐託宣集」という記録によれば、天平二十年に八幡神は「古へ吾れば震且国の霊神なりしが、今は日域鎮守の大神なり」と告げたという。

つまり以前は、中国の神だったというのだ。また「豊前国風土記」によれば「昔、新羅の国神、自ら度り到来して此の河原に住むり」と記されている。

こちらは朝鮮半島の新羅の神であり、海を渡って日本にやってきたという意味だ。

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