第16話 謎の多い神社
その地に天照族が新天地として与えられても原住民にはそのことを全く聞かされず、協力も求められなかった。原住民は、侵入してきた天照族に生活エリアを土足で漁られ、荒らされた。原住民にとって天照族は乱入者にすぎず、自分たちの生活を守るため防衛戦を敷き、侵入者と戦うしかなかった。
記・紀では、初代神武天皇の前後の記述に日向や豊後南部の土蜘蛛の掃討の話が数多く載せている。この話は、天照族の日向移住後の周辺を平定した記録なのです。天照族はこうして領土をえ、一応の安定を確保した。豊前の一の宮、宇佐神宮はこのことを記念して造られた神社と思われる。宇佐神宮は宇佐八幡宮とも称して本殿が三つ横並びに建っていて、それぞれに神が祀られている。
一之御殿 八幡大神(誉田別尊) 二之御殿 比売大神 三之御殿 神功皇后 全国の八幡神社の総本社でありその八幡神社の数は約四千社ある。
郵便局が、全国に約二千四百軒であるのに比べてもいかに多いかがわかる。宇佐神宮の建っている丘は、墳墓として整備した場合でそこに拝殿そして本殿がある。鮮やかな朱色の本殿に摂社末社も含めた壮大華麗な社殿群は、大分県宇佐市という辺境にあるのが不思議なほどである。
これだけのものを建設して、なおかつ千数百年にわたって維持管理してきたことは感嘆すべきであろう。宇佐の祭祀力は、それほどに特別であったと思わざるをえない。
道鏡が皇位をうかがった際にも、それを退ける神勅を宇佐神宮が発したのはあまりにも有名な歴史的事件だが、これほど象徴的な事件もない。
道鏡による皇位継承的未遂事件は、神護景雲二年のことである。すでに奈良時代も末であって、神仏ともに都を取り巻く大寺院は出来上がり宗教環境は完成していた。
それがなぜ伊勢神宮でなく、大神神社でもなく東大寺や飛鳥寺でなく宇佐神宮であったか、説明はない。
しかし説明がないということは、日本人なら誰でも知ってる常識だからだ。日本の固有の価値観やものの考え方が共有できていたからこそ、誰もが納得できる神社を選んだのだろう。
ともあれ、宇佐神宮は謎の多い神社である。
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