第11話 勝者の歴史

連は職の姓といわれているが、当時それほどの人間が特定の職業につけるほど裕福な生活できる環境でなかった。しかもヤマトは極端な鉄欠乏症に悩まされ、大規模開発が出来ず農作物の増産は難しい。諸事情を勘案すれば、ヤマトにこれほどの都は不可能である。

つまりヤマトは難民キャンプで、食料を西日本の各国から支援されて管理され、運営する場合だった

のだ。そしてこのヤマトの難民キャンプの情報を知って、自分たちも入植しようと考えるものが日向にいた。のちに天皇家となる天照族である。

彼らは新天地を求めており、ヤマトを目指したのはこのような事情だったのだ。天照族は日向に移り住んだが上手くいかず日本の新しい居場所を捜していた。天照族は用意周到に準備を調え、途中の中継地点にもお願いしてヤマトに入植したのだ。

記・紀では神武東征と勇ましく書かれているが、それは記・紀が勝者側の歴史書だからだ。

しかし、天照族のヤマト入植には反対する勢力がいた。物部氏の祖の義父長髄彦である。長髄彦は、兵を率いて天照族を出迎えた。天照族は孔舎衛坂(東大阪市日下)で長髄彦の軍勢の襲撃を受け手痛い敗北を喫し、神武の兄の五瀬命はここで負傷した。

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