第4話 崇神天皇の孫のヤマトタケル

だからこそ天業雲剣は、怨霊神となって祟りをなした。敗者が祟るのであって、勝者のスサノヲが謂われはないだろう。つまり天業雲剣は、別の誰かの依り代である。崇神天皇は、剣の祟りを鎮めるために大神神社を祀った。これは、天業雲剣がオオモノヌシの依り代以外にはあり得ないということだ。

要するに祟る神は、オオモノヌシである。「最古の神社」といわれる大神神社は、実は祭祀形態としても古式をとどめていて、多くの神社とは異なっている。拝殿はあるものの、その奥に本殿はない。拝殿の奥は、そのまま三輪山であって三輪山そのものが御神体なのである。そしてこの三輪山こそが、オオモノヌシの墓、御陵なのだろう。

しかし、何故天業雲剣がオオモノヌシの依り代なのか。このことは、重大な意味がある。それはヤマタノオロチが、オオモノヌシであることになるのだ。そして天業雲剣は崇神天皇の勅命によって、鏡と共に宮居の外に遷されることになる。その後、天業雲剣は数奇な運命を辿る。

崇神天皇の孫のヤマトタケルはその父景行天皇に命ぜられ出雲や熊襲を討伐し、戻る間もなく今度は東夷の征討を命ぜられた。この時、なぜか本来のルートから大きく外れて伊勢神宮へとおもむき、そこで叔母の倭姫命から天業雲剣(後の草薙剣)を授けられ、それを携えて東国へ出征したと記されている。

このくだりは、三種の神器の一つである草薙剣の由来を伝えるものであって重要なものだ。まず、なぜ始めの出雲・熊襲を征討する前に授けなかったのかという点だ。

一番始めの熊襲・出雲征討の前に佩刀するのが普通の順序だろう。最後の東夷の時だけに授ける理由は、なんだろうか。

ここで、もしヤマトタケルが受け取るという手続きをしなかったと考えてみよう。そうすると剣は、熱田へはいかない。つまり、鏡と共に伊勢神宮にそのまま鎮座していたことだろう。そして剣の名も草薙剣になることなく、天業雲剣のままということだろう。

しかし剣は、ヤマトタケルの佩刀として東国に向かい、草薙剣となった。

このエピソードは、決して読み流してはならない。この記述は三つの重大な意味、事実が記されているのだから。

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