第3話 ヤマタノオロチ

八尺勾玉は、八つの勾玉の一つ一つにいわれや歴史があるといわれている。八尺鏡もその形状、彫られている文言、製造場所や年月日などでいわれや歴史がわかるといわれている。草薙の剣も、多くの真実が隠されているはずである。記・紀では、天皇家がヤマトの指導者として書かれている。

しかし草薙剣は、天皇家はヤマトの豪族の一員の一つでしかも格下であったと語っている。ヤマトは、基本的に大化の改新まではヤマトの豪族の合議制が続いていた。何々王朝と言われたりしているが、拠点の移動はヤマトにおける天皇家の役割の変更による移動なのだ。宮の移転も首都の移転でなく、天皇家が遊牧していた時の風習である。継体天皇の即位が、天皇一族の合意でなく、物部氏や大伴氏の協議で決まったのも天皇家が豪族の一員だったから他の豪族の意向を無視できなかったことを示しているのである。

天皇家は、鎌倉幕府の北条氏と同じ立場だった。平群氏、葛城氏、物部氏など他の大豪族が滅びさり、格下だった天皇家が最終的に生き残り日本をしたのである。

天皇家は記・紀その歴史を捏造したが、草薙剣はその事実を語っているのである。三種の神器の一つである草薙の剣は、スサノヲの依り代ということになっている。

その由来を考えると、十握剣がスサノヲの依り代であれば合点がいくが、草薙剣(天業雲剣)だとすると理屈にあわない。スサノヲがヤマタノオロチを退治した際に、その尾から出てきたとしているが、それならばオロチを退治を成し遂げた十握剣こそがスサノヲの依り代として祀られるべきであろう。

スサノヲの佩刀・十握剣は「勝者の剣」であり、ヤマタノオロチの体内刀・天業剣は「敗者の剣」である。

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