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オリジナル」への応援コメント


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     こんばんは。

     環境(保護)活動家についての、根拠に乏しい批判がやや唐突に始まったときには、違和感を覚えましたが、作品全体を振り返って考えてみて、腑に落ちました。作品世界では環境保護活動が否定的に捉えられている → 自然環境や人間以外の生物を保護しようという意識が希薄 → 「人間さえ良ければいい」、「目先の金儲けさえ成功すればいい」という考え方が勝利を収めた世界 → 大抵の人間が人間以外の存在に冷淡 → クローン人間は「人間ではない」と定義されているから同情の対象にならない という世界観が示唆されていたわけですね。
     結末まで分かった上で読み返すと、

    「他人の思想とかイデオロギーに乗っかっている時点で思考停止か、思考能力が不足している訳だよ。自分で考えて行動出来ないと、金と言う価値そのものの力に流される」
    「兄ちゃんすげぇ。そんでもって、金のために変なことをする人間が本当に浅ましく思えて来た」

     という、これもやや唐突な会話も、主人公と弟の優さん自身に対する、強烈なブーメランになっていると理解できます。
     さかのぼって考えると、一時期は(今もそうかもしれませんが)「(人前で泥酔するのを避けたがる)女子大生が飲みがちなお酒」と言われていた梅酒を飲んで、

    「効くね」
    「そうだね。めっちゃ効く」
    「親父はこんなの毎日飲んで、よく生きていられるよ」
    「毎日やってたら、だんだん慣れるんじゃないかな」

     などと言い合っているのも、単にこの兄弟がお酒を飲み慣れていないだけでなく、精神的にも未熟であるということを効果的に示しているように思います。
     こういった諸点については、初見のとき違和感が強く、結末を読んでから納得感を得られたので、意表を突く要素ということで、楽しかったです。

     とはいえ、厳しいことを言いますと、他の部分は(僕個人としては)あまりしっくりきませんでした。
     真花さんも承知の上で書いているような気もするのですが、感想を述べる上でまず指摘させていただかなければならないのが、「クローンも人間であり、オリジナルの人間と同じように心もあれば尊厳もある」というテーマに着目するなら、本作は、ノーベル文学賞受賞者カズオ・イシグロ氏の『わたしを離さないで』と酷似しているということです。もっと言うと、このテーマは別にイシグロ氏の専売特許というわけでもなく、手塚治虫『火の鳥 生命編』で既に扱われています。1818年にメアリー・シェリーが世に送り出した小説『フランケンシュタイン』に登場する怪物は、クローン人間ではありませんが、科学技術によって人工的に創造された生命という点ではクローン人間と共通点があります。怪物の内面に深く踏み込む物語を書いたことで、シェリーはクローン人間にまつわる倫理的な問題を先取りしていたとも考えられます。以上の点を考えると、本作の主軸となっている題材は、少なくとも純文学の分野ではさほど新規性がないものだと言わざるを得ないように思います。
     もちろん、僕個人としては、カクヨムに「純文学」のタグをつけて投稿される作品が、必ずしも独創性に溢れている必要はないと思います。そんなことを求め始めたら、カクヨムライフが窮屈になってしまいます。「SFを語るなら最低1000冊読め」と言われていた時代もあるそうですが、カクヨムでSFを書いている人にいちいちそんなことを言うユーザーは害悪でしかありません。しかしながら、もし真花さんがクローン人間というテーマで純文学を書こうと志したのであれば、真花さんの独自色が出るように、もう少し文字数を増やしても良かったのではないかとは思います。

     文字数を増やした方が良いと考える理由はほかにもあります。僕個人の意見ではあるのですが、真花さんの他の作品にはそういう印象をあまり抱いてこなかったものの、少なくとも本作について言えば、全体的にやや駆け足で、所々不自然でさえあるように思います。
     個人的に最も気になるのは、両親が優さんを家に置いていたのはなぜかということです。この親曰く、優さんは主人公・潮さんの「スペア」、「場合によっては臓器とかを取ることも出来る」とのことですが、その目的だけ考えるなら、『わたしを離さないで』のように専門の施設で飼い殺しにしておくのが「経済的」な気がします。主人公の弟として家に置き、衣食住の世話を焼くのもそうですが、主人公と同じ高校にまで通わせる必要はないはずです。というか、そこまでしているなら、現代日本の我々が犬猫を可愛がるのと同じくらいには、情が移っていてもおかしくないと思います。話の筋に無理があるというよりは、辻褄を合わせるには文字数が少なすぎる印象です。主人公と優さんの境遇の違いや、優さんを使い捨てだと思っている両親の人間観などについて、もう少し丁寧に踏み込んで描写するなら、それで解消できる問題ではないかと思います。
     それから、これは多少メタ的というか技術面での批判になりますが、両親が優さんの死に対してドライなのを描きたいという事情は僕にも推察できるものの、さすがに両親に危機意識がなさすぎるのではないかと思います。
    「二人いれば大丈夫って思えるようになったのは、本当によかったわ」
     と言って家を出たにもかかわず、それから間もなく家に不審者が押し入り、危うく主人公が殺されるかもしれないところだったのですから、「ALSOKに抗議しなくちゃ」とか「玄関先に防犯カメラを設置しなくちゃ」とか考えるものではないでしょうか。優さんを失くした件についても、「潮のスペアとして健康に育つようにお金と手間をかけてきたのに、こんな唐突に『本体』が死ぬなんて……。臓器だけでも『回収』できないだろうか」とか、「潮のスペアをまた1から『飼育』しないといけないのか。勘弁してくれよ」とか、卑劣ではありますが、ドライに考えていればこそ、そういう損得勘定をしてショックを受けるものではないでしょうか。
     僕ごときが筋書きにまでごちゃごちゃ言うものではないかもしれませんが、たとえば、主人公と優さんが飲酒・喫煙の後に外出し、優さんだけが「通り魔(実は反クローン人間過激派)」に襲われて瀕死の重傷を負い、病院に担ぎ込まれる。優さんが意識不明で生死をさまよっていると、旅行中の両親が電話口で医者と話し、「優を治すより、潮のクローンを新しく作り直した方が安上がりなようですから、優は諦めます」などと発言する。主人公はショックを受けつつ、自分1人では優の治療費を払えず、優が死ぬのを傍観するしかない……といった筋書きにすれば、環境(保護)運動家の話で出てきたお金が云々という話とも対応しますし、梅酒を飲むくだりで兄弟の未熟さが描かれていたことを伏線として回収(あるいは活用)できたのではないかと思います。
     何にせよ、このテーマでちゃんと書くなら文字数はもっと増やした方が良かったのではないか、というのが僕個人の感想です。文字数が増えても読んでもらえるのかというのは、Web小説では難しいところですが、純文学を目指すなら、リスクを冒しても良かったのではないかと思います。

    作者からの返信

    あじさいさん

     コメントありがとうございます。
     コメントを読んでから、本編を読んでみて、確かにちょっとサラサラし過ぎているし、筋ももうちょっとあったなと思います。練りが足りなかったと反省しています。
     ネタやテーマに対して、必要な文字数と言うのがあると思っていて、書いた当時は適量と思ったのですが、今読み返すと全然違います。仰る通り、このテーマに必要な文字数はもっと多いと思います。
     そう言うことにアップする前に気付けるように努力しようと思います。

     勉強になりました。

     ありがとうございます。

    真花