第2話 ボート事故

 その日見た光景は、2,3日頭の中にあったが、一度消え始めると、そこからは早かった。

「できることなら、早く忘れたい」

 という気持ちが強く、

「忘れてはいけない」

 という気持ちよりも、

「忘れるなら今だ」

 ということで、早く忘れてしまいたいという言葉に吸い寄せられるかのような感覚だった。

「やっぱり、今の病院がいいわ」

 と思い、どんどん消えていくあの時の記憶に、次第に思い出す日々の生活が入ってくれて、忘れるのも、結構早かったのだ。

 翌日には、いつもの自分に戻っていたことだろう。

 同僚は、最初こそ、

「どうしたの? 顔色悪いわよ」

 と言われた。

「顔色が悪い?」

 などということを思いもしなかったみゆきは、それ以上構うこともない同僚に、

「意識しないようにしてくれている」

 ということを感じ、感謝したい気分になっていたのだ。

 おかげで、顔色もだいぶよくなってきたのか、すぐにいつもの状態に戻っていたのだ。

 たぶん、同僚も、

「この間のあの事故のことなんだろうな」

 ということは想像がついたが、あまり詮索するのもよくはないと思った。

 なぜなら、問題が精神状態によるものだということが分かったからに違いない。

 みゆきが元に戻ってからは、敢えて事故のことは話さなかった。

 入院患者に対しても、

「なるべく、余計なことは言わないように」

 というお達しがあったくらいだ。

 中には、一時的な記憶喪失に掛かっているような人もいたようだが、2,3日で、その記憶も戻って、

「事なきを得た」

 ということだったのだ。

 今では、

「普段の平和な病院に戻った」

 ということで、みゆきも、

「まったく思い出さない」

 ということはなかったが、思い出しても、気分が鬱になったりするようなことはなかったのである。

 そんなことを考えていると、その患者が少しして、

「本当に、この人、記憶を失っていたなどということがあった患者さんなのかしら?」

 と思うのだった。

「みゆきさん。僕はいつまで入院していればいいの?」

 と、看護婦のことを名前で気軽に呼んでいるこの患者は、まだ若い子で、高校を卒業してすぐに就職してきた、新入社員という感じだった。

 会社から、見舞いに来た人は、本部の総務部長さんということで、本部は離れているので、当然のことながら、ケガ一つしていないのだ。

「この人本当に心配して見に来ているんだろうか?」

 と感じるほど、その他人事という雰囲気が伝わってくる。

 しかし患者の方は、

「大丈夫です」

 といって微笑んでいる。

 爆発の原因はどこにあるか分からないが、ケガをした従業員がいるのに、へらへら笑っているのを見ると、腹が立ってくる。

 みゆきはなるべく腹を立てないようにしながら、

「本当に困ったものだ」

 という感覚になっているようだ。

「けがや病気は、しょうがない」

 と最初から思っているとすれば、この総務部長に対しても、複雑な気分になるのは仕方がないことではないだろうか?

「お見舞いありがとうございます」

「早くよくなってくださいね」

 という、ベタな会話に、どれだけの意味があるのか、正直分からなかったのだ。

 そんな危険な爆発事故というものも、そんなにしょっちゅう起こるものではない。普段は、平和な街なので、入院もそんなにはいないということで、ちょうどいまくらいが、ちょうどいいくらいの入院患者であった。

 みゆきの住んでいる、K市というのは、県庁所在地から、電車で約40分くらいであろうか? 十年くらい前には、このあたりを新幹線も開通したので、約15分くらいではないであった。ただ途中にもう一つ駅があり、その駅とがかなり近いので、

「新幹線も、あっという間なので、スピードが出せないのではないか?」

 と感じるほどだった。

 実際に、直線距離で平野を走っているので、晴れ上がった日は、

「向こう側の駅が見えるかも知れない」

 と思うほどだった。

 ここの都市は、人工が、40万人くらいだったか、県内で、3番目の規模を誇る都市だったのだ。

 ここは、意外と昔から芸能人やミュージシャン出身者が多く、それで知られている場合も多かったりする。ちょっと北に行くと、山脈のような山々が聳えているが、そこから、数キロ先の市内からは、大きな平野が広がっていて、この街を、

「県を代表するほどの都市」

 に仕立て上げたのは、市内を流れる大河川があればこそであろう。

 ここは、夏になると、河川敷での大花火大会も有名で、本来は、近くにある全国でも有名な神社に奉納するための花火だったというから、

「歴史ある街」

 といってもいいだろう。

 戦国時代にも、この街が戦場となることはあまりなかったが、まわりにある城では、大きな戦いもあったようだ。平野部のため、戦国時代のような山城が作れないこともあったが、そもそもこのあたりも土地は、海抜がマイナスになるくらいに、低かったりする。

 だから今では、

「異常気象による水害」

 に見舞われたりするのだが、昔は織豊時代の近代城郭が作られるようになると、

「水濠のお城」

 が多くなったことで、このあたりも、大きな城が築かれたりしたものだった。

 だが、江戸時代になって。

「一国一城令」

 などというもののせいで、せっかくの城を廃城にしなければいけなくなった。実にもったいない話であった。

 そんなK市であったが、近くには、ケミカル工場が多かった。特に、タイヤ関係では、日本でも有数の、いや、かつては世界にも名前が売れた会社の本社があったりすることもあって、

「攻城の爆発などという問題がまったく起こらない」

 ということはないだろうと思われていた。

 ただ、最近は、防犯や爆発しにくいような材料が使われるようになったことで、大きな問題は起きなくなっていた。それだけに、警察の方としては、

「これは事故というよりも、誰かがわざと爆発させた事件」

 ということではないかということで、事件と事故の両面から、捜査を行っているのであった。

 そんなことは警察が考えることであるが、みゆきは、兄のことがあったので、

「どうせ、警察なんてあてにならないわ」

 と、思っていた。

「兄だって、ちゃんと警察が捜索願いにしたがって捜査してくれていれば、死なずに済んだかも知れないのに」

 と思うと、たまらなく悔しかった。

 しかし、もっといえば、

「警察というところは、捜索願じゃ動かないよ。事件性がなければ、まず動かない。たとえば、何かの事件の重要参考人だったりというれっきとした、警察が動くだけの理由がなければ動かないよ」

 と幼馴染の新開はいうのだった。

「もし、お兄ちゃんが、遺書を残していれば?」

 と聞かれた新開は、

「微妙なところだけど、よほどその遺書に信憑性がないと動かない気がするな」

 という。

「そんな、遺書が残っているだけでも、自殺を考えている人がいるという証拠じゃない。それなのに、無視するというの?」

 と聞くと、

「そうだね、その遺書だけでは動かないかお知れないね」

 というので、みゆきは落胆なのか、怒りなのか、

「そんなバカな」

 と、いかにも本音を漏らしたのだ。

「警察というところはそういうところだよ。どんなに切羽詰まっていても、上からの命令がなければ動けない。捜査本部の決定に逆らうことは、管理官であっても許されない。そんな堅物の塊のようなところさ」

 というのだ。

「まあ、それだったら、お兄ちゃんが見殺しにされたわけも分からなくもない」

 と感じた。

「警察どころか、国や自治体が、そんな感じじゃない。どうせ皆、自分たちの保身や、利益のためなら、国民なんてどうなってもいいとしか思っていないさ」

 と新開はいう。

 今までであれば、

「そんな、国や自治体は、私たちのために動いてくれてるわよ」

 というのだろうが、兄のことがあって、

「そんなことは、茶番でしかないんだ。国や自治体を信じるのは、本当に、世間を知らない頭の中がお花畑の人だけなんだ」

 と思うようになっていた。

 それを、

「大人になった」

 であったり、

「逞しくなってきた」

 ということになるのだろうが、まさにその通りであろう。

 だから、このF県にしても、県庁所在地である、F市の市長にしても、以前流行った、

「世界的なパンデミック」

 の際に、その対応が、国レベルで、ズタボロ状態であったため、ネットではボロクソに言われていた。

 もっとも、一番ひどかったのが、国家だったので、

「さすがに、政府ほどひどいことはないだろう」

 と思ったが、

「しょせんは、政府と同じじゃないか」

 ということで、少しは希望を持っていた自分が恥ずかしかったくらいである。

「あの時のパンデミックでは、最初こそ、あれだけ国民の自由を縛って、人流抑制などと言って、感染拡大にシビアだったが、なかなか正体もつかめない。経済団体からは、経済がまわらない」

 といって、急き立てられるので、国家も別の舵を切った。

「だいぶ収まってきたので、行動制限をしない」

 と言い出して、

「表ではマスクもいらない」

 などというバカなことを言い出したのだ。

 それで経済を回すというのだから、

「ここまで政府がクズだとは思わなかった」

 といってもいいだろう。

 経済を回すとしても、それは、

「感染対策をしっかりしたうえで」

 であれば、100万歩ゆずればいいかというくらいであるが、それずらしないのだから、

「政府は、国民が死のうが生きようが関係ない」

 と言っているのと同じではないか。

 結果、

「経済もなかなか景気が戻ってこないし、感染も収まらない」

 という中途半端なことになるのだった。

 そもそも、パンデミックが起こる前から、ずっと下火だった経済が元に戻るわけではない。

 そもそも、

「国家がいう、元に戻るの元とはどの時点なのだろう? パンデミックになる直前の最低だった時期をいうのだろうか? 確かに、最低のさらに最低のその底辺にいる今であれば、パンデミック前に戻ったところで、どうしようもない。もう一度感染が爆発すれば、誰も表に出なくなってまた最初に戻るだけだ」

 ということである。

 つまりは、

「中途半端なことしかできないのならしない方がいい」

 ということになり、結果、

「無能な政府はいらない」

 ということになり、

「自分たちの保身しか考えず、国民なんて、どうなってもいい」

 と思ってる政府ではないか、

「元々、あってもなくても、同じことか? ただ、存在しているだけでも、税金がやつらに、食いつぶされるだけではないか」

 そして、

「あんな政府は、なくなればいい」

 と言っていることを、いかに国民に分からせる人が出てくるかということであるが、コメンテイターも保身があるので、思っていることを口にできないジレンマもあることであろう。

 ただ、

「世界的なパンデミック」

 というのは、そんな状況ではないのだ。正直、

「今の政府の言いなりになっていれば、確実に、国家が滅びる」

 ということである。

「国破れて山河在り」

 という状態になることであろう。

 昔の大東亜戦争などは、

「国土が焦土」

 と化していたが、今度のパンデミックの場合は、

「国土が荒れ果てるわけではないが、人がバタバタと死んでいく」

 という地獄絵図が、描かれるのだ。

 そう、それこそ、昔の飢饉のように、苦しみながら、人がどんどんのたうち回って死んでいくということになる。

 それを、本来であれば、防がなければいけないはずの国家が、早々に、

「国民なんか、どうなろうが知ったことか」

 という政策しかしていないので、本当に、今の世の中が、

「人がバタバタと死んでいき、自分たちに対して、国民が暴動を起こす自体になって、甘かったと思った」

 としても、もう遅いということだ・

 もっとも、今の政府の人間が、

「この期に及んで、そのことにすら気づかなかったり、気付いたとしても、知らんぷりをするというのであれば、最初から、この国家は終わっていた」

 といっても過言ではないだろう。

 そんな国家に成り下がったとは思いたくないが、

「これなら、大日本帝国の方が、もっと国民のことを考えていたかも知れないな」

 と思う人もいるかも知れないと思うほど、今の政府は、自分のことしか考えていない。

「しばらく選挙がない」

 ということで、好き勝手やっているやつが、ソーリなのだから、本当に終わっているといっていいだろう。

 とりあえず、少し、

「パンデミックも収まりかけてきたかな?」

 と思って、国民全員、いや、政府が気を抜いてしまったことで、さらに感染が爆発してきた。

 しかし、政府は、もう行動制限をしようとしない。自治体も同じだ。

「経済を回すため:

 などというトンチンカンな言い訳をしているが、要するに、

「行動制限を行うために、出さなければいけない補助金を出したくない」

 ということなのだ。

「いやいや、出したくないのではなく、金がない」

 といいたいのだろう。

 しかし、それだっておかしなもので、これだけ高額な税金を取っておきながら、

「金がない」

 とはどういうことか?

 そもそも、税金というのは、

「こういう人民が困っている時に使うためにあるのではないか?」

 ということである。

 じゃあ、

「そのための金はどこに行ったのか?」

 ということである。

 つまりは、それこそ、どこかの誰かの懐に入っているということであろう。

 それは、特権階級の連中なのか、それとも、国会議員の、

「お偉い先生方」

 なのだろうか?

 しょせん、今の世の中、

「庶民にとって、いいことなど何もない」

 と世界になっているのだ。

 考えてみれば、

「国民の義務である、労働でコツコツ貯めた金を、さらに義務である税金として、我々は収めているわけだが、政治家は、その金で食っているわけ」

 ということである。

 昔から、年貢を領主におさめて、それを給料として支給される武士が、治安を守ったり、するのではないだろうか? 昔はその治安というものの考えが違っていたことで、問題もあったが、一応、幕府や奉行などは、キチンと国民生活の安定を考えていた。

 しかし、今は、自由国家になったにも関わらず、国民に義務は果たさせて、その甘い汁を吸いながら、国民を見殺しにしようというのだから、かつての日本の体制の中でも、最低最悪なのではないか。

「自由で平和な国家」

 という言葉に騙されて、政府に目くらましにあっているというのが、今の世の中なのである。

「そう、あいつらは、こともあろうに、国民が老後の保障として、積み立てていたものを、管理していたはずなのに、ずさんな管理しかしていなかったので、消してしまったのだ」

 それが、十年前にあった、

「消えた年金問題」

 である。

「そんな一昔前のことを言い出してどうする?」

 という人もいるかも知れないが、

「世の中には、忘れてもいいことと、決して忘れてはいけない。後世に残さなければいけない教訓がある」

 というものだ。

 それが、

「大東亜戦争の悲劇」

 であり、その中でも、

「原爆投下」

 という事実である。

「唯一の被爆国であり、しかも、その日本が、原水爆禁止条例なるものに、反対とは、どういうことなのであろうか?」

 さすがに、

「国民なんか、どうなってもいい」

 と思っている政府の国だけのことはある。

 しかも、もっと言えば、今のソーリは、その、

「史上初の、実践で投下された核兵器が使用された都市出身のではないか」

 ということである。

 本来であれば、

「私の政治生命を賭けて、再度、核兵器禁止条例に入るように努力する」

 といっておしかるべきではないか。

 あんなソーリの命などどうなってもいいが、

「国家のためにならないのなら、死んだ方がマシだ」

 と思っている人はたくさんいることだろう。

 とにかく、今の政府は正直言って、

「国民を助けてくれる」

 などということはない。

 昔であれば、

「国民は、天皇陛下のために命を賭すのが当たり前」

 ということで、すべてを、

「天皇のため」

 ということにしてきた。

 それはそれで説得力があったが、今の政府は、一体国民に、

「何のために死ね」

 といっているのだろう。

 今の政府は、頼りなくて、何もできないだけだから、

「だったら、何もするな」

 とでもいえばいいのだろうが、増税しようとしたり、国葬に値しない元ソーリの国葬を、国民の反対を押し切って、国民の税金を無駄遣いしたりと、

「そもそも、増税したいのなら、その国葬分を当てればいいじゃないか」

 ということであった。

 国民には、増税と言っておいて、国民から吸い取った年貢、いや、もとい税金を、国民が反対しているのに、強引に使うのだから、

「何を考えているんだ?」

 ということである。

「無能で何もできないソーリなんだから、出てくるな」

 というのが、国民の代表する声ではないだろうか?

 本当であれば、同じ党の

「良識ある人」

 の集まりなどが、

「ソーリ、もう少し国民の声を聴いてください」

 と進言するか、

「あなたにはついていえない」

 と造反してもいいのではないだろうか?

 昔の重鎮のように、

「力のある国会議員でもあるまいに、それだけ、党の力全体が、機能できないほどに落ちぶれてしまったということなのだろう」

 こういう、政府批判であったりをし始めると、

「数日間徹夜してでも、いくらでも文句は出てくる」

 という人もたくさんいることだろう。

「今までの重鎮も皆引退したり、死んでしまったりしたので、党全体が、腑抜けになってきたのだろうか?」

 と思われても仕方がない。

 確かに、昔の重鎮の声も聴かなくなった。

 もっとも聴いたとしても、

「悪評で名高い連中の名前しか出てこないだろう」

 ということだ。

「党をぶっ潰すといって、ソーリになったが、やったことは、今の荒廃した国家の元を作っただけの、人気だけのソーリ」

「疑惑に塗れて、いつも都合が悪いと病院に逃げ込むというソーリ」

「年金を消したくせに、口だけはいつもいっちょ前だった失言大魔王といってもいいという元ソーリ」

 こんな連中が、党を仕切っていたのだ。

 極悪人だらけではないか。

 そこに、四天王として、今のソーリが入るかどうか疑わしいところだ。

 なぜかって?

 それは、今のソーリがそれだけの器ではないからである。

 力もないくせに、ソーリになった。つまり、ソーリの器でもないくせに、のさばろうとするのは、それこそ、そのしわ寄せが国民に行くということで、

「どうして俺たちがあいつの海外での人気取りのために、割を食わなければいけないんだ?」

 ということになるであろう。

 今の政治を考えると、ついつい文句が止まらなくなってしまう。

 とりあえずは、

「同じことを考えていて、賛同してくれる人間が多いだろうということに間違いはないのだ」

 ということは、胸に止めておこう。

 そんな時代であっても、K市は、

「市民と向き合ういい都市」

 であった。

 もっとも、

「他の都市にひどいところが多すぎるので、少々普通であっても、

「まるで、神様のような街」

 と呼ばれるのではないだろうか。

 そんな当たり前の都市においては、市長を始め、

「我々は、市民のために、一生懸命にやっているだけ」

 ということで、まるで言い訳のような、白々しいセリフを吐かないことだけでも、信憑性があるというものだった。

 そんな時代において、みゆきの病院も、医療従事者として、他の街と同じような、偏見や迫害がなかったわけでもない。

 同じ看護婦仲間の人で、旦那と子供がいる人だったが、

「私が医療従事者ということで、旦那が会社で、子供が学校で迫害を受けるんです」

 という。

「どういうことなんですか?」

 と聞くと、

「伝染病が移るから、会社や学校に来るなって言われるそうなんですよ。私は、病人のために一生懸命にやっているのに、そんな仕打ちを家族が受けるなんてね。本当なら、

「頑張ってもらってありがとう」

 と言われてしかるべきなのに、何で、こんな仕打ちを受けないといけないのかと思うと、正直、

「なんで、私だけって思っちゃいますよね」

 というではないか。

 確かにそうだ、彼女が悪いことをしたのであれば話は別だが、看護という専門的なことができるだけに、本来なら重宝されるべきなのに、迫害をうけるくらいだったら。

「人を助けたりしない」

 と自分だったら思うだろう。

 それでも、人を助けるために頑張るというのは、それだけ律義な人だということになるのであろう。

 そんなことを考えると、

「人間なんて、都合よくしか考えられないんだろうな」

 と悲しくなってくるだろう。

「私たちが看護しないと、誰がするというのか、私たちは使い捨ての駒というわけではないんだ」

 と言いたいのだろう。

「本当であれば、今年は、子供も学校に入学して、家族でどこか、記念に旅行にでも行こうと思っていたんだけど、ここまで精神的に家族全員が痛めつけられると、世の中を呪いたくなる気持ちになるのも、無理もないことですよ」

 と、先輩看護婦はいうのだった。

「そういえば、昔、エイズが流行った時も、かなりいろいろな差別があったと言いますよね?」

 と彼女は言った。

「あの頃から、医療従事者には、こういう差別があるということを子供心に感じていたんだけど、どうしても、看護婦になりたいという夢を捨てきれずになったのに、いまさらあの時の思いを思い出さされるとは思ってもみなかった」

 と、彼女は続けた。

「とにかく、世間では、知らないことを恥という風潮はなくなってきたのかしらね? 少しでも、その思いがあるのであれば、もう少しでも、勉強するものだと、私は思うんですけどね」

 という。

 彼女は、相当言いたいことが溜まっているようで、その思いがあるから、意地でも看護婦になったのかも知れない。

「私が言いたかったことは、もっとたくさんあるんだけど」

 と言ったのは、

「本当にこんな時代になるなんて、思ってもいなかったからなのかも知れない」

 と感じるのだった。

「今回は、エイズとは明らかに違うけど、病気の正体が分からない時は、どんな病気でも、悲惨な思いをする人がいるということになるに違いないわ」

 というのだった。

 その日のみゆきは、かつての兄のことを思い出していた。

「そういえば、子供の頃、近所の子供に苛められていた自分を庇ってくれて。そんなお兄ちゃんに憧れて、私も強くなろうと思ったんだっけ?」

 ということであった。

 いじめっ子に苛められていた自分を助けてくれるところまでは、どこにでもいるお兄ちゃんだったのだが、

「俺が助けてあげられるのも、限界があるんだぞ」

 と言われ、正直、最初はゾッとした。

「助けておいて、このセリフはないでしょう」

 と思ったのだ。

 確かに、大人になれば、お兄ちゃんのセリフの意味が分かる気がした。

「ライオンの母親が、子供を千尋の谷に、落として、這い上がってきた子供をかわいがる」

 というような話なのだろうが、

「じゃあ、這い上がれなかった子供は見殺しなのかい?」

 ということであり、いくら、弱肉強食の世界であっても、それはむごたらしい気がした。

 もっとも、一番むごたらしいのは、人間かも知れない。

「若気の至り」

 で、セックスして、できた子供をどうすることもできず、そのまま生んだはいいが、育てられない。

 そんな状態から、

「コインロッカーベイビー」

 などというのが、社会問題になったことか。

 まさかとは思うが、

「やるだけやって、もし子供ができれば、コインロッカーに入れちゃえばいいんだ」

 と思う人だっていたのかも知れない。

 それだけ、命というものを考えていないというのか、確かに、生まれた後には、必死で考えて、

「このまま不幸になるのだったら、コインロッカーに」

 ということであるが、だったら、なぜ、生まれ落ちる前に始末をしなかったのか?

 ということである。

「いやいや、途中から下ろせなくなる」

 というが、

「一体いつだったら、いいというのか?」

 ということだ。

「この時期までは、いいけど、ここから先はもう下ろせない」

 というが、それは、何を基準に行っているのか?

 ひょっとすると、

「ここで下ろすと、子供が産めなくなるなどという問題が生じる」

 ということであったり、

「母体の側に問題ができる」

 ということだという、母体側の問題だったとするならば、ゆゆしき問題ではないだろうか?

 というのも、

「そもそも、そんなことをするやつには、本来なら、不妊手術を施すくらいが当たり前ではないか?」

 と思う。

 自分の勝手な快感を得たいという思いで、子供を作り、下ろそうと思えば下ろせるタイミングがあったにも関わらず、結局産んで、育てられないといって、子供を殺すのだ。

 それこそ、

「何のために産んだんだ?」

 ということになる。

 殺人に問われるのは当たり前のことであり、

「もう、二度と子供が作れない罪に処するくらいが、まずは前提条件となるのではないか?」

 と思うのだ。

「動けない子供で、しかも自分のものだから」

 などという思いを持っているとすれば、とんでもないことだ。

「もし、これが自分だったら」

 と思わないのだろうか?

 人間、ここまでくると、なかなか自分に置き換えて見ることは、決してできないことであろう。

 兄は、さすがにそこまで非情な人間だとは思っていなかったが、

「子供の自分に、どうして、そんなっ仕打ちをするんだ?」

 と思った。

「お兄ちゃんだって、私よりも年上だけど、まだ、子供なのに」

 とも思った。

 だが兄の、妹が見て、

「信じられない行為」

 というのは、その時だけだった。

 それからも、みゆきは苛められることもあったが、その時は、兄がさっと出てきてくれて助けてくれた。

 その時は、最初に言っていた、

「限界」

 という言葉を一言も言わずにいてくれたので、

「お兄ちゃん、あの時のことを、覚えていないのかしら?」

 と感じるほどだった。

「そのうちに聴いてみたい」

 と感じているうちに、みゆきも、苛め対象から外れてしまったようで、もう、苛められることもなくなったのだ。

「よかったわ」

 と思うようになって、みゆきもお兄ちゃんからいわれた言葉の、

「限界」

 という言葉を自分でも忘れてしまっているようだった。

 そのことを思い出したのが、兄が行方不明になる、数か月前だった。

 その頃になると、

「ああ、昔、そんなことも言われたわね」

 という程度で、いまさら聞いても仕方がないと思ったのだし、それ以上に、

「きっと、お兄ちゃんも忘れているわ」

 ということで、聞いたはいいが、まったく知らぬ存ぜぬで無視されるとすると、それはそれで辛いというよりも、寂しさがこみあげてくるようだった。

 それを思うと、聞くに聞けない状態で、中途半端な気持ちが、少しもやってきてしまったのだ。

 しかし、そのうちに、兄が行方不明になる。

 その時みゆきは、急に。

「あのことを聞いておけばよかった」

 と思った。

 聞いておけば、

「兄は行方不明になんかならなかったかも知れない」

 という、まったく根拠のない思いが頭を巡ったのだ。

 しかも、兄がなかなか見つからない。さらに、警察も調べてくれている様子がない。

 なぜなら、捜索願を出した後、まったく何も言ってこないではないか。

「見つからないなら見つからないで、説明に来てもいいものだ」

 と思うと、余計に不安が頭をもたげてくる。

「まさか」

 という、最悪の予感が巡ってくると、

「お兄ちゃんが帰ってこなかったら、あの聞きたかったことも聞けないじゃない」

 という思いがよぎった。

 本来なら、兄の安否を気にしなければいけないはずなのに、何を思ったのか、聞けなかったことを心配するなんて、どういうことなのか?

 みゆきは、自分の頭の構造を疑った。

「そういえば、本当に悲しい時、人間は、笑い出してしまったりするというではないだろうか?」

 と考えた。

 それを思うと。

「今、究極の悲しみを、自分の中で抱いているのではないかしら?」

 と感じた。

「お兄さんは、事故死のようですね」

 と警察にいわれた時、

「殺されたのでは?」

 と考えると、その怒りの矛先は、警察に向けられた。

「警察が真面目に探してくれていたら」

 と思うからだった。

 ボートが沈んだことにより、数人で遊びに行っていていたのだが、そのうちの、二人が死んでしまった。5人で遊びに行っていたようだが、「どうやら、二人は、ボートに乗れずに、そのまま溺れたようだというのだ。

 刑事の話として、

「かなり水を飲んでいた」

 ということだった。

 その中で、みゆきは警察に必死に訴えた。

「兄は、泳ぎは得意だったはずなので、泳げば、岸まで行けたはずだ」

 ということだった。

 だが、

「これだけ水を飲んでいるので、きっと泳ごうとしたかも知れないけど、急に溺れてしまったことで、水を飲んでしまったんじゃないかな? 呼吸困難に陥れば、いくら泳ぎが達者な人間でも、助かることはないだろうからね」

 というのだった。

 助かった人たちも、一人が入院することになった。いくら生きのこったといっても、そう簡単に助けられたという感じではないだろう。水で濡れた身体で、しばらく彷徨っていたということで、3人ともかなり衰弱していたということであった。

 二人は入院というところまではいかなかったが、しばらくの間は、事情聴取も待ってもらっていたくらいに、神経も衰弱していたようだ。

 話ができるようになってから、徐々に状況も分かってきた。

 五人は友達どうして、サークル仲間だったという。

 真夏を避けて、秋のキャンプを楽しんでいたということであるが、平日キャンプなので、そんなに人もいるわけではなかったし、ましてや、ボートに乗る人もいなかったという。

「わーい、貸し切りだ」

 とばかりに、ボートに乗り込んだ5人だったが、急にボートが転覆したのだという。

 助かった三人は、それぞれ、その時、なぜボートが沈んだのかということの理由は分からなかったようだが、それもそのはず、後で調べたところでは、ボートに異常はなかったという。

 きっと、いきなり沈んでしまったのだろう?

 皆、湖に流された。

 その湖は、

「池というには広すぎるが、湖というのには狭い」

 という。

 ただ、通称として、湖と言っているようで、

「なるほど、刑事さんのいうとおり、岸まで泳ごうとすると、少々泳ぎが達者な人でも難しいかも知れないわ。ましてや、水を飲んでいたとすると」

 と、一応、刑事の説明には、信憑性があり、

「これでは、刑事は簡単に事故として処理することくらいは、当然だろうな」

 ということであった。

 ただ、一応、三人は、警察から疑われたようだった。

 というのも、亡くなった二人のうちの一人、つまり、兄以外のもう一人と、助かった中で、一番体力が消耗していて、入院することになった女性と、かつてつき合っていたという。

 しかも、助かった二人のうちの一人と、その後付き合い出したというのだ。

 刑事は、5人について聞き込みを行ったが、

「ああ、あの三角関係ね。結構バチバチしていたと思いますよ」

 という人が多かった。

「知っていたんですか?」

「ええ、そりゃあね。あれだけ大げさに騒げばね」

 というではないか。

「騒いだというと、誰がですか?」

 と聞かれて、

「彼女がですよ」

 というので、

「ん? どうして?」

「ふった男が、しつこく付きまとうって、言いふらしていたんですよ。でも、新たにつき合い出した人からは、何も聞かなかったので、彼女だけが、騒いでいるのかな? って思っていました」

 というではないか。

 それを聞いた刑事は、

「何か妙だな」

 と思っていると、

「あの3人は、ちょっと変な三角関係だったかも知れないわね。別に男の側では、寝とった、寝とられた、という感覚はなかったですからね。確かに男性側が騒いでいるわけではなく、彼女だけが、元カレの悪口を言っていた。きっと別れたのは、そんな彼女に愛想を尽かしたからじゃないかって、そんなウワサニなりましたよ」

 というのだ。

 今回亡くなった男性の、兄以外の人は、後から彼女とつき合い出したという、今カレだったのだ。元カレは助かったようで、そんな三角関係を少し視野に入れて、捜査というか聞き込みが行われたが、

「どうも、殺人というところまでの動機ではなさそうですね」

 という話であった。

「そうですね、彼だけが助からなかったということであれば、怪しいと思うけど、もう一人死んだ人がいるとなると、怪しいということはないようですね」

 というのが、警察の見解だった。

 だから、起訴されることもなく、今回の件は、事故ということで処理されたのだったのである。

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