紅い記憶④

「恋人ごっこ……ね……」


 束沙は寂しげな表情を一瞬浮かべて、何か言いたげに口を開いたが、結局一言も発さずに閉じてしまう。僕はその様子を少し不思議に思ったが、紅茶と共に、その感情を胃の中に沈めてしまう。


「で、結局話って?」


 僕は彼女の目を見つめると、本題に入るように促す。


「そのことなのだけれど、話は二つあるの」


「二つ?」


 彼女の言葉に僕は眉根を潜める。


「話は前にも貴方に話したことと、もう一つはその後に伝えなければならないことがあるの」


 彼女はそう言って、舌を使って自らの上唇を湿らせる。


「まずは、前にも話したけれど私は人間ではなく吸血鬼。それはもういいでしょう?」


 彼女の問いかけに、僕は首を縦に振ることで肯定する。


「前に貴方に話したのはこれと、貴方を食べなければ私が消えてしまうことの二つだったかしら」


「後は、僕との子どもぐらいだったんじゃ無いかな?」


 僕がそう返すと、束沙は「そうね」と独り言のように呟いた。


「それじゃあ、貴方はどちらから聞きたいかしら?」


 そう言って目を伏せた彼女の横顔が、まるで美しい絵画のように思えて、僕は熱くなる頬を誤魔化すように下を向く。


「どっちでもいいよ」


 下を向いたまま言った言葉はどこかぶっきらぼうで、僕は自らがまだ子どもなのだと嫌でも自覚してしまう。


「なら、そうね……。先ずは、貴方に伝えなければならないことからお話しましょうか」


 束沙は、表情は優しいけれど、どこか妖艶に目を細めると、ゆっくりと自らの両掌を腹部にそっと添える。


「――私の中にもう一人。気持ち悪い」


 そんな冷え切った言葉とは裏腹に、束沙の口調と、彼女の腹部を撫でる手つきは柔らかく、我が子の誕生を待ちわびる母親のそれだった。


「僕らの……子ども……?」


 僕がそう尋ねると、束沙は相変わらずの口調で、「えぇ」と短く答えただけだった。


 何の感情も沸いては来なかった。いや、そう言ってしまうとそれは嘘になるのだろうか。けれど、僕が抱いた感情は父親になる喜びでも、子どもが出来てしまったという不安の念でもなく、ただ、目の前にある現実を受け入れていた。


「あら。驚かないのね」


 彼女は少し意外そうに目を開くと、今まで愛おしそうに撫で続けていた手を止めて僕を見た。


「まあ、そのためにした行為だしね。僕は当然のことだと思うよ」


 僕の言葉に束沙は小さく吹き出すと、「飛鳥さんらしいわね」と言って少しだけ微笑んだ。


「それに」


 僕はそこで言葉を止めると、彼女の目をぼんやりとした視線で見つめる。


「僕はもうすぐこの世界から消えてしまうんでしょ? 君以外の誰からも忘れられて。なら、僕がこの世界に生きた証……って言うのは少し大げさだけれど、形はどうであれ、残るってことが少し嬉しくはあるかな」


 彼女は一瞬だけ顔を歪めると、取り繕うかのように冷めた紅茶を口に含んだ。


「『吸血鬼は初めて愛した人間を喰らう』――この呪いにも似た、私達吸血鬼の性質のせいで私は貴方を喰らわなければならない。これは変えられないこと」


 彼女の言葉に、僕はゆっくりと首を縦に振って先を促す。そのことが伝わったのか、彼女は続きを僕に伝える為に口を開く。


「正直、私は自分が吸血鬼であることは嫌ではないわ」


「どうして?」


 僕の問いに、束沙は眉間に皺を寄せて考える素振りをする。これは自分が予想していなかった質問をされるときに出る癖だと僕は知っている。彼女自身が知っているかは分からないけれど。


「考えたことは無かったわね……。漠然と嫌では無いと思ってはいたけれど、理由は考えたことが無かった」


 束沙はしばらく考えた後、溜息混じりにそう呟く。彼女は性格上、答えが出ない物はあまり好きではないらしく、哲学などは見たくも無いと言っていたのを覚えている。


「別に気にしなくても良いんじゃないかな? 君は君でしょ?」


「貴方のそういう所、私は嫌いよ」


 僕の言葉を聞くと、束沙は憎しみにも似た、怒りを込めた目で僕を見る。そして、吐き捨てるようにそう言った。

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