とむらいの煙(1)

 あの大火の日から、二ヶ月ほど経った。



 あの日――朝になっても雨はやまなかった。

 ぼやぼやしているうちにダムの管理事務所に人が戻ってきたので、あたしたちはこっそり山を下り、どうにかタクシーで家の近くまで帰ってきたのだった。タクシー代は深月さんに出してもらった。後で返すと約束したけど、結局まだ返せていない(果南かなん山に置きっぱなしにしてきた自転車は、後日取りに戻った)。



 深月さんとは、タクシーを降りたところで別れた。

 壊れたメイズさんの懐中時計は、部品の半分を深月さん、半分をあたしたちが持ち帰って、それぞれで確実に処分することにした。今度こそ、メイズさんが絶対に復活できないようにするためだ。何日かしてから、あたしと峰子はそれを市のゴミ処理センターに持って行き、何千度という勢いで燃えている焼却炉の中へ放りこんできた。

 ユーシャンさんは手術のあと、深月さんと一緒に広島の北斗市へ帰っていったらしい。らしい、というのは菅生家の前で別れて以来、会えていないからだ。メールのやりとりは続いていて、家族の監視がメチャクチャ厳しくなってろくに外出もできないとボヤいていた。あたしも最近までそんな状態だったので気持ちはわかる。

 本人によると、あの夜ユーシャンはメイズさんに工事現場に誘いこまれ、まんまと鉄骨の下敷きにされてしまった。けれど護符も燃え尽き、いよいよ死を覚悟したそのとき、メイズさんが突然姿を消してしまったというのだ。

 どうもそれが、あたしがランタンにメイズさんの名前を書くことを思いついたのと同じタイミングだったらしい。おかげでユーシャンさんからはずいぶん感謝されてしまって、なんというかこそばゆかった。


 そうそう。深月さんは別れぎわ、こんなことを言っていた。

「きっとこれから、縫ちゃんたちは、生き残った自分を責めることがあると思う。もっとああしていればよかったんじゃないか、こうしていれば誰かを救えたんじゃないかって。……だけどね。そんなふうに正解だけを選んで生きていくことなんて、人にはできないの。だから過去に囚われないで。前を向いて」

 それ以来、あたしは何度もその言葉を思い出している。

 あの夜、起きたことが詳しくわかってくるにつれて、どうしてもその回数は増えていった。



 菅生家はもうない。あの夜のうちに燃えてしまって、今ではすっかり更地になっている。

 焼け跡からは、熊野クミの遺体が見つかった。クミが自宅のライターを持っていたので、自分で火をつけたのだろうということになったらしいけれど、それ以上のことはわからない。別に知りたいとも思わなかった。前に感じていたあの家への興味は、すっかり消えてなくなっていた。


 クミも合わせて、あの夜に亡くなったのは十二人。それだけでも果西かさい市はじまって以来の大事件だったけれど、大雨が降って山火事が消えなければケタ違いの被害が出ていただろうとも言われている。

 亡くなったうちの大半は、果南かなん山で消火作業や山道の封鎖にあたっていた、消防士や警察官たちだった。遺体の多くは鎮火した焼け跡の中から見つかったけれど、亡くなった前後の状況が不明な人も少なくなかった。たとえば黒焦げになったパトカーを乗り捨てて山火事の中へふらふら入っていったとしか思えない、とか……。

 なお、果南山の山頂近くでもうひとつ、身元不明の古い白骨遺体が見つかったそうだけれど、これは今回の事件とは無関係ということで処理されたそうだ。


 避難する途中で事故に遭った不幸な家族もいた。最悪だったのは、渋滞で身動きが取れなくなった車に燃えた大木が倒れてきた平城さん一家で、そこで亡くなった中に蓮先輩もいた。つまり、あたしが菅生家で見た幻覚とすっかり同じことが起きたわけだ。

 たったひとつのなぐさめは、それが起きたのが、あたしたちが果南山目指して出発したのとほぼ同時だったらしいこと……つまり、どのみちあたしにはどうしようもなかったということだけだ。


 そして悪い意味で一番の話題になったのが、バレー部員とバスケ部員による放火事件だった。

 あの夜。詩歌先輩はバレー部の下級生たちに、泉ちゃんはバスケ部の同級生たちに声をかけて、相手部員の家に火をつけて回った。……と、言っても本当に火事らしい火事になったのは数件だけで、ほとんどはボヤのうちに消しとめられるか、庭の雑草をちょっと焦がしたくらいで終わった。みんな、詩歌先輩や泉ちゃんの異常な様子が怖くて逆らえなかっただけで、本気で他人の家を焼く気になんてなれなかったのだ(そして蓮先輩が事故に遭ったのは、そんな詩歌先輩の暴走が怖くてこっそり逃げ出した矢先のことだった……)。

 もちろんあたしと峰子も、警察の人から何度も事情聴取を受けた。あたしにはそれらしい作り話をする頭なんてなかったので、ありのまま起こったことを全部話したけれど、さすがに信じてはもらえなくて、しまいにはだいぶ怒られた。

 でもそのおかげで、警察の人たちからあの日の出来事をいろいろ聞きだすことができたというわけだ。


 詩歌先輩は雨の中、刃物を持ってうろうろしていたところを見つかって逮捕――いや、補導された。泉ちゃんも同じころ、避難所に火をつけようとしていたところを取り押さえられた。

 そしてふたりはそのまま、新学期がはじまっても学校に戻ってこなかった。おかしくなって病院に入れられたとか、遠くの親戚の家に引っ越したとか、うわさではいろいろ言われていたけれど、本当のところはわからなかった。


 結局すべては、狭い学校内の人間関係のもつれが生んだ集団ヒステリー……ということになりそうだ。今回の事件についても、大人たちは地域ぐるみで口をつぐむつもりみたいだった。菅生さん一家の事件が隠されたように。

 不満がないわけじゃなかったけど、しつこく傷口をかき回されたくなかったあたしは、そんな大人たちの考えに同調することにした……。



 そんなこんなで二、三週間が過ぎ、あたしの周囲も少しずつ、落ち着きを取り戻しはじめていた。そんなある日のこと。

 近見先生が、二件の殺人と放火の罪で逮捕されたのだ。

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