果南の地へ(2)

「……あった」

 峰子がつぶやいた。懐中電灯の光の中に、灰色の柱が見える。

 近見先生が言っていた、「村はずれにある石の鳥居」だ。まだ、ちゃんと残っていた。


 あたしと峰子は鳥居の前まで走った。足元に置いた懐中電灯を頼りに、大急ぎで準備をはじめる。

 まずお母さんの登山用具からくすねてきた、キャンプ用のキャンドルランタンを取り出す。峰子も、アロマキャンドル用のインテリアランタンを持ってきていた。たぶん、初音先輩に影響されて買ったものだろう。中のキャンドルに火をともすと、用済みになったマッチは箱ごと捨てた。

 峰子が、ランタンのガラス面にマジックで「不降女」と書く。そして反対に、「瀧峰子」と自分の名前。峰子にマジックを借りて、あたしも同じことをした。こっちの文字は「降女」と「須賀縫」だ。


 峰子が考えた、フランメさまを倒す作戦……それは、あたしたちの手でもう一度「晴神祭はるがみまつり」を行うことだった。

 フランメさま――阿久津蕾果の力は、最後の晴神祭はるがみまつりに勝って手に入れたものだ。それ以来、お祭りは行われていないから、蕾果はずっと現役の不降女ふらんめであり続けている。

 だったらもう一度祭りの儀式をやって、形だけでも、あたしたちが次の不降女ふらんめ《もちろん、降女ふるめでもいい》になったなら?

 蕾果は不降女ふらんめの力を失う――そういうことになるんじゃないだろうか。


「縫、いい?」

 ランタンを片手に、峰子が言った。あたしはうなずき返すと、ランタンを持ってない手で、峰子の手をにぎった。むこうも強くにぎり返してきた。

 石鳥居を見上げて、呪文を唱える。


バールガミバルガミ! 降女フルメ不降女フランメ! 降女フルメ勝つればカツレヴァアーメ降らせフラッシェ給えタムウェーっ!」


 あたしたちの声は谷の中で反響しながら、闇へと消えていった。


 行く手にそびえる果南山を見上げる。この山頂近くに、晴神はるがみ様の社があるはずだ。山道はとっくに森ににのみこまれてわからなくなっている。それでも、行くしかない。

 あたしたちは鳥居をくぐり、一歩進み出た。

 まるでそれを待っていたみたいに、闇の中に青い光がともった。


 ぶ。ぶぶぶ……ぶ。ぶぶぶぶ。


 蛍の羽音が、あたしたちを囲む。青い光がひとつ、またひとつと増え、森はみるみる明るくなった。まるでクリスマスのイルミネーション。けど、それを楽しんでいる余裕なんてない。

 青い光の中に、背の高い女のシルエットが浮かびあがった。

 あたしたちを迎えるように、あるいは通せんぼするように、両手を大きく広げている。


「縫……わかってる?」

「もちろん。あたしたちの、どっちか片方でも……!」


 フランメさまの両目から青い光が走った。足元に置いていた懐中電灯が火をふいて燃えあがる。あたしと峰子はにぎっていた手を切り、フランメさまめがけて突進した。


 怖さをかき消すために叫ぶ。左右をすり抜けようとした瞬間、フランメさまが長い腕を伸ばして、峰子の手をつかんだ。ランタンの火が大きくふくれあがってガラスをこがす。

 あたしは絶叫しながらフランメさまの腕をった。積み木を崩すような妙な手ごたえがして、フランメさまの腕が真ん中からぼろりともげた。

 ギョッとした瞬間、取れた腕が何十匹もの青い蛍に変わって、四方八方に飛び散った。それが断面にまとわりついたかと思うと、みるみる元の長い腕に戻っていく。


 フランメさまが真っ青に光る口を開け、ぶぶぶぶぶぶと羽音で笑った。あたしは峰子の手を引いて走り出す。まわりの木々が、スコールみたいなザーッという音をたてる。あたしたちを追って飛ぶ青い蛍たちが、木の葉を叩く音だった。



 斜面にさしかかったところで、蛍が襲ってきた。右から左から、まるで石つぶてみたいに体当たりしてくる。ランタンが手からもぎとられそうになって、あわててかばう。

 峰子が死ねとかクソとか叫びながら、殺虫剤をまき散らした。効いているんだか効かないんだかよくわからない。数が多すぎる。と、ノズルから火炎放射器みたいに炎が出はじめたものだから、峰子はあわてて前に放り投げた。ボッ! と殺虫剤の缶が爆発して、黒雲みたいなかたまりになっていた蛍がワッと散る。チャンスと思って走った。


 さっきのひんやりした空気がウソみたいに暑い。まるでストーブの前にいるみたいだ。制服は汗と汚れで、とっくにベタベタになっていた。


 蛍たちがつかず離れず追ってくる。皮肉にも、そのおかげで足元がよく見える。青い光で染まった森の中を走っていると、まるで海底にいるみたいな気分になった。


 しばらく進むと視界が開けた。岩肌が岬みたいに突き出した場所だ。一瞬、蛍の気配が消える。

 地面にはうっすら、山道の痕跡みたいなものが残っていた。そのまま走り抜けようと思ったけれど、そこから見える光景に思わず足を止めてしまった。


 ダムの底が燃えている。

 真っ赤な炎をふきあげている木造の一軒家がいくつも見えた。カンカンカンカンとかねが鳴っている。狭い道路で車と車がかち合ったまま炎をあげていた。炎上する犬小屋から必死で逃げようとする犬がいて、その首につながれたロープもちろちろ燃えている。

 燃える家々の中に、黒い影がゆらめいていた。

 窓から身を乗り出して、手を振っている。入口のガラス戸を中から叩いている。いくつもの声が、こだまみたいにのぼってきた。

 あけて。

 あけてぇ。あついよぅ。

 おかあさん。いやだ、おかあさん……。


「縫。現実じゃない。これは……」

「……わかってる」

 これはきっと、過去の光景だ。果南村の最期の姿だ。


 釘付けになりそうな目を谷底からひきはがして、あたしは前を向こうとした。そのとき、峰子が持っているランタンが目に入る。

「峰子。それ……!」

「え?」

 峰子は気づいてなかったらしい。ガラスのうち一面が、さっきロウソクが燃えあがったときのコゲ目で黒く塗りつぶされたみたいになっている。おかげで「瀧峰子」と書いた名前が読めなくなっていた。

 そしてその横のガラス面に、まるで文字みたいな、不自然なコゲ目がついていた。「アクツライカ」と読める。


「なるほどね。あくまでディフェンディングチャンピオンは自分だって言いたいわけ……」

 あたしのほうのランタンには、なんともない。思えばあの青い光でこのランタンだって壊してしまえそうなものだけど、そうしないのは、怪物には怪物なりのルールがあるってことなのかもしれない。

 一瞬、また頭の中で、チカッと白い火花が光った気がした。


 少し迷ってから、峰子は自分のランタンをそこに置く。代わりにシャベルを持ってもらうことにした。

 それが合図だったみたいに、再び森がざわめきだした。前にも、そして後ろにも、青い光の群れが現れる。

 乱れた息を、むりやり整えた。峰子がバンダナをペットボトルの水で濡らすと、口に巻いた。無言でさし出されたペットボトルを受け取って、あたしも同じことをした。

 あたしは最後に大きく息を吸うと、森にむかって走りだした。

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