果南の地へ(1)

 大きな道路という道路は渋滞中の車で埋め尽くされていた。通行止めしているパトカーの前で、おまわりさんとドライバーが言い争いをしている。あたしたちは車と車の間をすり抜けたり、自転車から降りてこっそり道路横の林を通ったりしながら南を目指した。


 移動しながら、あたしが幻を見せられていた間のことを教えてもらう。

 峰子の目には、門へ向かおうとしたあたしがいきなり方向転換し、菅生家の中に飛びこんでいったように見えたらしい。峰子はあたしを追おうとしたけれど一瞬で見失ってしまい、たまらず敷地の外へと逃げ出した。メイズさんの縄張りの中へひとりで入っていくのが怖かったからだ《峰子は申し訳なさそうにしていたけど、責めるつもりはなかった。そりゃそうだと思う》。そして峰子が門の前で途方にくれているところへ、神社でのインタビューを終えたユーシャンさんがやってきたというわけ。

 ふたりの助けと護符がなかったら、あたしも今頃、マミたちの仲間入りをしていただろう。ユーシャンさんの無事を祈らずにはいられなかった。


 しばらく進むと、急に道路がガラガラになった。代わりに消防車のサイレンがそこらじゅうから聞こえてくる。通りをはさんだ先の住宅街から、炎の照り返しを受けた煙が伸びているのが見えた。

「あれって、山火事……?」

「わかんない。放火かも」

 一時間以上こぎ続けて汗だくの峰子が言った。思わず問い返す。

「放火?」

「ユーシャンさんが神社から戻ってくる途中、SNSでそういう噂が流れてるの見つけたらしいの。果西市のあっちこっちで、女の子のグループが放火して回ってるって……」

 まさか……詩歌先輩たちが? バスケ部の家を狙って?

 ありえない、とはもう言えなかった。幻の中で見た詩歌先輩は、もう普通じゃなくなっていた。バスケ部の泉ちゃんも……いや、街がこんなことになってしまった以上、もう誰が変になってもおかしくない。あのふたりが、バレー部の下級生やバスケ部の同級生たちに声をかけて、お互いに火をつけさせあっていたとしたら……そうしなくちゃ紗々美先輩やマミみたいな目に遭うぞと脅して、焚きつけていたとしたら……。

 あたしは怖い想像を頭から振り払った。どっちみち、今さらどうしようもない。あたしと峰子にできるのは、フランメさまを止めることだけだ。


 さらに小一時間ほど進む。

 幻の体育館で見た光景のことを話すと、さすがに峰子もショックな様子だった。あれは、本当にこれから起きる未来の光景なんだろうか。それともメイズさんの作ったでたらめだったんだろうか。いくら考えてもわからない。

 その次に峰子が気にしたのは、例の巨大チェスのことだった。

「……キングね」

「は?」

「クイーンの右、空いてたんでしょ? そこに置くのはキング。他の駒は落としてもゲーム成立するけど、キングがいないチェスなんて無意味よ。いくら駒を取り合ったって決着がつかないんだもん」

「それって……どういうこと?」

「決まってるでしょバカ。あいつらにとって、戦いの結果なんてどうでもよかったってことよ。絶対に『負け』のない安全圏から、私たちの争いを見て、楽しんでやがったのよ……!」


 一瞬、あたしの頭の中でチカッと白い火花が走った。

 それはたぶん、怒りだったんだと思う。だけどその感情をしっかり確かめるより先に、炎を半身にまとわりつかせた果南山が行く手に浮かびあがってきた。


 例えは悪いけどまるでカレーライスみたいに、山は燃えている部分と燃えていない部分とにハッキリわかれていた。燃えているほうは、まるで真っ赤な竜が山肌にしがみついているみたいで、テレビで見るのと迫力のケタが違う。遠く離れたここまで、熱気が伝わってくるようだった。

「……大丈夫。ダムのある側は全然燃えてない。こっちから行けば、風上に回れるはず!」

 峰子が地図アプリとにらめっこしながら、林道みたいな道に入っていった。そこからはアップダウンの激しい道が続いて、ただでさえヘトヘトのあたしたちは体力を削られてゆく。


 いよいよダムが見えるというところで、ギクリとするものが現れた。黒焦げのフレームだけになった車の残骸が、道の真ん中にうずくまっている。ついさっきまで燃えていた証拠に車体からは煙がモクモクとたちのぼり、ゴムの焼けるひどいにおいがしている。

 どうやら、道路を封鎖していたパトカーらしい。通行禁止の黄色と黒のロープが焼き切れて、近くの樹からたれ下がっていた。

 乗っていた人はどうなったのか気になったけど、立ち止まっている時間はなかった。

 視界の隅をかすめた青い光を無視して、先へ進む。


 林道を抜けると、川に出た。さかのぼって上流に向かうと、大きなコンクリートの壁が見えてくる。


 果南かなんダムだ。


 天端てんばという壁のてっぺんの部分に、手すりつきの通路が走っている。一瞬、そこに背の高い人影が立っているように見えたけれど、まばたきした瞬間に消えてしまった。



 ダムの管理事務所に人の気配はなかった。もうとっくに避難したのかもしれない。山火事の現場のすぐ近くまで来たせいか、強烈なコゲのにおいで鼻がおかしくなりそうだ。

 あたしと峰子は管理事務所の横に自転車を停めると、ダムの中へ入りこむ場所を探した。フェンスの一部に焼けコゲて歪んでいるところがあったので、家から持って来た組み立て式のシャベルでこじあけ、くぐり抜ける。

 暗い林を抜けると、パッと視界が開けた。


 地面が広くえぐれて、深い谷のようになっている。谷の底に水はなく、もうダムとしてはほとんど機能していないように見えた。

 谷の一番奥にそびえているのが果南山で、その反対側が山火事の現場だ。おかげで、そちら側の空はやけに明るかった。

 あたしたちは懐中電灯を点けると、谷底へ降りられそうな斜面を探した。光の輪が、泥の中に恐竜の骨みたいなシルエットを浮かび上がらせる。

 かつて果南かなん村にあった建物のなごりだった。


 傾斜のゆるいところを見つけて、峰子とふたり、ゆっくり谷底へ降りてゆく。

 ダムの底は墓場みたいに静かで、肌寒かった。

 バリバリに乾いてウロコみたいにひび割れた地面を進む。なんとなく道っぽい、くぼんだ筋を見つけたのでそこに沿って行くと、ちらほらと家の残骸みたいなものが目に入る。緑色のミズゴケにおおわれたお地蔵さんや、泥に埋まった郵便ポストなんかもあった。よく見る四角いやつじゃなくて、つつに帽子をかぶせたみたいな昔のやつだ。


 低い場所には泥がたまっていて、ところどころ、水も残っていた。ぬかるみを運動靴の底に感じながら、あたしはふと、これまでこのダムこそがフランメさまを封じこめていたんじゃないかと思った。

 火を使うフランメさまは、自分のお墓を沈めた大量の水のおかげでずっと深い眠りについていた。もしも水不足でダムの水量が激減してなかったら、初音先輩の儀式だって、ただのジョークで終わっていたんじゃ……なんて。もちろん、なんの根拠もないけれど。

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