果南村伝説(3)

 その年、不降女ふらんめに選ばれたのは蕾果だった。

 これはせっかくのダム計画を無茶苦茶にしようとしている蕾果への、大人たちからの精一杯の嫌がらせだった。村から水源を奪おうとする蕾果を日照りの巫女である不降女ふらんめにたとえると同時に、プライドの高い蕾果に「やられ役」をやらせて、悔しがらせてやろうという狙いがあったみたいだ。

 意外なことに、蕾果はすんなりその役を引き受けた。

 だけど心の中では、大人たちの思い通りになってやるつもりなんて、さらさらなかったんだと思う。


 晴神祭はるがみまつりの当日。

 降女ふるめ役に選ばれた賛成派一家の娘と一緒に、阿久津蕾果は村を出た。自分の名前が入った提灯を片手に、石の鳥居をくぐる。山道の左右には村人たちが、それこそ聖火リレーを見守る観客みたいに並んでふたりを見守っていた(もちろん、そんなに人数は多くないけれど)。


 途中までは、なにごともなかった。

 しきたりどおり、蕾果は降女ふるめの三歩ほどうしろを静かに歩いていた。

 けれど山頂のお社が見えたところで突然、蕾果は思いがけない行動に出た。ずかずかっと早足に距離をつめたかと思うと、降女ふるめの子に足をひっかけて転ばせてしまったのだ。


 降女ふるめの提灯が地面に転がって、消える。本人はもちろん、周囲もあわてた。こんなことは前代未聞だったからだ。そのすきに蕾果は走って降女ふるめの子を追い抜き、社のたいまつに火をつけてしまおうとした。

 四方八方から腕が伸びて、蕾果につかみかかった。道の左右で様子を見守っていた村の大人たちだった。それでも蕾果は強引に前へ進もうとする。大人たちの腕に力が入る。蕾果と一緒に行動していた若者たちがリーダーを助けようと割りこんで、もみくちゃの乱闘になった。


 勢いあまって、誰かが蕾果を突き飛ばした。蕾果がよろけたその先には、たいまつにしみこませた灯油の残りが、缶のまま置きっぱなしにされていた。


 蕾果が缶につまづいて転んだ。ひっくり返った缶から灯油が跳ねとんで、蕾果がそれを頭からかぶった。提灯の火が燃え移った。

 蕾果はトーチみたいに燃えあがった。


 誰もが悲鳴をあげて飛びのいた。

 人々の輪の中心で、炎のかたまりのようになった蕾果は踊るようにくるくるともがいた。そして燃えながら、社のほうに一歩、二歩とよろめいて、たいまつにしがみついたかと思うと、そのままズルリとくずおれて動かなくなった。

 誰もが言葉を失った。

 社の前では、蕾果の体から移った炎が、あかあかと燃えていた。



 蕾果の死は、村のみなが口裏を合わせ、事故として処理した。遺体はお気に入りの青いドレスと一緒に、阿久津家の敷地内にある一族のお墓へ葬られた。

 リーダーがいなくなったことで、反対運動をしていた若者たちは一気に勢いを失った。村にいづらくなって、出ていく者も少なくなかった。

 それから間もなくして、村を記録的な水不足が襲った。

 村中の井戸が干上がり、草木は枯れた。村人たちは蕾果のせいだとうわさしあった。不降女ふらんめになって死んだ蕾果が、日照りを起こしているに違いない、と。

 皮肉なことに、この日照りが、村人たちにダムの必要性を再認識させた。建設計画はトントン拍子に進み、いよいよ村人の立ち退きがはじまろうとしていた、ある夜。


 阿久津の屋敷が燃えた。


 日照り続きで乾ききっていた木造の日本家屋は、よく燃えた。炎は風にあおられてどんどん近くの家々に燃え広がり、村はパニックになった。

 混乱の中で、誰かが言った。


 ――火をつけたのは、反対派の誰々に違いない。

 ――いいや、どこそこの息子が火種を持ってウロウロしていた。あいつが犯人だ。

 ――燃えた家から、ダム賛成派のやつが金を盗むのを見た。

 ――混乱に乗じて、立ち退き料を奪うつもりだ。やらなきゃやられる……。


 今となっては、本当のところはわからない。ほとんどは根も葉もないデマだったろうと、近見先生は考えている。

 けど、自分の家が焼かれるかもしれないという恐怖の中で、まともな判断ができる人はほとんどいなかった。村人たちはお互いに争い、家に火を放ちあった。ろくに消火活動もできないまま火災は広がり続けた。


 結局、この火事で村の半分以上が焼け、阿久津の一族を含む大勢が亡くなった。

 生き残った人々に、もはや村を建て直す気力はなかった。焼け落ちた家を捨て、誰もが村を去っていった。

 こうしてダムの完成を待たず、果南かなん村からはひとりの住人もいなくなってしまった。

 村は滅びた。



「……と、まあ、これが果南かなん村の元住人から聞いた、ダム建設と阿久津蕾果にまつわるお話よ。みんな、この件については口が重くてね……卒論の調査は大変だったっけ」

 近見先生が話を終えると、もうすっかり夕方になっていた。峰子が授業みたいに挙手をする。

「あの、チカちゃん。質問いいですか。その……阿久津蕾果の呪いについてですけど。ダムの工事中には、なにもなかったんですか」

「なにも、って?」

「だから、工事関係者が次々病気になるとか、機械のトラブルが続くとか。蕾果はダム建設反対の運動をしてたんだから、ダム工事を妨害してもおかしくないと思うんですけど」

「ふふ。なんだか、本気で蕾果さんの怨霊が村を焼いたと思ってるみたいね。それはないわ。夢を壊すみたいで悪いけど、呪いなんて迷信。村人たちが、蕾果さんを死なせてしまった罪悪感からそう言っていただけよ」

「いや……それは、わかってますけど……」

 あたしたちがどう答えたものかと悩んでいると、近見先生がフフッと笑った。どこか遠い目をしている。

「それにね。たぶん蕾果さんは、本気でダム建設に反対してたわけじゃないと思うの」

「え?」

「たぶん彼女は、故郷が嫌いだったのよ。わかるわ。私もそうだから。窮屈きゅうくつで、古臭くて、愚かで……田舎なんて大嫌い」

 あの近見先生の口からそんな言葉が出たことに、あたしはびっくりした。峰子も同じらしく、ズレたメガネを戻すの忘れてポカンとしている。

「私はね。蕾果さんはただ、村をメチャクチャにしてやりたかったんだと思うの。わざと村人同士の対立をあおったのだって、そのため。ああ、でも……呪いといえば、こんな話もあったわね」

 近見先輩は声をひそめた。


「村が焼けた夜、蕾果さんの姿を見たっていう人がいるの。あの青いドレスを着て、燃える家々の間をゆっくりゆっくり歩きながら……笑ってたそうよ」

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