果南村伝説(2)

「祭りは、村はずれにある石の鳥居からはじまる。村の若い女ふたりがそこをスタートし、晴神はるがみの社めざして長い山道を登っていくの。それぞれの氏名を記した提灯を持って、ね。これを見て」

 近見先生はファイルをめくって、A4紙に印刷されたカラー写真を見せてくれた。図書館にあるのと同じ提灯を写した写真だ。表には『降女ふるめ』と『不降女ふらんめ』の文字。そしてさっきは見えなかった裏側には、達筆すぎて読めないぐねった字が書かれていた。なんとかハルとかなんとかセツという部分から、かろうじて女の人の名前なんだなとわかる。

「山頂の神社には、油を染みこませた大きなたいまつが置かれていて、降女ふるめ不降女ふらんめに選ばれたふたりの女は、どちらが先に提灯の火をこのたいまつに移せるかを競争するの。降女ふるめが勝てば神の力で雨が降り、大地が潤うというわけね。このあたりは、ちょっと神事相撲に似てるわね。海と山の代表が相撲して、海が勝てばその年は大漁、山が勝てば豊作になるというような……」

 あたしは聞きながら、オリンピックの聖火リレーみたいなものを想像していた。あれは別に競争しないけど。

 近見先生が資料をめくる。

「これは、そのお祭りで使われていた歌ね。『ばーるがみばるがみ降女ふるめ不降女ふらんめ降女ふるめ勝つればかつれうぁあーめ降らせふらっしぇ給えたむうぇ』」


 近見先生がメモをなぞりながらゆっくり唱えるのを聞いて、あたしはなんだか拍子抜けしてしまった。

 マジで日本語じゃん。なにこれ。

 気づかなかったあたしや峰子もアホだけど、これをドイツの魔女を呼び出す呪文だとか言って持ち出してくる初音先輩も、いい面の皮している。

 初音先輩にとっては、やっぱりただの悪質なジョークだったのかもな、とあたしは思った。呪いの噂でバレー部を混乱させておいて、誰かに問いつめられたら舌を出しながらネタばらしをする……ただ、それだけのつもりだったんじゃないだろうか。


 だけど、そうはならなかった。

 どうして?


降女ふるめ勝つれば雨降らせ給え……降女ふるめが勝ったら、雨を降らせてください、ですね。……不降女ふらんめが勝ったら、はないんですか?」

 律義にメモをとりながら、峰子が言った。近見先生が首を振る。

「ないわ。なぜなら、不降女ふらんめが勝つことはないから」

「えっ?」

「言ったでしょう。これは雨乞いの儀式だって。この辺はただでさえ水に乏しい土地なのに、不降女ふらんめが勝って日照りが増えたりしたら大変だわ。だから競争と言いつつも、勝負は必ず降女ふるめが勝つことになっていたの」

「出来レースだった、ってことですか」

 峰子が非難するみたいに小鼻をふくらませた。

「悪く言えばそうね。ただ勘違いしないでほしいんだけど、儀式というのはえてしてそういうものなのよ。セメントじゃなくてプロレスっていうか……決して、果南かなん村の人たちがズルをしていたわけじゃないのね」

 プロレスのたとえはピンとこなかったけど、近見先生が言いたいことはなんとなくわかった。本気の試合じゃなくてエキシビジョンだ、ってことなんだろう。

 ただ、それはそれでちょっと気になることがある。


 あたしは身を乗り出した。

「えーと。そのレースに勝って降女ふるめに選ばれた人は、神さまのパワーがもらえたんですよね」

「儀式の上ではね。本当に超能力が使えたわけじゃないわ。それならダムなんて、そもそも要らなかったでしょうし」

 近見先生が笑う。少し前のあたしだったら、一緒に笑っていただろう。

「あたしが聞きたいのは、神様パワーをもらえた不降女ふらんめがひとりもいなかったか、ってことなんですけど」

「あ。いや……ひとりも、というわけじゃないの」

 先生は、なぜか言いにくそうに視線を泳がせた。

「本当は、ひとりだけいたのよ。番狂わせ……というか、事故で競争に勝ってしまった不降女ふらんめが。村がダムに沈む直前の、最後の晴神祭はるがみまつりで」


 鳥肌が立った。

 直感する。これだ。これがきっと、一番大切なパズルのピースだ。


 近見先生はいくぶん、いつもの気弱な調子を取り戻して、上目遣いにたずねてきた。

「……ちょっと怖い話になるけど。それでも聞きたい?」

 あたしと峰子は、すぐさまうなずいた。



 話の舞台は、昭和四十年代。今から六十年近くも昔のことだ。


 当時、果南かなん村はふたつに割れていた。村を沈めてダムを作ることに賛成する人たちと、反対する人たち。ただ近見先生によると、反対派の人たちも「ダム建設そのものを否定してたわけじゃなかった」そうだ。


「ダムの建設で家を失う村人たちには、国から高額の立ち退き料が約束されていたわ。ただ、その金額は持っている土地の広さに応じたものだったから、たくさん土地を持っている地主の一族が有利だったのね。それは不公平だっていうことで、貧しい村人たちが反対してたの」


 村人たちにしてみれば、なるべく粘って立ち退き料を釣り上げたい。とはいえ、強く反対しすぎてダム建設そのものを潰してしまっては元も子もない。

 果南村は農業にも不向きで、これと言った特産品もない。狭くて貧しい村だった。大金を持ってそこから出ていきたいという気持ちそのものは、反対派も賛成派も同じだったのだ。

 そんなわけで表向きの反対運動はありつつも、ダム計画そのものは、着実に実現に向けて進んでいた。ひとりの女が戻ってくるまでは。


 阿久津あくつ蕾果らいか

 東京の大学に通っていた、地主一族の娘だった。


 地主の阿久津家は賛成派のトップだというのに、蕾果は反対派についた。

 それまで反対派の主張はおもに「立ち退き料をあげろ」だったけれど、彼女は東京で学んだ知識をもとに、ダム建設は環境破壊であり、村の文化や伝統を台無しにする間違った計画だと言いはじめた。つまり、ダム建設の根本的な中止を求めたのだ。

 蕾果は驚くほどの早さで村の若者たちを取りこみ、さらには村の外からも人間を呼びこんで、過激な反対運動を展開しはじめた。調査に来た役人に石を投げたり、建設機械を壊したりといったことまでやったらしい。

 それは賛成派はもちろん、反対派の大人たちにとっても歓迎できないできごとだった。



「東京帰りって言っても、大学生の女の人ひとりでしょう。村の大人がみんなして、どうにもできなかったんですか?」

 峰子がうさんくさそうにたずねる。

「うーん……。峰子ちゃんと須賀さんは、学生運動って知ってる?」

 運動、と聞いてあたしの頭に浮かぶのスポーツのことだけだ。

「体育の授業とか、運動会とか?」

「バカ、違う。学生運動っていうのは、昔の大学生が角材持ってデモしたり、学校にバリケード作ったりして暴れてたやつのことよ。ですよねチカちゃん?」

 近見先生は苦笑した。

「そうね。本当は暴れるのが目的じゃなくて、若い自分達の力で社会をよくしようっていう、政治運動のはずだったんだけど……。現在の私たちから見たとき、どうしてもその暴力性が目についてしまうのは事実よね。目的のために争っていたはずが、途中から、まるで争うことそのものが目的になってしまったみたい。実際、ほとんどの人は過激化していく運動についていけなくなくて、そのせいで学生運動は下火になっていったの。蕾果さんが東京で所属していたグループも、そうやって空中分解したうちのひとつだったらしいわ」

 近見先生がクリアファイルのページをめくると、画質の悪いカラー写真のコピーが現れた。どこかのパーティ会場だろうか。おしゃれした男女が笑い合っている中に、青いドレス姿の女性が写っている。


「これが阿久津蕾果さん。東京にいたころの写真ね。このドレスは本人のお気に入りだったみたい」

 近見先生の声が遠く聞こえる。

 床に引きずるほどのロングドレス。ひょろりとした長身。高い鼻。整髪料で炎のように逆立てた髪……。

 間違いない。この女だ。

 詩歌先輩の家で見た影。県大会けんたいの帰りのバスで見た後ろ姿。

 フランメさまは、阿久津蕾果だ。

 きれいな人だった。だけど目が冷たい。写真だとわかっていても怖くなってあたしは目をそらした。

「もともと蕾果さんは美人で頭もよくて、村の若者のカリスマだったの。それが東京で、過激派学生のやりかたを学んで帰ってきた。賛成派の悪口を吹きこんで対立をあおったり、グループのメンバーをお互いに監視させて裏切れないようにしたり……。おかげで、ダム反対派の勢いはどんどん増していった。本気でダム計画の中止が検討されるくらいにね。そして……晴神祭はるがみまつりの時期がやってきた」

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