争いの火は燃えて(3)
結論から言うと、あたしが詩歌先輩たちと合流することはできなかった。電話してもつながらないし、チャットに送ったメッセージも既読がつかない。そんな状態で家に押しかけるのは、なんだか怖い。
しかたなく家に帰ると、なにもしていないのにどっぷり疲れていた。
火事のことが気になって食欲もわかない。夕食をおかわりせずに済ませたら、お母さんから本気で心配された。よかったことといえば、菅生家の前に置きっぱなしにしてた自転車を無事に回収できたことくらいだ。
なにもする気が起きなくて、夜はさっさと布団に入った。けれどちっとも眠くならない。ハイネック女と青白い顔の詩歌先輩たち、燃えるアパートと峰子の映像が、頭の中をぐるぐる回っている。
スッキリしないのは、わからないからだ。ハイネック女は何者なのか。あたしが遅刻している間になにが起きたのか。メイズさんの占いをやってみる、という方法もあるけど……あたしが選んだのは、ダメもとでクミにもう一度電話をかけてみることだった。
十コール待っても応答がないのであきらめて電話を切ると、なんと、クミのほうからかけ直してきた。
「もしもし? クミ!?」
「縫っち……」
「よかった。ずっと連絡つかないから心配したよ。なにが」
あったのさ、と続けようとするのを、クミが冷たい声でさえぎった。
「なんで来なかったの」
「……なんでって……だから、自転車が……」
「こっちは大変だったんだよ。なのにひとりだけ平気な顔して、後からのこのこやって来ちゃってさ」
そしてクミは、ぽつりぽつりと話しはじめた。
やっぱり、燃えていたあのアパートは紗々美先輩の家だった。
あたしが到着する、少し前――詩歌先輩たちはゴミ集積所の陰に隠れて、部屋の様子をうかがっていた。できれば紗々美先輩が家から出ていくなり、帰ってくるなりしたところを捕まえて、邪魔の入らない状態で話を聞き出そうと思っていたのだ。
そのときクミマミは、腰にポータブルの蚊取り線香ホルダーをぶらさげていた。農作業のおじちゃんやアウトドアの人なんかたまに使っている、あれだ。本人たちはダサいから嫌がったらしいけど、出がけにおばあちゃんからムリヤリ持たされてしまったらしい。
実際、アパートのまわりには蚊がたくさんいたので、役には立ってはいた。
けれど……マミが燃え尽きた線香の灰を捨てて、新しいひと巻きに火をつけようとした瞬間、事件は起きた。
突然の強い風にライターの火が大きく燃えあがり、マミの指先を焦がしてしまったのだ。
「あちっ!」
と、火がついた線香を落としたところがまた悪かった。そこには、回収されなかった古雑誌の束が置きっぱなしになっていたのだ。炎は、天日にさらされてカラカラに乾いていた雑誌をあっという間に焼き尽くし、まわりに積まれていた燃えるゴミへ燃え移った。
もちろん、詩歌先輩たちはすぐに消そうとした。だけどそのとき間が悪いことに、アパートの二階の窓が開いて住人のおじさんが顔を出したのだ。
おじさんはゴミ集積場の前であわてている先輩たちを見るなり、「なに騒いでんだガキども!!」と怒鳴りつけてきた。詩歌先輩たちは驚き、とっさにその場を逃げ出してしまった。
ほんのささいな不運が、まるでドミノ倒しみたいに悪いほうへ、悪いほうへと向かってゆく。
初期消火に失敗したゴミ集積所の炎は強風にあおられ、枯れて乾いた
「……そっから先は見てない。遠かったし一瞬だったから、クミたち、顔は見られてないと思うけど……ね、縫っち。まさか縫っちは、アパートの人に見つかってないよね?」
「あたしが着いたときは、もう近づけなくなってたから、それはないけど……。でも、峰子に会ったよ。バスケ部の」
「えっ……うちらのことチクッてないよね?」
クミの声は聞いたことがないほど低かった。あたしは知らない人と話しているみたいに感じて、不安になった。
「まさか。峰子に話すことなんてないよ。ってか、あたしはその話、今知ったんだよ? 知らないことしゃべりようがないじゃん」
「確かにね。……じゃあ縫っち、これからは、うっかり口すべらせたりしないでよ」
「いいけど……まさか、このまんま誰にも言わないつもり? 大人にも?」
「あたりまえでしょ。バカなの? 縫っち」
クミはいらいらした様子で言った。
「放火は殺人の次に罪が重いんだよ。ゲロやばじゃん。別に、マミだってわざとじゃなかったと思うけど……バレたら絶対、大会出られなくなるし」
「大会って……」
バレーの四国大会のこと?
(今、そんなの気にしてる場合じゃないんじゃないの? だってもし……あの火事で誰か死んでたら……)
でも、そう言ってクミを責めることはできなかった。あたしだってついこの前まで、必死になって上の大会を目指していたんだから。むしろ今、気持ちがすっかりバレーから離れてしまっていることに気づいて驚いたくらいだ。
家族同然だったバレー部の仲間のことが、やけに遠く感じた。
次の日の朝も、目覚めは最悪だった。
本当なら、楽しい楽しい夏休み初日だったのに。
果南ダムがとうとう貯水率ゼロになったというニュースを聞きながら、朝ごはんを食べる。
それから部屋に引きこもってボーッとしていると、玄関のインターホンが鳴った。宅配便かなにかだろうと思っていると、お母さんがあがってきて「峰子ちゃんが来たけど」と言う。
会いたくなかった。でも居留守は使えない。
汗だくの部屋着を着替えると、サンダルをつっかけて外に出た。
あたしの顔を見ると、峰子は無言であごをしゃくって歩きだした。
家の近くの空き地で話すつもりらしい。本当に小さかったころは、よくあそこで一緒に遊んだっけ……なんて思いながら、自転車を転がす峰子についていく。
空き地に着いても、峰子はなかなか話しはじめなかった。直射日光に肌があぶられて、汗がどんどん噴きだしてくる。
いよいよ我慢の限界というそのとき、峰子がやっと口を開いた。
「紗々美先輩、入院したって」
息が止まりそうになった。
「アパートが燃えたとき、先輩はちょうど出かけてたんだけど……中で先輩のお母さんが寝てたのよ。紗々美先輩のお母さんってシングルマザーで、居酒屋? スナック? で働いてるから昼夜逆転してるの。で、先輩、帰ってきたら家が燃えてるのを見て……みんなが止めるのも聞かずに中へ飛びこんだ。お母さんを助けなくちゃ、って」
「……まさか」
あたしは一瞬、最悪の想像をしてしまった。
「ううん。死者は出なかった。でも、先輩、顔にひどい火傷しちゃって……
峰子の声が震えた。
あたしはなにも言えないまま、乾いたセミの死骸だけを見ていた。
「紗々美先輩は、後輩の私たちのこと、すごくかわいがってくれた。ワルい遊びに誘われることもあったけど、嫌なことを無理強いしたりはしなかった。……あの人が、こんな目に遭っていいわけない」
峰子はこの日はじめて、あたしをまっすぐに見た。
「ねえ縫。あんた、なんで昨日あそこにいたのよ。なんか知ってるんでしょ。言いなさいよ!!」
なにか言おうとした。でも、口の中が乾ききっていて、声が出せない。
そんなあたしを見て、峰子は不満そうにうなった。そして自転車にまたがると、別れのあいさつもなく帰っていった。
とぼとぼ家に戻ると、あたしの机の上でスマホのLEDが青く光っていた。
詩歌先輩からの呼び出しだった。
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