争いの火は燃えて(2)
紗々美先輩に会ってどうすればいいのか訊いても、時計の針はウンともスンとも言わなくなってしまった。そのくせ訪問の時間だけは「夕方四時二十五分」と細かく指定してくる。
「この時間に、石鎚紗々美を訪れればわかる……ということかしら」
考えていてもしょうがないので、とにかく紗々美先輩の家に行ってみようということになった。
蓮先輩は小学生の頃、紗々美先輩と同じクラスになったことがあるとかで、家の場所も知っていた。「ヤブ蚊が多いから虫よけ持ってきな」とのこと。
とはいえ指定の時間まではかなり間があるので、その場はいったん解散することになった。
家に帰ってシャワーを浴びて、アイスを食べながらボーッとしていると、お母さんがやって来た。府頭先生のお葬式はどうなるかと訊いてくる。
「警察がまだ調べてるから、すぐにはできないって言ってたけど」
「あら、そう……」
蓮先輩に言われた虫よけの件をちょうど思い出したので、ついでに訊いておく。
「お母さん。虫よけスプレーどこやったっけ」
「なあに、縫。あんたこれから出かけるつもり」
あたしがボソボソ「バレー部の……」と言いかけると、お母さんは勝手に府頭先生関係のなにかだと勘違いして、真顔になった。
「いい先生だったのに。みんなショックよね。……虫よけ、どこにしまったか忘れちゃったから、とりあえずコレ持って行きなさい」
と言って、蚊取り線香を缶ごと押しつけられる。正直、(こんなもん歩きながら焚けるわけないでしょ)と思ったけれど、長くしゃべるとボロが出そうだったので、あたしは黙って受け取った。
家を出て、いつもの坂をくだってゆくと、赤い屋根が見えた。菅生家だ。
待ち合わせまではもう少し時間がある。あたしはゆるゆるスピードを落として、門の前で自転車を止めた。
少しだけ迷ってから、半開きになった門の隙間をすり抜けて庭に侵入する。夢では二度来たけれど、現実では塀ごしにのぞいただけ。実際に足を踏みいれるのははじめてだ。
別になにか目的があったわけじゃなかった。ちょっと足が向いただけだ。
雑草を踏み折りながら、テラスのほうに回る。
リビングにつながる掃き出し窓のガラスは割れていた。まだまだ日は高いのに、家の中は暗い。近づくと、足の裏でガラスの破片がじゃりじゃり鳴った。
中をのぞきこむ。
目が慣れてくると、リビングも庭と同じでゴミだらけだとわかった。空のペットボトル。空き缶。お菓子の箱。その中に混じって、夢でメイズさんが遊んでいたチェスの駒が散らばっていた。
それを見た瞬間、なぜか背筋がゾクッとした。外は真夏日なのに、寒い。クーラーが効きっぱなしの部屋みたいに、家の奥から冷気が流れてくるみたいだった。
――早く戻ろう。
あたしはテラスから降りると、門に向かって駆けだそうとした。すると。
門のむこう側に、知らない女の子が立っていた。
「ちょっといいかな」
ドキッと立ちすくんだところに、声をかけられる。
あたしと同い年か少し上くらいに見えるけど、果西一中では見たことのない顔だ。
髪をばっさりショートに切りそろえていて、目つきは鋭い。ジーパンにスニーカー。シャツの下に、黒いハイネックのインナーを着ている。
……ハイネック?
――首に傷のある女に気をつけて。
――絶対に、言葉を交わしちゃダメよ。
メイズさんの言葉がよみがえる。あたしは、石になったみたいにその場から動けなくなった。
ハイネック女は猫科動物みたいな動きでするりと門を抜けると、こっちに歩いてきた。
「あんた、この家の関係者……じゃ、ないか。近所の子? ここでなにしてるの。ひとり?」
なんとなく発音に違和感がある。外国人? だけどなにより、相手の首から目が離せない。
この暑いのに、わざわざ首を隠すのは――そこに傷があるからなんじゃないか?
あたしがなにも言わないでいると、ハイネック女はひたいにギュッとしわを寄せて、不機嫌そうな顔になった。
「ねえ……聞こえてる? 私の言ってること、通じてるよね」
あたしは反射的に、塀にむかって突進していた。
ジャンプでてっぺんに飛びつき、一気に体を引きあげる。火傷がずきりと痛んだけど、今はそれどころじゃなかった。
ハイネック女が後ろでなにか叫んだけれど、無視して塀を乗り越えた。
地面に降りてから、しまったと思う。自転車は門のすぐ前に停めてある。取りに行こうとしたら、そこで絶対ハイネック女に捕まってしまう。
あたしは泣く泣く、自転車をあきらめて走りだした。ちらっと後ろを確認すると、あたしを追って門から出てきたハイネック女が、ぽかんと口を開けてこっちを見ていた。
さっきの女がうろうろしているかと思うと家にも帰れず、あたしは歩いて待ち合わせ場所に向かうはめになった。蚊取り線香は自転車のカゴの中だから、手ぶらだ。
クミに「自転車が壊れたから遅れる」とチャットで送ると、地図アプリのスクショが送られてきた。先に行っているから直接現地に来い、だそうだ。
あたしを待ってくれない理由がメイズさんの指定した時間を守るためだと気づいて、なんだかモヤッとした気持ちになった。
紗々美先輩の家は、校区の南側にあった。
他と同じで、みかん畑が多い。畑の合間にちょこちょこ荒れたやぶが混じっているのは、農業をやめて出ていった人たちの土地がそのまま残っているからだ。日照り続きのせいでどの葉っぱもカラカラに乾いている。
確かに蚊が多そうだ……と思いながら坂道をのぼってゆくと、林のむこうに黒い煙があがっているのが見えた。ちょうど、あたしが向かおうとしていた方向だ。
「……なんだあれ」
この暑いのに焚火? それとも……。
胸騒ぎを感じて、あたしは走った。
しばらく進むと、必死の形相をしたクミたちがこっちに走ってくるのが見えた。みんな、紙のように白い顔をしている。あたしは急ブレーキをかけた。
「クミ! マミ! 先輩!!」
当然、先輩たちも立ち止まると思っていたのに、みんなはストップするどころか全速力で横を通りすぎてゆく。
「え? ちょっ……」
無視されたというより、とにかく一刻も早く、この場を離れたがっていたという感じだった。
あたしはみんなを追いかけるべきか迷ったけれど、まずは煙のほうに行ってみることにした。なにが起こっているのか、自分の目で確かめたかったから。
角を曲がると視界が開けた。ちょっとした住宅地が見える。そこで、二階建てのアパートが燃えていた。
あたしは立ちすくんだ。
アパートの周りには野次馬が集まって、口々になにか怒鳴り合っている。火は一階のひと部屋を完全にのみこんで、隣の部屋へ、そして二階へと燃え広がろうとしていた。建物のすぐ裏にあるゴミ集積所でも真っ赤な火柱があがっている。
まさか、紗々美先輩の家が?
地図アプリでだいたいの位置はわかっていても、どの建物のどの部屋が紗々美先輩の家かまではわからない。でも、うかうか確かめに行けるような雰囲気でもないし……。
やっぱりクミたちを追いかけて話を聞かないと、と方向転換した瞬間、峰子と目があった。
「え」
「えっ?」
ふたり同時にマヌケな声を出す。
峰子はさっきの詩歌先輩たちとみたいに顔面蒼白で、汗をびっしょりかいていた。たぶんあたしと同じで、火事の煙を見てからあわてて走って来たんだろう。
「縫……ここでなにしてんの」
「いや、それは……」
あたしが答えられないでいると、峰子は重ねて言った。
「……まさか、あんたがやったの?」
視線は火事のほうに向けられている。あたしは首をぶんぶん振った。
「ち、違う。あたしじゃない。あたしは、なにも知らない」
峰子が信じてくれたようには見えなかった。猫目を細めて、
ダメだ。こいつの相手をしてる場合じゃない。先輩たちを追いかけないと。
あたしは一瞬右にフェイントをかけてから一気に駆けだして、峰子の左脇をすり抜けた。バレーというよりはバスケっぽい動きだけど、峰子は全く反応できなかった(まじめに部活やらないからだ)。そのまま全速力で引き離す。
後ろで峰子がなにか叫んだけれど、その声は消防車のサイレンの音にかき消されて聞こえなかった。
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