争いの火は燃えて(4)

 午後になって、あたしは自転車で出かけた。

 詩歌先輩に指定された集合場所は、なんとあの菅生家前だ。またハイネック女がいるんじゃないかと怖かったけど、いるのは詩歌先輩と蓮先輩、そして熊野姉妹の片割れだけだった。

「クミは?」

「……あたしがクミ」

「あ、ごめん。ゼッケンつけてないとわかんなくて……じゃあ、いないのマミか」

「マミ、昨日から寝込んでるよ。夜中に何度もゲロ吐いて。今日も起きれないって」

 それって。

 自分が火をつけちゃったせい? ……なんて訊ける雰囲気じゃなかった。クミは目の下に黒々としたくまを作っていて、まるで別人みたいな暗い顔つきをしている。それを見る蓮先輩の表情も硬い。

 それなのに……詩歌先輩はなぜか、ひとりだけニコニコしていた。


「マミのことはいいわ。さ、行きましょう」

 そう言って、自転車を押しながら歩きだす。背中にしょった大きなデイパックが、妙に目についた。

「えと、詩歌先輩? 行くってどこへ」

「昨日、家に帰ってから……メイズさんでいろいろ占ってみたの」

 あたしの質問をスルーして、詩歌先輩は話しはじめた。歩調にも迷いがない。

「私、メイズさんに聞いたわ。『私たちは間違ってしまったの? 失敗してしまったの?』って。でも、そうじゃなかった」

「は?」

「あれでよかったのよ。あれはマミのミスでも、不幸な偶然でもなかったの。起こるべくして起こったことなの」

「あれって……え? まさか、紗々美先輩ん……」

「シっ」

 蓮先輩が鋭くあたしをさえぎった。詩歌先輩は、あたしの言葉なんて聞こえなかったみたいに話し続けている。

「私も、はじめは意味が分からなかった。でもメイズさんが教えてくれたの。昨日ああしたことで、呪いの一部を解くことができたんだって。縫、あなた言っていたでしょう? 呪いを解くには、もとを断たなきゃだめだって。つまりそういうことだったのよ。火の呪いは、火で解くしかない。そういうことなの」

「え、ちょ……待ってくださいよ先輩。あたし、全然わかんなくて……」

 詩歌先輩は立ち止まると、すっと真顔になってあたしを見た。

 気がつくと、なんだかなつかしい道に来ていた。この場所は……確か……。


「フランメさまの呪いを解く方法。それは、呪いをかけた者たちを焼くことよ」

「え」

「呪いをかけたのは四人。これも、メイズさんが教えてくれたわ。リーダーはもちろん東山初音。昨日の石鎚紗々美。一年生の別宮泉。そして……」


 詩歌先輩がすっと指さした先には、よく知っている家があった。

 最近はめっきり行くこともなくなっていたけれど……昔は毎日のように通っていた、幼馴染の住む家。

「二年生の、瀧峰子。彼女を焼くのは、あなたにお願いしようと思うの。縫。……チームのために、やってくれるわね?」


「焼くって……ちょ、ちょっと待ってくださいよ先輩。そんなこと……」

 反射的に身を引いたあたしに、後ろから蓮先輩とクミが組みついてきた。両腕を抑えこまれて、そのまま峰子の家の裏手に引っ張りこまれてしまう。

 ひっくり返ったあたしの自転車は、その場へほったらかしにされた。


「縫。私達は今、とても苦しい状況にあるわ。乗り切るには、これまで以上に固く結束しなくちゃいけない。府頭先生が、いつも言っていたでしょう? チームに貢献しなさいって。今がそのときよ」

 詩歌先輩はデイパックから、二リットルのペットボトルをとり出した。コーラのラベルがついているけど、中身はうすい黄色だ。

 腕時計をちらりと見てから、峰子の家を見上げる。

「占いで出た時刻は、三時二十五分。……そろそろね」

 そう言って、詩歌先輩はペットボトルの中身を、峰子の家の裏口にぶちまけはじめた。ツンとイヤなにおいが鼻をつく。油……いや、灯油だ!

「さあ、縫! 早く」


 むりやり、なにか細いものを握らされる。マッチ棒だった。

「いや……でも、あたし……そんな……」

 後じさろうとするあたしを、蓮先輩ががっちりつかまえて逃がさない。マッチの箱をつきだして、早く火をつけろと急かしてくる。

「縫。あたしもこれが百パーセント正しいとは思ってない。でも……元はといえば、バスケ部のやつらの自業自得だろ。あいつらが呪いなんてかけたから、こんなことが起きたんだ」

「そーだよ縫っち。府頭センセみたいに焼け死ぬなんて、クミはヤダよ。だってクミたち、なんにも悪いことしてないもん」

 固まっているあたしから、クミがマッチをもぎとった。箱の横ですって火をつけてから、もう一度、あたしに握らせる。

 詩歌先輩が静かに言った。

「……ねえ縫。私たち、四国大会に出られるのよ。府頭先生のためにも、絶対に出場しなくちゃ……ううん、優勝しなくちゃいけないと思わない? だから、こんな呪いなんかに関わっているひまはないの。大丈夫。メイズさんの占いどおりにやっていれば全部うまくいくわ。だってメイズさんは、絶対間違えないんだもの」

 蓮先輩とクミが、あたしの腕をぐいと伸ばさせた。そのすぐ下には灯油の跡が残っている。火種を落とせば、一気に燃え広がるだろう。

 マッチがどんどん短くなっていく。熱を感じる。もう指先が焦げそうだ。


 そのとき家の裏口が開いて、たぶん自販機のジュースでも買いに行くつもりだったんだろう、サンダルをひっかけた峰子が顔を出した。

「縫?」

 ぽかんと口を開けた峰子の足が、灯油だまりを踏んでいる。


「縫!! 早く!!」

 詩歌先輩が叫んだ。

 あたしは……。


 あたしはマッチの火を指先で握りつぶすと、燃えかすをクミに投げつけた。

 ビクッとしてクミが飛びのく。そのスキに蓮先輩を振り払ったあたしは、峰子の腕をひっつかんで走り出した。

「峰子こっち!」

「えっちょ……なにすんっ……」

「逃がさないで!!」

 詩歌先輩のその怒鳴り声が、皮肉にも、峰子のお尻をたたくことになった。

 峰子はあたしの腕を振り払おうとするのをやめ、一緒に走り出した。サンダルの片方がスッポ抜けて、後ろに転がってゆく。


 あたしは入り組んだ小路のひとつに飛びこむと、町内会長の八坂さんの柵に突進した。生垣に隠れてわかりにくいけど、八坂家の柵には壊れたまま放置されている場所がある――昔はあった――のだ。

 小さい頃は峰子と、それを使ってよく庭に忍びこんで遊んだものだった。


 壊れた柵は、七、八年経った今でもそのままになっていた。身体がデカくなったせいで生垣の隙間すきまをくぐるのには苦労したけれど、枝をへし折ってむりやりもぐりこむ。

 峰子があたしのあとを追って八坂家の庭に転がりこんできたのと同時に、塀の向こう側で、蓮先輩たちの声があがった。

「いないぞ!?」

「遠くに行けるはずないわ。どこかに隠れてるはずよ……ッ!」


 あたしはそろそろと庭を横切って、反対側の玄関から脱出しようとした。そんなあたしのそでをひっつかんで、峰子が首を振る。「ここでじっとしてたほうがいい」とでも言いたそうな顔。

 でも、それじゃダメなんだ。だって詩歌先輩たちには……メイズさんがある。


「……わかったわ。この家ね……!」

 さっきくぐったばりの生垣が、向こう側からガサガサと揺さぶられた。

「蓮とクミは玄関に回って! 出口を固めて、確実に……」

 それを最後まで聞いているほど、あたしたちはのんきではなかった。猛ダッシュで八坂家の玄関に突進する。

 間一髪、蓮先輩たちに回りこまれるよりも早く脱出できた。そのまま正面の車道を突っ切ると、目の前にはガードレール。その先は斜面になっていて、下はみかん畑だ。

 ギョッとしてなにか言いかけた峰子の口をむりやりふさぐと、あたしはガードレールを乗り越え、斜面を転がり落ちた。

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