フルメトフランメ(2)

 翌日、日曜日。県大会二日目。

 府頭先生の大口はダテじゃなかったみたいで、今日の応援席はうちの学校の制服でギッシリと埋まっていた。昨日、各クラスの連絡網で呼びかけた結果だ。応援に来なかったヤツはクラス委員がチェックして担任に報告……みたいなことを言われたおかげか、運動部の試合に興味なさそうな子たちもけっこう顔を出している。

 だけど、まさか初音先輩たち女子バスケ部まで来ているなんて、思ってもみなかった。


 三回戦――準々決勝の直前。初音先輩たちは、廊下で呼び出しを待つあたしたちの前に現れた。

「やあ、聞いたよ詩歌。レギュラー陣の負傷をものともしない快進撃。さすがだね」

 詩歌先輩の返事は冷たかった。

「……なにしに来たの、初音」

「決まってるじゃないか。我が校の英雄バレー部の雄姿を……」

 初音先輩は最後まで言い切ることができなかった。詩歌先輩に胸ぐらをつかまれ、そのまま廊下の壁に押しつけられたからだ。バスケ部員たちが殺気だつのを、初音先輩は軽く手を挙げて制した。

「君らしくないな、詩歌。その余裕のなさはどうしたことだい?」

「ふざけないで……。全部、あなたのせいじゃないの」

「話が見えないね」

「呪いよ! 私たちに、フランメさまの呪いをかけたでしょう!」


 初音先輩が一瞬、目を丸くした。

 かと思うと次の瞬間にはくしゃっと顔をゆがめ、ケラケラと笑いはじめる。

「こいつは傑作だ! あの堅物の詩歌大仏が、呪いを口にするとはね。ねえ聞いたかい紗々美ささみ。峰ちゃんに、ズミちゃんも! 私たちの呪いは効果てきめんだぞ!」

 名前を呼ばれたバスケ部員たちの中には、峰子も含まれていた。

 それってつまり……あいつも初音先輩と一緒になって、あたしたちに呪いをかけたってこと?

 確かめるひまはなかった。ついに蓮先輩も我慢の限界に達したからだ。

「こいつ! 笑ってんじゃ……」

 と、蓮先輩がこぶしを振り上げるのを、あわててクミマミが止める。

「ちょちょ、センパイヤバいって」

「試合前、試合前!!」

 詩歌先輩はその様子を見て、逆に冷静になったらしい。初音先輩をつかんでいた手を離すと、今度は逆に笑って見せた。

「まあ、いいわ。今は私たちにも、心強い味方ができたんだもの」

「……味方? 詩歌、それはどういう……」

「さあ、そろそろ私たちの試合よ。行きましょう、みんな」


 詩歌先輩はそう言うと、さっさと歩いていってしまった。困ったように顔を見合わせていたメンバーたちが、あわてて追いかける。あたしたちも続いた。

 一瞬、初音先輩の陰からこっちを見ていた峰子と目が合う。やたら険のある顔でにらんできたので、こっちもアッカンベーを返してやった。

 初音先輩は真剣な顔をして、なにやら深く考えこんでいるみたいだった。



 準々決勝の第一セット。スタメンとして出場していたあたしに、スパイクのチャンスがめぐってきた。

 蓮先輩のサインは「一」。後衛ライトの位置。詩歌先輩が完璧なタイミングでトスをあげる。あたしは助走をつけてジャンプし――打った。

 の位置を狙って。


 完璧に入れたつもりだったけど、相手もさすがに上手い。みごとに拾われて、返される。けれど相手のスパイクは、ライトのネット際で大ジャンプしたマミのブロックにはじき返された。

 はっとして蓮先輩を見ると、「二」のサインを出している。前衛ライトの位置。マミはあれを見て、相手スパイクのコースを読んだんだとわかった。

 こっちが得点したのに、あたしはなんだか悔しい気持ちになった。


 それからも、あたしは意地になって蓮先輩のサインを無視し続けた。だけど一本も決まらない。詩歌先輩も途中かからそれに気づいて、クミマミやほかのメンバーにボールを回すようになった。

 府頭先生も異変に気づいたみたいで、あたしはすぐ、明石と交代するように指示された。

 のろのろコートから出ていくあたしに、リンゴみたいなほっぺをした明石が駆け寄ってくる。

「縫せんぱい! あの……あたし、せんぱいのぶんまで頑張りますから。心配しないで、休んでてください」

 なんだか「お前なんて要らない」と言われたみたいで、一瞬、カッと頭に血がのぼる。

 もちろん、そんなのはあたしの八つ当たりだってこともわかっていた。

「ああ……うん。頑張って」

「ハイ!!」

 元気よくコートに駆けていく明石を見送りながら、あたしはこそこそとベンチに戻った。



 準々決勝。果西一中イッチューは第一セット序盤こそ乱れたものの、スパイカーを交代してからは圧倒的な強さで勝利。準決勝に進出。

 お昼休憩をはさんで、準決勝。スタメンには明石が入り、またしても圧勝。四試合連続ストレート勝ちというとんでもない勢いに、応援席はお祭り騒ぎになっていた。


 そして、決勝。

 やっぱり、あたしがスタメンに入ることはなかった。第二セットのはじめ、あたしは、横にいた二年に「ちょっとトイレ」とだけ言って、試合場をそっと抜け出した。

 ウソをつくつもりはなくて、実際、気分は最悪だった。胃がムカムカして吐きそうだ。


 トイレには誰もいなかった。サウナみたいな試合場とは別世界みたいにひんやりして、静かだ。消臭剤はあんまり効いていなくて、くさい。

 洗面台に両手をついて、顔を伏せる。いっそゲーッとやってしまえたら楽になったかもしれないけれど、出てきたのは酸っぱいつばだけだった。

 口をゆすいで、顔を洗うと、今度は涙が出てきた。

 こんなところ、他人ひとに見られたくないなと思ったけど、涙はなかなか止まらない。県大会の決勝戦中、トイレに隠れてひとりで泣いてるというシチュエーションを思うと、よけいにみじめで泣けてきた。


 そのとき、いきなりドアが開いたかと思うと、よりにもよって峰子が入ってきた。


 向こうもあたしを見てギョッとしたらしい。お互いに固まったまま、しばらく無言で見つめ合ってしまった。

「えっ……。なに、トイレで泣いてんの」

「う、うるさい。泣いてない」

 あたしがユニフォームのすそをめくって顔を拭こうとすると、峰子は「ちょちょちょ」と、両手を振り回す。

「汚いな。ハンカチぐらい持ってないわけ」

 と、水玉模様のハンカチを投げてよこす。

 反射的にキャッチしてしまったあたしは、今さら突っ返す気にもならなくて、そのハンカチで涙をふいた。なんとなくなつかしいにおいがした。

 思いがけない他人の優しさに触れて、ささくれていた気持ちがちょっとやわらいだ気がした。

「……ん。返す」

「いいわよ、あんたの使用済みなんて。もう要らないから、あげる」

 前言撤回。こいつやっぱムカつく。


 あたしがそのまま動かずにいると、峰子はわざわざあいだひとつ空けた洗面台に立って、色つきのリップクリームを塗り直しはじめた。

「げーっ。あんた化粧なんてしてんの?」

「リップクリームはお化粧じゃありませーん。つか、中二になったら普通メイクくらいするでしょ。なんでも原始人基準で語らないでくれる?」

「初音先輩のマネしてるだけのクセに」

「…………」

 黙った。図星か。


 そして初音先輩の名前を出した以上、どうしてもさっきのことを思い出してしまうわけで。

「峰子。あんた……なにしたの」

「なにって?」

「呪いに決まってんでしょ! あんた……初音先輩と一緒になって、あたしたちに呪いかけたんじゃないの?」

 峰子は猫目でちらっとあたしをにらんだかと思うと、気まずそうに鏡に向き直った。

「……そうよ。かけたわよ、呪い。ただ、言っとくけど、それとあんたたちとの怪我ケガは無関係だから。私を逆恨みされても……困る」

「はあ?」

 あたしはまたしても、頭に血がのぼるのを感じた。

「ふざけんな! あんたが……あんたが呪いなんかかけたせいで、あたしは……」

 ブン殴ってやろうかと思ったのに、また涙がこみあげてきてしまった。握ったままのハンカチで、目頭を強くこする。

 ヒリヒリする目を開けてみると、峰子がやけに困った顔をしていた。

「……まあ、こんな言い方で、バカのあんたにわかるわけないか……いいわ。説明してあげる。私たちがやった、呪いの儀式のこと」

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