青い蛍(4)

 いつもよりずっと退屈な朝練を過ごす。

 あたしとけやき先輩の代わりには準レギュラーの子たちが入って、つつがなく練習は進んでいた。スパイカーに起用されたのは、春に入った明石あかし今日子きょうこという一年生だ。もちろんあたしみたいに蓮先輩のブロックを抜くことはできないけれど、トスを上げている詩歌先輩からは「センスがいいわね」と褒められていた。

「来年は、あなたと縫で二枚看板だわ」

 なんて言われて顔を赤くしている明石を見ていると、胸の奥のほうがモヤモヤしてくる。

 二枚看板なんて、明石とあたしが同列みたいでなんかイヤだ。これでも、あたしにはエースとしてのプライドがあるのだ。

 だけど実際、こうしてあたしが足踏みしている間にも、明石はどんどんうまくなっていく。差は縮まる一方だ。このままあの子が県大会でも活躍したら、来年には……。

 あたしは弱気の虫を頭から振り払った。

 今はそんなことより、フランメさまの呪いのことをみんなと相談しなくちゃいけない。

 だけどいざ話そうとすると、どう切り出していいのかわからなかった。夢で幽霊に教えてもらったなんて話をしたら、クミマミあたりに「縫っちレギュラー外されて頭おかしくなったんじゃない?」とか言われそうだ。

 ……いやいや、レギュラーは外されてないってば。いい加減にそこから離れろ、あたし。

 だけど朝練の時間は結局、そうやってモンモンとしているうちに終わってしまった。



 次の事件は、四時間目の授業中に起きた。

 あたしの席は教室のいちばん廊下側の、そのまた一番うしろにある。席替えのとき、男子とのジャンケンバトルに勝ち抜いてゲットした特等席だ。普段なら窓際後列が一番人気なのだけれど、七月の今は地価が暴落していた。なぜなら直射日光でクソ暑いから。

 ダムの様子からもわかるように、今年の暑さは殺人的だ。窓から見える校庭はどこもかしこもカラカラに乾いてひび割れ、プランターの植物はのきなみ黄色くしおれていた。

 もちろんうちの学校にクーラーなんて上等なものはないので、授業中はあらゆる窓を全開にして過ごすしかない。幸いその日はひんやりしたいい風が吹いていて、日陰の席での過ごしやすさは上々だった。

 あたしはチカちゃんこと近見先生が源平合戦について説明しているのを聞き流しながら、いい気分でウトウトしていた。

 これが終われば給食だ。五時間目も古文だから寝られる。そうしたら部活……ああ、いつもなら部活が楽しみなのに……手の怪我ケガさえなければなあ……。


 ぱぁん。


 鋭く小さな音で、あたしは現実に引き戻された。廊下の向こうからだ。

 続けて女子たちの悲鳴。今度は大きい。あたし以外のクラスメイトたちも、なんだなんだと首をめぐらしはじめる。男子の中には、廊下の窓から身を乗り出すやつもいた。

「ダ、ダメよ。やめなさい」

 近見先生が注意する。でもそういう先生自身も気になるようで、騒ぎが聞こえてくるほうをチラチラ見ていた。そっちにあるのは……理科室だ。

 間もなく、「保健室!」とか「救急車呼んで!」とか叫ぶ声が聞こえてきた。

 いよいよただごとではないと気づいて、男子たちがガタガタと席を立ちはじめる。近見先生がやめなさいと言っても、誰も聞こうとしない。あたしも好奇心に負けて、開けっぱなしの窓から廊下を覗いてみた。


 理科室のほうから、数人がこちらに歩いてくるのが見えた。その先頭で、白衣の先生に肩を抱かれるようにしているのは……。

「蓮先輩!?」

 間違いない。バレー部の蓮先輩だ。

 蓮先輩はあたしの声に気づいて、うつむいていた顔をあげた。顔色は紙のように白く、右肩を反対の手でぎゅっと押さえている。

 制服の肩は、赤黒い血でぐっしょり濡れていた。

 あたしは絶句した。蓮先輩もあたしの呼びかけに答えることなく、そのまま先生に引きずられるようにして廊下を通りすぎていってしまう。


 次の瞬間、あたしはなにかピンときて、教室を飛び出していた。

「ちょっと、須賀さん!? 待ちなさい!」

 近見先生の声を振り切って理科室へ走る。

 理科室では、三年生の先輩たちが右往左往していた。どうやら化学の実験中だったらしい。みんな混乱していて、下級生のあたしが顔を出したことにも気づかないようだった。

 理科室を見渡してゾッとした。白いリノリウムの床に、赤黒い血だまりができていたからだ。そのまわりには、たくさんのガラスの破片。もしかして、実験中にガラスが割れて……その破片で、蓮先輩がケガをした?

 だけど、あたしが探していたものの姿は見えなかった。

 絶対にいるはずだと思ったんだけど、勘違いだったんだろうか。

 あたしがそっと理科室を離れようとしたそのとき、視界の端を、ちらりと青い光がよぎった。

(……いた!)


 隣の理科準備室だ。ドアにまったスリガラス越しに、青い光が見える。薄暗い理科準備室の中で、いくつもの青い蛍がふわりふわりと飛び回っているようだった。

 もっと中の様子が見たかったけれど、スリガラスのせいでぼやけた明暗しかわからない。思い切ってドアノブに手をかけると、なんの抵抗もなく回った。先生が鍵をかけ忘れていったのかもしれない。

 心臓が高鳴る。それでもあたしは覚悟を決めて、ドアを押し開けた。


 薄暗くてほこりくさい、ただの理科準備室がそこにあった。


「……あれっ?」

 そんなはずない。一瞬前まで、この中を青い蛍が飛び回っていたはずなのに。

 あたしはドアを開け放ったまま、じりじりと準備室の奥へと進んでいった。棚をひとつひとつ確認していく。たくさんの薬品に、イタズラされまくってパーツが欠けたガイコツ。葉っぱや三葉虫さんようちゅうの化石。けれど青い蛍どころか、ハエ一匹見つからない。

(見間違い……?)

 あたしは首をかしげながら、いったん外へ出ようと振り返った。

 その瞬間、開けっ放しのドアから見える廊下を、青いものがズズズズッと横切っていった。

 サファイアブルーに輝くそれは、床に引きずるほど長い、ロングドレスのすそ……みたいに見えた。


 不意打ちを食らったあたしは、しばらくそのまま固まっていた。

 硬直が解けてから、おっかなびっくり廊下を見てみたけれど、もちろんそこには蛍も、青いドレスも、どこにもなくて。

 ただ焦げ臭いにおいだけが、かすかに残っていた。

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