青い蛍(3)

「メイズ……さん?」

「ニックネームよ。すてきでしょ? お友達は、みんなそう呼ぶの。ヌイちゃんも、そうしてくれたらうれしいな」

「えーっと……つまり、あたしと友達になりたいと」

「そういうこと。私、察しの良い子は大好き」

 アイスレモンティーで赤いくちびるを潤しながら、メイズさんはクスクスと笑った。グラスの中の氷がからりと涼しげな音をたてる。

 日頃、脳筋とか野蛮人バーバリアンとか言われているせいか、察しが良いと褒められて悪い気はしなかった。にしても、見た目の割に難しい言葉を知ってる子だなあ。


「ヌイちゃんを招待するの、けっこう苦労したのよ? あなたって、あんまり私の声が届きやすいタイプじゃなかったから。こんなに近くにいて、意識もこっちを向いていたのに、あの女がつけた道を辿らなきゃ手が届かなかった」

「……はい?」

 なにを言ってるのかさっぱりわからない。

 わからないけれど、不思議と怖くはなかった。頭のどこかで、これが夢だと気づいていたからかもしれない。

「ああ、ごめん。気にしないで。こっちの話だもの。それより、早く本題に入りましょ。私はね、ヌイちゃん。あなたに警告してあげようと思ったの」

「警告?」

「そう。あなたたち……このままじゃ危ないわよ。フランメさまに狙われてるんだもの」


 フランメさま。


 その名前を聞いた瞬間、あたしの背中にぞくぞくと悪寒が走った。

「それって……初音先輩が言ってた……」

「ええ。フランメさまは、炎の魔女。青い蛍虫ほたるむしどもはその走狗そうくよ。あなたも昨日、見たはずよね?」

 あたしは無言でうなずく。

 青い蛍なら確かに見た。コンロの炎で右手を火傷してしまった、その直後に。

「ヌイちゃん。あなたの学校に、フランメさまを呼び出した子がいるの。そいつが呪いの元凶よ。あなたと、あなたのお友達に、災いをもたらそうとしている……」

 あたしの脳裏に浮かんだのは、言うまでもなく初音先輩だった。

 金光けやき先輩がケガしたのも、呪いのせい? じゃあ……もしかして、バレー部全体が標的に?

「心当たりがあるみたいね? ……その呪いは、とっても危険なの。早く手を打たなきゃ、火傷じゃ済まなくなっちゃうわ」

 メイズさんの口調は軽かったけれど、重大さはしっかり伝わってきた。とはいえ……。

「いきなりそんなこと言われたって困るよ。呪いって時点で頭パンパンなのに、手を打つなんて」

「クス。……大丈夫よ。私が力になってあげるから」

 メイズさんは薄く笑うと、首にかけた金のくさりを手でたぐった。鎖の先には、コンパクト型の懐中時計がつながっている。

「迷ったら時計を用意して、私にたずねてちょうだい。あなたがどの道を進めばいいか、教えてあげる。ハイは零時で、イイエは六時……」

 メイズさんは童謡みたいな節をつけて、歌うように言った。

「ハイは零時で……イイエは、六時? え、どういうこと?」

「やってみればわかるわ。クスクスクス……」

 メイズさんは指先で懐中時計のフタを開けると、かすかにカチカチ音をたてている文字盤を覗きこむ。

「……ああ、もうこんな時間。また会いましょ、ヌイちゃん。まいまい迷子のお嬢さん……メイズさんの、言うとおり……」



 目が覚めると、もうすっかり日が昇っていた。

 いつものように、バタバタと朝の支度をする。けれど、頭の中ではずっと夢のことを考えていた。


 朝練へ向かう途中、また菅生さんの家の前を通りがかる。

 あたしは衝動的に自転車を停めると、ブロック塀に沿って、菅生家の敷地をぐるりと回りこんでみた。

 左右をうかがってから塀に手をかけ、ぐっと身体を引き上げる。火傷した右手がずきりと痛んだけれど、好奇心は止められなかった。

 あたしは塀ごしに、庭の様子を見た。やっぱり庭は草ぼうぼうの荒れ放題で、夢で見たのとはまるきり様子が違っていた。けれど。

 小さなテラスとガーデンテーブルは、確かにそこにあった。

 あたしは塀から飛び降りると、たまらずその場にへたりこんだ。呼吸が早い。心臓がバクバクと跳ねている。

 あたしは、あそこにテラスがあるなんて知らなかった。門から中をちらっと覗いたことはあったけど、そこからじゃ庭の奥までは見えない。絶対に。

 ……夢の中で、あたしは確かにここに来た。

 そしてメイズさんと話したんだ。


 メイズさん。あなたもしかして……この家でお姉さんに殺された、妹さんの幽霊だったりする?

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