青い蛍(2)

 次の日。利き手を包帯ぐるぐる巻きにして登校したあたしを見るなり、府頭先生は苦い顔で言った。

「お前もか、須賀」

「も……って、なんですか」

金光かなみつのやつも、昨日ケガしたって連絡してきてな。熱いアイロンのコードを引っかけて、足の上に落としたんだと」

 げげっ。

「大変じゃないですか。けやき先輩、大丈夫なんですか」

「わからん。今日は授業も休むらしいが」

 金光けやき先輩は三年生で、あたしと同じレギュラー選手だ。チームいち背が高く、ブロックに活躍している。うちはリベロがおらず、残りのレギュラーは同じくブロックが得意な蓮先輩、司令塔・セッターの詩歌先輩、すばしっこくてレシーブのうまいクミとマミという顔ぶれだ。ちなみにあたしのポジションは攻撃の要、レフトスパイカー。二年生でエースポジションを任されているのは、あたしにとって自慢の種だった。

 それなのに。

「須賀。とりあえずお前は、しばらくは基礎練だな」

「えっ……」

 先生のその決定は、あたしにはまるで死刑宣告みたいに聞こえた。県大会はもう、今週末なのに。

「そんな顔するな。レギュラーから外すとか、そんな話をしてるんじゃない。今は治すほうに専念しろと言ってるんだ。仮に県大会けんたいがダメでも、その先がある」

「……はい」

 県大会そこで負けたら、先なんてないじゃないですか。

 思わず喉元までそんな言葉がせりあがってきたけど、さすがに口にはできなかった。誰が悪いかと言えば、この大事な時期に利き手をケガするあたしのほうなのだ。



 放課後の練習、あたしは体育館の隅っこでひとり、筋トレメニューをこなしていた。

 府頭先生の怒鳴り声が聞こえる。

「おら、自分が目立とうとか思うなよ! チームだ、チーム! チームにどう貢献できるか考えろ!」

 思いっきりチームに迷惑をかけているあたしには、耳の痛い言葉だった。



 夜。

 いつもなら九時過ぎにはストンと眠ってしまうのに、その日のあたしは、いつまでも布団の中で寝返りばかり打っていた。

 網戸越しに聞こえてくる虫の声がうるさい。あの中に、昨日の青い蛍の声も混じっているんだろうか(いや、蛍は鳴かないんだっけ?)。

 青い蛍。ダム。水底にいるなにか。幽霊屋敷。そして……少女の声。

 火傷をする直前に見た夢が忘れられない。これも、あたしにとっては珍しいことだった。いつもなら夢の内容なんて、手ですくった砂みたいにさらさらこぼれて消えてしまう。なのに、あの夢の光景はどうしても頭から離れなかった。まるでワンシーンワンシーンが脳みそに焼きついてしまったみたいだ。

 ダムの底にまる水のどす黒さとか。

 草を裸足で踏んだときの、ひんやりした感触とか。

 あたしを呼ぶ声の調子とか。


 ヌー……イー……。


 そうだ。はっきり思い出せる。


 ヌー……イー……。


 こんな感じの声だった。ちょっと幼くて、とてもんでいて、そして……。

 そして。

「ヌーイーちゃん」



 気づけばあたしは、またしても菅生家の庭に立っていた。

 ただ、昨日とは様子がずいぶん違う。まず明るい。降りそそいでいるのはぎらぎら照りつける真夏の太陽じゃなくて、ぽかぽか優しい春の日差し。

 しかも、荒れていない。

 伸び放題だったはずの雑草はきれいに刈り取られて、エメラルド色の芝生に変わっている。投げこまれたゴミもどこかに消え、レンガづくりの花壇に色とりどりの花が咲いていた。屋根の赤色すら、前に見たときよりあざやかになったみたいだ。まるっきり、心霊スポット化する前に戻ったようにしか思えない。

 ……と言っても、あたしが菅生家に興味を持ったのはあの事件が起きてからで、前の状態なんて本当は知らないんだけど(そもそもあたしは菅生家姉妹の顔だって知らないのだ)。


「ヌイちゃん」

 呼ばれて、あたしはハッとした。

 今まで、どこから響いてくるのかわからなかった女の子の声が、はっきり近くから聞こえてきたからだ。

 声に導かれるように進む。玄関をスルーして中庭に入ると、ちょっとしたテラスがあった。そしてテラスにしつらえられたガーデンテーブルでは、小さな女の子があたしを待っていた。


「私のお庭へようこそ。やっと会えたわね……もう、待ちくたびれちゃった」

 大人用のイスに、足の長さが届いていない。小学校一、二年生くらいだろうか。風鈴みたいに澄んだ声は、舌ったらずで幼い。

 ノースリーブの赤いワンピースに、白のサンダル。チョコレート色の巻き毛に、黒いレース飾りのついた赤いつば広帽を乗せている。長く伸ばした前髪が目もとを隠しているせいで、顔はよくわからなかった。


「……誰?」

「クス。クス、クス、クス……そうだったわね。ごめんごめん。じゃ、まずは自己紹介」

 女の子はしのび笑いをすると、あたしの問いに、こう答えた。


「私はメイズ。みんなは、メイズさんって呼ぶの」

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