それでも、時計の針は(1)

 丘を下りてみると、わたしとユーシャンの家族が血眼ちまなこで娘を探していた。

 そして戻ってきたわたしたちがふたりともぐちゃぐちゃの泥まみれ、おまけに怪我までしていたのだから、みんなは安心するどころかよけい大騒ぎになった。

 ふたりとも病院に運ばれて、わたしは左手と右腕の傷を合計で六針も縫った。ユーシャンは首の傷こそ問題にならなかったものの、二階から落ちたときに入ったかかとのヒビ+全身打撲で、やっぱり入院コースとなった。

 ケガの理由はいつの間にか、幽霊屋敷に入りこんで遊んでいたら崖崩れに巻きこまれかけた、ということになっていて、わたしもユーシャンもめちゃくちゃ怒られた。

 でも、お化けと戦いに行ったなんて説明するわけにもいかないので、黙ってごめんなさいと言うしかない。

 それに……そうやって心配してもらえることが、少しだけうれしくもあった。

 だって、死んでしまったみんなはもう、家族と会うことすらできないんだから。



 わたしたちがメイズハウスですべてを終わらせた日の、夕方のこと。

 前日の夜、家族と一緒に電車に乗ったまま行方不明になっていた大崎絵美ちゃんが、遺体で見つかった。

 絵美ちゃんは、最後に目撃された駅から遠く離れた、小さな地方駅のゴミ箱の中で死んでいた。死因は、心臓麻痺。ゴミ箱が不自然にあふれていたのを不審に思った駅員さんが中を覗いて見たところ、絵美ちゃんの恐怖に歪んだ死に顔を見つけてしまったのだった。


 そして、わたしたちが退院した二日後、最初に行方不明になっていた蒲刈若菜ちゃんがようやく見つかった。

 若菜ちゃんの遺体は、自宅から何十キロも離れた山の中にあった。夜、裸足はだしのまま家を抜け出して、そのまま山の中で行き倒れになったんだろうという話だった。遺体は動物に食い荒らされていたけど、両足の裏には、それとは違う傷が残っていた。肉がげて骨が見えるまで、裸足で歩き回ったあとだったという。

 遺体のかたわらには、雨に打たれて壊れたスマートフォンがあった。結局、若菜ちゃんがどういう状況で占いを広めさせるメッセージを送ったのかは、永遠にわからないままだった。


 学校は今も大パニックで、とてもじゃないが再開できる状態じゃなかった。

 このまま夏休みに突入してしまうんじゃないか、という噂もある。


 メイズさん占いは、あれ以来、二度と真実を示すことはなかった。

 絵美ちゃんが占いを広めたクラスの子達も、今頃は見向きもしなくなっていることだろう。



 若菜ちゃんが見つかった次の日、長々と降り続いていた雨が、ようやくあがった。

 退院してからというもの、ずっとそれぞれの家族に監視されていたわたしとユーシャンは、示し合わせて家を抜け出し、メイズハウスがあった場所を見に行くことにした。

 ……と言っても、立ち入り禁止のロープが張られているところまで、だけど。


 真夏の太陽がぎらぎら照りつける北斗ヶ丘は草木が青々と茂り、そこらじゅうやかましいセミの声でいっぱいだった。人間の事情なんてこいつらには関係ないんだろうな、と思うと、むなしい気持ちになった。

 人間は、運命という時計に組みこまれた歯車。

 時計にとっては、歯車ひとつひとつがなにを考えているかなんて、なんの意味もないだろう。

「深月、なに考えてる?」

 ユーシャンが、黄色と黒のロープの向こうを眺めながら言った。

 メイズハウスがあった場所にはさびた黒い門だけが残っていて、そのすぐ先は絶壁だった。

 わたしは言った。

「メイズさんと戦ったこと……やっぱり、ムダだったんじゃないかなって。だって……真珠ちゃんたちは、もう帰ってこないんだよ」

「ばか」

 ユーシャンは、いきなりわたしの腕をつかむと、自分の胸にぐいと押しつけた。

 とくん、とくん、と、力強い心臓の動きが伝わってくる。

「深月がいなかったら、私は生きてない。いじめられて死んだか、迷子小鬼メイズゥシャオグイに食われてたか。絶対に今、こうしてなかった」

「ユーシャン……」

迷子小鬼メイズゥシャオグイの敗因は、人間の可能性を見くびったことだ。あいつは自分が予知した未来は絶対だと思い上がって、深月にみすみす、幻を破るためのヒントを与えてしまった。自分が変えた未来を足掛かりに、深月がその先の未来を変えてくるなんて、思ってもいなかったんだ。運命は自分の手の中にあると思いあがって、深月をナメてたんだよ」

 ユーシャンがやけに力説するので、わたしはおかしくなってしまった。ユーシャンは不満そうに口をとがらせる。

「なに笑ってんの。すごいことなんだよ。だって、私たちのひいじいちゃんたちが封印するので精いっぱいだった怪物を、あんたは完全にやっつけちゃったんだから」

「う、うん。わかってるわかってる」

「本当に?」

 ユーシャンはしばらくうなっていたけれど、ふと、遠い目をして言った。

「まあ……実は私も、後悔してる。真珠たちと仲良く……は、無理でも、なにか他にできることがあったんじゃないかって。でも、そんなの結果論だ」

「結果論?」

「後からなら、なんとでも言えるってこと。私たちはただの人間なんだから、なにが間違いかなんて、全部はわからない。後悔しながら、必死にやるしかないんだと思う」

「……そっか」

 ユーシャンの言葉は、わたしの胸の一番深いところに、ストンと収まった気がした。

 顔を上げると、空に大きな虹がかかっていた。メイズさんも――迷子小鬼メイズゥシャオグイの人形に囚われていた女の子の魂も、今ごろは自由になって、あの空の向こうにいるのかな。

 ユーシャンが言った。

「そろそろ行こう」

「うん」

 わたしたちは、手をつないで歩きはじめた。


 手首にあった呪いの印は、もうない。まるで、わたしたちに残った新しい傷跡と引きかえになったように、メイズハウスから戻ったときには消えていた。

 もう誰にも、わたしたちの未来は縛れない。

 わたしたちには、すべてを教えてくれる万能の占いや、行き先を教えてくれるコンパスなんてない。それでも、時計の針は前に進み続ける。ずっと立ち止まってはいられない。

 傷つきながら、間違いながら……それでも進むしかないんだ。

 自分の足で。一歩ずつ。

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