迷路の果て(1)

 ドアにカギをかける。部屋にあったクローゼットのひとつにもぐりこむと、扉を閉めた。


「ミィィィヅキィィィ……」

 雨音に混じって、メイズさんの声が遠くから聞こえてくる。

 わたしは悲鳴が漏れそうになる口を自分でふさぎ、がたがた震えていた。

「どこに隠れたのかしら? まいまい迷子の、おろかなお嬢さん……」

 声は、一度、わたしが隠れている客室のすぐ前で聞こえたかと思うと、だんだんと遠ざかり……そして聞こえなくなった。

 見つからなかった……?

 だけどそれは、わたしにとってはなんの救いにもならなかった。頼みの綱の護符ですら、メイズさんには効かなかった。階段はくずれてしまって、逃げられない。

 そして、ユーシャンは死んでしまった。

 わたしはなにもできなかった。

 もう、どうしようもない。なにも考えられない。ただ、涙だけがあとからあとから湧きだしてきた。

「ごめん。ごめん、ユーシャン……ごめんなさい……。わたしの……わたしのせいで……」


「やっと、わかってくれたようですね」


 クローゼットのすぐ前で、声がした。

 メイズさんとは違う声。でも、同じくらいに恐ろしい声だった。

「深月ちゃん。あなたが悪いんです。あなたのせいで、みんな死んでしまったんですよ。若菜ちゃんも、ゆにちゃんも、絵美ちゃんも、ウーさんも……


「真珠……ちゃん」

 違う。真珠ちゃんじゃない。これはメイズさんが作った幻だ。

 わかっていても我慢できなかった。頭が勝手に想像してしまう。クローゼットの前に立つ、真珠ちゃんの姿を。落下の衝撃で頭が割れ、黒目がちの目を真っ赤にして立っている姿を……。

「それなのにあなただけ生きているなんて、恥ずかしいと思いませんか。ねえ。みなさんもそう思うでしょう?」

「そうだよ」

「深月ちゃん、ズルい」

 口々に応じるのは、若菜ちゃんと絵美ちゃんだ。ごぼぼっと嫌な音をたてて、真珠ちゃんが笑った。

「では、みなさん。深月ちゃんはどうすればよいと思いますか?」

「死ね」

 答えたのは、ゆにちゃんの声だった。

「そうだ。深月ちゃん、死ね」

「死んじゃえ」

 若菜ちゃんと絵美ちゃんが、次々とはやしたてる。

「よくできました。さあ、深月ちゃん。どうしたらいいか、わかりますよね。自分がなにを期待されてるのか、わかりますよね。……空気、読めますよね」

 真珠ちゃんの声がじりじり近づいてきたかと思うと、クローゼットの扉が、ばた、と叩かれた。真珠ちゃんがげらげらごぼごぼと笑いながら言う。

「死ね」

 ばた。ばた。ばたばたばたばたばた。

 いくつもの手が、一斉にクローゼットを叩きはじめた。叩くのに合わせて、みんなが笑う。笑いながら声を合わせる。

「死ーね。死ーね。死ーね。死ね。死ね。死ね。死ね……」

「やめて! やめて!!」

 わたしはクローゼットの中をあとずさった。

 すぐ奥に背中がつかえるはずが、なぜかするりとすり抜けて、わたしは後ろ向きに闇の中を落下していった。


「ひっ!」

 お尻が固いものに当たる感触。

 かなり長い距離を落ちたように感じたけれど、不思議と痛くはなかった。

 そっと目を開く。

 わたしは、メイズハウスの東屋あずまやにあるテーブルの前に座っていた。

 あの、屋根がくずれおちた廃墟の庭じゃない。わたしが夢で来たときと同じ、手入れの行き届いた庭だった。花壇は色とりどりの花でいっぱいで、迷路の生垣は青々とした葉っぱをつけ、空には雲ひとつない。


「ごめんなさい。ずいぶん、怖がらせちゃったわね」

 いつの間にか、テーブルの向かい側にメイズさんが座っていた。彼女の前には高級そうなティーセットが広げられている。

 もう、わたしには怖がる元気も残っていなかった。

「私はね、ミヅキ。あなたにわかってほしかっただけなのよ。運命は、決して変わらないということを。決められた流れに逆らおうとしても苦しいだけ。流れ着く場所が同じなら、つらい思いをするだけ損でしょう?」

 メイズさんがティーポットをかたむけると、温かそうな紅茶がティーカップに注がれてゆく。メイズさんの言葉は、その紅茶のように、ひび割れたわたしの心にしみこんでいった。

「だからわたしを信じなさい、ミヅキ。疑うことをやめて、考えることをやめて、私の言うとおりにしなさい。そうすれば、もう怖いことはなにも起こらないわ」

「……うん」

「いい子ね」

 もう、どうでもよかった。なんでもいいから早く楽になりたかった。

 メイズさんがにっこり笑って、紅茶のカップをこちらにさし出してくる。つんとする柑橘系のにおい。レモンティーだ。

 真っ先に連想したのは、お母さんの車についているレモンの芳香剤だった。はじめて夢でメイズさんと出会った日、わたしは夢の中でもそのにおいを嗅いでいた。転校初日のことだった。……もう、遠い昔のことみたいだ。

 あのときはよかった。まだ、みんな生きていたんだから。

(……ん?)


 なにかが引っかかった。


 深呼吸をする。またレモンのにおい。前より強くなっている。

(……これって)

 このにおいは、ティーカップからじゃない。

 うしろからだ。

 まるでひとつだけ欠けていた歯車がぴたりとはまったみたいに、猛烈な早さで頭が回りはじめる。心臓が跳ねて、こみかみがどくどくと脈打って、割れるように頭が痛くなった。

 心の中で、もうひとりのわたしが「もうやめて!」と叫んでいた。

 メイズさんの言うとおりじゃないか。考えるのをやめたほうが楽になれるじゃないか。

 でも、それはできない。

 ……だって……だって!

「さあ、ミヅキ。これで私のお願いを、きいてくれるわね」

 から、ころ、と、口の中であめ玉を転がしながら、メイズさんがにっこりと笑う。そして……言った。


「死ね」

「……ッ!」


 その瞬間。

 メイズさんの懐中時計が、がちがちがちがち、とけたたたましい音をたてた。

 ギョッとした様子で、メイズさんが懐中時計を手に取る。文字盤を覗いた瞬間、その形相が一変した。くちびるがめくれあがり、軟体動物みたいに濡れ光る歯茎はぐきがむき出しになる。

「おまえッ……」

 わたしはイスを蹴とばして立ち上がると、後ろを指さして叫んだ。

「メイズさん……見つけたっ!!」

 瞬間、のどかな庭園の風景がガラスみたいにひび割れた。隙間の奥で、赤黒いものがちらりと動く。


 わたしはその一点めがけ、お札を握りしめた手を、力いっぱい叩きつけた。

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