メイズハウスふたたび(3)

 わたしとユーシャンは、しばらく床に座りこんだまま、ハアハアと荒い息を続けていた。

 一分が経ち、二分が経った。けれどメイズさんは床に手足を投げ出したまま、ぴくりとも動かない。


「……やった」

 ユーシャンはようやく立ち上がると、わたしに手を貸して、立たせてくれた。

 わたしが、まだ状況についていけず口をぱくぱくさせていると、いきなりユーシャンに頭を下げられる。

「遅くなってごめん、深月。私のこと、殴っていいから」

「へ? え……な、なに? なんで?」

迷子小鬼メイズゥシャオグイが、私たちをバラバラにして襲うのは、予想してた。宮島真珠たちだって、これまでひとりずつやられてきたんだし。で、そうなったとき、先に狙われるのは深月だ。だって……」

「わたしは占いをやったけど、ユーシャンはやらなかったから。……だよね」

「そう。だから、それを持っててもらった」

 ユーシャンが指さしたのは、さっきもらった魔除けの鈴だった。

「鈴の音があれば、深月が屋敷のどこに連れて行かれてもわかる。迷子小鬼が深月を襲う、その瞬間しか、あいつの隙をつくチャンスはないと思ったんだ。……つまり私は、深月をおとりにした」

「お……囮。じゃあ、この鈴って」

「魔除けでもなんでもない。たまたま、私が家のカギにつけてたやつ」

 えええ。

「あいつがどこで聞いてるかわからないから、相談できなかった。でも……そのせいで深月を危険にさらした。本当に、ごめん」

 ユーシャンは頭を下げたきり、固まってしまっている。

 だけどわたしには、ユーシャンを怒ろうなんて気持ちはまったくわいてこなかった。

「謝らなくていいよ。だって、他に方法なんてなかったでしょ? わたしだって、ほら、ケガひとつしてないし」

「深月……。でも……」

「いいってば。ユーシャンの役にたてたなら、わたしもうれしいし。それより、すごくない!? ユーシャン、メイズさんをやっつけたんだよ。みんなを、助けたんだよ……!」

「……うん」

 ユーシャンはやっと顔をあげて、笑ってくれた。わたしもつられて笑顔になる。


 クスッ。


 クス、クス、クス、クス……。


「おめでとう。いい夢は見られた?」

 しのび笑いをふくんだ声。反対に、わたしたちの笑いは一瞬で凍りついた。

 メイズさんが、ゆっくり立ち上がろうとしていた。胸に貼りついた護符が、火にくべたみたいにみるみる黒ずんで、ボロボロになっていく。

「ウソ……。なんで」

「クスクス……。忘れたの、ミヅキ。私は未来を占えるのよ。おまえたちがなにを企んでも、どうせ私の手のひらの上……」

 完全に立ち上がったメイズさんは、燃えかすのようになった護符を胸から引きはがすと、懐中時計を手に取った。フタを開け、文字盤を覗きこむ。

「時間どおりね。さあスリー……ツー……ワン……」

「深月、逃げよう! こっち!」

 ユーシャンがわたしの手をひいて、廊下に飛び出した。そのまま、階段を駆けおりようとする。

「ゼロ」

 メイズさんが時計のフタを閉じる音が響いた。


 瞬間、目の前がまっ白に染まった。

 凄まじい大音響と一緒に、屋敷が揺れる。階段のガラスが粉々に砕けたかと思うと、天井が落ちてきて踊り場をぶち抜き、大穴を開けた。


「あっ!」

 ユーシャンが、いきなり目の前に口を開けた大穴へと、吸いこまれるように転げ落ちた。わたしは階段の手すりにしがみつきながら手をのばしたけど、かすりもしない。

「ユーシャン!」

 ごうごうという雨の音が、わたしの声をかき消してしまう。

 屋敷の屋根に大きな穴が開き、そこから雨が降りこんできていた。焦げくさいにおいがする。メイズハウスに雷が直撃したんだ。

 もしかしてメイズさんは、これがわかっていて……?

 わたしはぐらぐらする階段からおそるおそる身を乗り出して、下を見た。崩れてきた屋根のレンガや折れた木の柱が積み重なったガレキのすぐ横に、ユーシャンが倒れている。滝のような雨に打たれて、ずぶ濡れだ。


 まさか。

 まさか、そんな。


 わたしが最悪の想像をしそうになった瞬間、ユーシャンがぴくりと動いた。頭を振りながら起き上がると、上から見下ろすわたしに向かって、弱々しく手を振る。

 生きてる。よかった、生きてる……。

「待ってて! わたしも今、そっちにいくから……」

 わたしが、どうにか下に行く方法がないか探そうとした、そのとき。

 いつの間にかガレキの上に立っていたメイズさんが、ユーシャンに後ろから飛びかかった。

 赤いワンピースをはためかせながら、首のうしろにしがみつく。右手には、さっき落としたはずのかみそりが握られていた。


 ユーシャンは体をよじって床を転がり、メイズさんを振りほどこうとした。けれどメイズさんはがっちりくらいついて離れない。かみそりでユーシャンの首を狙う。

 ふたりはもつれあいながら床を転がった。

 ユーシャンの手が、ベルトにぶらさげていた消臭スプレーの容器に触れる。ユーシャンはそれを武器代わりにしてメイズさんに叩きつけようとしたけれど、かみそりの刃で受け止められてしまった。プラスチックの容器がまっぷたつになって中身が飛び散る。

 それまでだった。

 次の瞬間、メイズさんのかみそりが、ユーシャンの首に深く食いこんでいた。


 ぱっくり空いた傷口に、メイズさんは吸血鬼のようにしゃぶりついた。なぜか一滴も血が出ない。その代わり、顔を上げたメイズさんの口には、金色の飴玉あめだま――ユーシャンの命から作ったタンがくわえられていた。

 ユーシャンの体から力が抜けて、床にぐにゃりと横たわる。

 メイズさんはゆっくり身を起こすと、わたしを見上げて、口だけで笑った。


 もう限界だった。


 わたしは泣き叫びながら四つんばいになって階段をのぼると、近くにあった客室のひとつに転がりこんだ。

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