命をしゃぶるもの(2)

 養小鬼ヤンシャオグイとは、死んだ子供の霊――小鬼シャオグイを使う魔術のことだ。

 死んだ子供の血や骨を土に練りこんで人形を作ると、そこに小鬼シャオグイがとり憑く。そして持ち主に、さまざまな幸運を運んできてくれるという。

 同じようなものはアジアのあちこちに古くから伝わっていて、タイではクマントーン、マレーシアではトヨル、カンボジアではコンクロと呼ばれている。さらに昔は人形ではなく、死んだ子供の体そのものをミイラにして保存していたらしい。

 そんなことが淡々と書いてあるのを読んで、わたしは体じゅうに鳥肌が立った。


 養小鬼ヤンシャオグイには、大切なルールがふたつある。

 ひとつは、三年経ったら人形を処分して小鬼を成仏させてあげること。そうしないと小鬼シャオグイが悪霊に変化して、幸福どころか災いを運んでくるようになる。

 もうひとつは、ある程度成長してから死んだ子供を、小鬼シャオグイにしないこと。生まれてから長く生きた子供は、それだけ死んでグイになった後の力も強くなるのだけれど、強いグイを手元に置いておくのは、それ自体が危険なことらしい。

 そして迷子小鬼メイズゥシャオグイは、そのルールをふたつとも破って作られた人形だった。


 人形の元になったのは、事故で死んでしまった小学生くらいの女の子だったそうだ。

 女の子の父親は、ユーシャンのひいおじいちゃんと同じ、道士だった。自分の娘と別れることに耐えられなかった彼は、秘術を尽くして、養小鬼ヤンシャオグイのための人形を作ろうとした。三年経っても娘が悪霊になることのない、特別な人形を……。

 果たしてその後、道士が望みどおりの幸せな日々を過ごせたのかどうかはわからない。

 ただ、その道士が病気で死んでからは、いろいろな人が迷子小鬼メイズゥシャオグイを欲しがった。小鬼シャオグイが父親から学んだ奇門遁甲きもんとんこうの占いを使い、どんな未来でも教えてくれるという噂が広まったからだ。


 三次氏もまた、そんな噂を聞いたひとりだった。

 彼はさまざまな人のところを訪ね歩いたすえ、大金を払って、ようやく迷子小鬼メイズゥシャオグイを手に入れた。

 そして終戦と同時に日本へ帰ってきた三次氏は、さっそく迷子小鬼メイズゥシャオグイの力を使ってお金を稼ぎはじめたのだ。

 未来を教えてくれる迷子小鬼メイズゥシャオグイがあれば、手元に残ったわずかなお金から大きな財産を築き上げるまで、そう時間はかからなかった。

 三次氏は、あらゆることを迷子小鬼メイズゥシャオグイの占いで決め、人形を「メイズゥさん」と呼んで大切にした。悩んでいる人がいれば、迷子小鬼メイズゥシャオグイを使った占いの会に招待し、どうすればいいかアドバイスしてあげたりもした。アドバイスをもらった人々は感謝し、三次氏の味方になってくれた。

 奥さんをもらって子供が生まれ、北斗ヶ丘の土地を買って大きな屋敷を建てる。なにもかもうまくいっているように思えた、ある日……不幸な事件が起きた。

 奥さんが、屋敷の裏の崖から落ちて死んでしまったのだ。

 普通なら起きるはずのない、どこか不自然な事故だった。

 その事故がきっかけで、三次氏は恐ろしいことに気がついた。

 日本に帰ってきてからというものの、自分の身の回りで、おかしな事故で亡くなった人が大勢いる。運悪く落下物に当たったり、普段は使わない道をたまたま通ったせいで事故にあったり……ひとつひとつは偶然で片づけられても、それが何十人もいるとなったら話は別だ。

 しかも、そうやって亡くなった人はすべて、迷子小鬼メイズゥシャオグイの占いに参加したことのある人ばかりだった。


 三次氏は、これは迷子小鬼メイズゥシャオグイのしわざだと直感し、台湾のウー道士に連絡をとった。このままでは自分自身や、まだ小さい娘(つまり、わたしのおばあちゃん)まで危ないと思ったからだ。

 日本にやってきたウー道士は、恐ろしい真実を教えてくれた。

「あの人形にとり憑いたグイは、とっくに悪霊になっている。人形を作った道士の工夫は失敗だったばかりか、娘を、ただのグイよりもはるかに恐ろしい怪物へと育て上げてしまったのだ。あれは人間を殺してその命をタンに変え、食べて自分の力にしている。それだけではない。人を恐怖に陥れ、殺すことを遊びのように楽しんでいる。……あれは、命をしゃぶるものだ」

 タン、というのは仙人が口にするという、不思議な力を持つ薬のことらしい。

「あの鬼はタンを食べれば食べるほど強大になり、より多くの人間を殺すだけの力を得る。そうやって殺した人間の命をタンにして食べれば、ますます手がつけられなくなるだろう。そうなる前に、止めるしかない」

 ウー道士は自分の血を使って奇門遁甲きもんとんこうの力を打ち消す護符ごふ(お札)を作り、三次氏とともに、迷子小鬼メイズゥシャオグイに戦いを挑んだ。

 そして、あの屋敷の三階に封じ込めたのだ。

 ウー道士が台湾に帰ってからも、三次氏はひとりで屋敷に残り、迷子小鬼メイズゥシャオグイが復活しないよう見張り続けることにした。

 今は、風水師ふうすいしという人たちに協力してもらって、様々なまじないをしかけた生垣の迷路を作っている。もし迷子小鬼メイズゥシャオグイが封印から逃げても、そこでストップできるように……。


 手帳のメモは、そこで終わっていた。

 そのあとなにが起きたのか、わたしにはわかる。

 三次氏とウー道士は、迷子小鬼メイズゥシャオグイのことをちゃんと子孫に伝えないまま亡くなってしまった。三次氏がいなくなったあと、屋敷は廃墟になり……せっかく作った生垣の迷路も、枯れて役に立たなくなってしまった。

 呪いに引き寄せられてユーシャンとわたしが北斗市にやってきたのは、迷子小鬼メイズゥシャオグイ――メイズさんにとっては絶好のタイミングだった。

 そして自由になったメイズさんは、また、人間の命を食べはじめたんだ。きっと、封印されていた間に失った力を取り戻すために……。

 かちかち、かちかち……。

 なにか聞こえると思ったら、それはわたしの歯が鳴る音だった。

 わたしは、恐ろしいことに気づいていた。この手帳に書いてあることが正しいのなら……今日、絵美ちゃんがやったのは、絶対にしてはいけないことだ。

「……やばいんじゃないの」

 ユーシャンも、わたしと同じことに気づいたみたいだった。

「うん……占いをやったことのある人を、メイズさんがターゲットにするんだとしたら……。絵美ちゃんは利用されたんだよ。クラスのみんなに、占いを広めるために」

 もちろん、絵美ちゃんたちにチャットを送った若菜ちゃんも同じだ。状況はわからないけれど、メイズさんの思いどおりに動かされていたとしか思えない。

「昔は話の広がる速さなんて大したことなかったけど、今は、一度ネットで広まりはじめたら止められない。最悪、世界中の人間が迷子小鬼メイズゥシャオグイのエサにされる」

 ユーシャンは低い声で言うと、拳をぎゅっとにぎった。

「そうなる前に、止めないと」

「止めるって……」

「私が、もう一度あいつを封印する」

「できるの!?」

「もちろん私は道士じゃないから、術なんてぜんぜん知らない。でもばあちゃんが、ひいじいちゃんの遺した護符を見つけてくれた。土曜にエアメールで送ってくれたから、明日には届くはず」

「そんな……」

 無理だ。いくら護符があっても、それだけじゃ……。

「ユーシャンがやるなんて無理だよ。誰か、大人に相談して……そうだ。台湾には他にも、道士っていう人がいるんでしょ? その人たちに来てもらえばいいじゃん」

「普通の大人がこんな話、信じてくれると思う? 全部の道士がグイを丸ごと信じてるわけじゃないし、そもそも、私の親戚にはもう道士なんていない。別の誰かを探してる時間もない。ぐずぐずしてたら、クラスが全滅する。それに……」

 ユーシャンはぎゅっと眉を寄せると、わたしの顔をまっすぐ見た。

「深月。わかってるよね。あんたも占いをやったってこと」

 もちろん、わかっていた。

「でもメイズさんは、わたしとユーシャンには手を出さないって……」

グイの口約束なんて信用できるわけない。それに私は、自分さえ助かれば、他人は死んでもいいなんて思わないから」

「ユーシャン……」

 やっぱりユーシャンは強い。

 それに比べて、わたしはなんてズルいやつなんだろう。

 そもそもわたしが悪いんだ。道に迷ったとか、テストがわからないなんてくだらない理由でメイズさんに頼らなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。

 なのに……あの恐ろしいメイズさんと戦うくらいだったら、自分とユーシャンだけでも助かりたいと、どうしても、心のどこかではそう思ってしまう。

 わたしって、最低だ。

 そう思うと、わたしの両目からは熱いしずくがぼろぼろとこぼれた。

「深月が泣くことないよ」

「……でもっ」

「私だって、別にいいヤツじゃない。……もちろん、死ねとまでは思ってなかったけど……宮島真珠や倉橋ゆにのことは、今でもキライだ。見て見ぬふりした、クラスのやつらだって」

「じゃあ……どうして……」

 ユーシャンはくすっと笑うと、こぶしの先で、わたしの胸を突いた。

「深月はこの前、私を助けてくれた。自分だって、イジメられるかもしれなかったのに。……私は、そういう深月の友達として、恥ずかしくないヤツでいたい」

 自分の顔が、みるみる真っ赤になるのがわかった。

 なにか気の利いたことを言い返したかったのだけど、言葉が出てこない。

 口をパクパクさせていたら、窓の外から、車のクラクションが聞こえてきた。それを聞いて、ユーシャンが立ち上がる。

「母さん、迎えに来てくれたみたい。……じゃあね、深月。あとは任せて」

「でも、ユーシャン……」

「大丈夫。私は占いをやってない。あんたこそ、気をつけて」

 力強い足どりで部屋を出て行くユーシャンを、わたしは追いかけることも、引きとめることもできなかった。

 そうした瞬間、また、わたしの後ろにメイズさんが立つんじゃないかと思うと……情けないけれど……怖かったのだ。

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