女王の転落(3)

 水をぱんぱんに詰めたビニール袋を、力いっぱいコンクリートに叩きつけたような、ものすごい音がした。一瞬遅れて、女子たちの悲鳴があがる。


 わたしはどよどよと中庭に人が集まっていく気配を感じながら、石になったみたいに、なにもない空中を見つめ続けていた。

 見たくない。下がどうなったかなんて、確かめたくない。

 そう思っているのに、目玉が磁力にに引っぱられたみたいに勝手に下を向いていく。

 とうとうその磁力に抗いきれなくなったわたしは、のろのろと窓枠に手をかけ、もう一度、下を覗きこんだ。


 集まってきた生徒たちで、中庭はアリの巣をつついたような騒ぎになっていた。

 その中心は花壇だ。駆けつけた先生のひとりが手をふり回し、野次馬の生徒たちを必死に追い返そうとしている。

 花壇にしゃがみこんだ別の先生の陰から、だらんと伸びた白い脚が見えた。

 その脚を伝うようにして赤黒い液体がじわり、じわりと広がってゆき……花壇のふちから、地面に流れ落ちる。流れてくる液体を踏みそうになった男子があわてて飛びのき、そこだけぽっかり空間があいた。


 そこに、赤いつば広帽をかぶった女の子が立っていた。


 明らかに場違いなのに、誰もその彼女のことを気にしていない。

 その子は目の前に流れてきた液体の前にしゃがみこむと、そこからなにかを拾い上げ、まるでわたしに見せつけるみたいに、頭上にかざしてみせた。

 それは、ぬらぬらとした赤い液体にまみれた、金色の飴玉あめだまだった。

 三階ぶんの距離があるはずなのに、わたしにはそれがハッキリと見えた。女の子は赤いくちびるを開くと、飴玉をパクリと口にふくむ。

 目の前の景色がぐらり、と斜めに傾いた。


 わたしは窓枠から離れ、よろよろと後ずさった。その背中が、なにかに触れる。

 思わず足元に目をやると、自分の両足の間から、すぐ後ろに立つ、別の誰かの足が見えた。赤いワンピースのすそからすらりとのびる、サンダルばきの足。


「ひっ」

 恐怖で、全身の血が逆流する。

「……ね? 真珠のこと、これで片づいたでしょう?」

 背中で、笑いをふくんだメイズさんの声がした。言葉の合間に、から、ころ、と、飴玉を転がす音がする。

 わたしは息をすることもできなかった。

「クスクス。そんなに怖がらなくていいじゃない。あなたとユーシャンには、なにもしないと言ったでしょう? ……だって、もう用済みなんだもの」


 用済み。


 その言葉は、ユーシャンの家でわたしたちが出した結論を裏づけていた。

 やっぱりメイズさんはあの箱から自由になるために、わたしたちを利用していたんだ。呪いの力を使ってこの北斗市に引き寄せ、そして……。

「人間の運命は時計の歯車だと、この前言ったわね。でもあなたたちには、もっといいたとえがあったわ。撞球ビリヤードよ。ウー・ユーシャンという的玉をテーブルの上に持ってくるまではうまくいったけれど、私にはそれ以上、手を出すことができなかった。……あのいまいましい道士の血が、私のつけた印に抵抗していたから」

 がり、と飴玉を噛む音がする。

「でもそこに都合よく、あなたという手玉が転がりこんできた。……ミヅキ。私はあなたを突いて転がし……真珠やゆににぶつけて、盤面を動かした。真珠の動きは再び、あなたを突き転がし……最後には、ユーシャンを私のポケットへと押しこんでくれたというわけ」

 氷のように冷たい指先が、わたしの背中を突く。

 たちまちヒザの力が抜け、わたしはその場にへたりこんでしまった。

「あなたたち、ずいぶん昔のことを知りたがっているみたいねえ。こんなものまで引っぱり出して……」

 黒いものが視界のすみでヒラヒラ揺れる。それが、今朝見つかったひいおじいちゃんの手帳であることに気づいて、わたしはギョッとした。カバンに入れてあったはずなのに。

 ビリビリとページを破り取る音がして、目の前をパッと紙吹雪が舞った。

「ああっ!」

 あわてて手を伸ばしたけど、ページはみんなわたしの手をすり抜け、開いたままの窓から飛んで行ってしまう。メイズさんがクスクスと笑う。

「じゃあね。わたしに聞きたいことがあれば、こんなものじゃなく占いを使いなさい。まいまい迷子の、お嬢さん……メイズさんの、言うとおり……」

 サンダルの足音が遠くなっていく。

 ぽつり、ぽつりと降りはじめた雨がみるみる激しさを増し、廊下にしゃがみこんだわたしの肩を濡らしはじめた。

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