運命の歯車(3)

 帰りのバスはガラガラで、乗客はわたしとユーシャンのふたりだけだった。

 さすがに疲れたのか、ユーシャンは窓にもたれて眠っている。わたしもバスの揺れが気持ちよくて、背もたれに頭をあずけてうとうとしていると……。


「ミヅキ」


 後ろから名前を呼ばれた。

「なあに? ユーシャン」

 ユーシャンのほうを見たけれど、彼女は同じ姿勢のまま動かない。まだ眠っているみたいだった。それにユーシャンが呼んだのなら、声は横から聞こえるはず……。


「ミヅキ。私よ」


 クスクスクス……。


 その笑いが聞こえた瞬間、わたしは全身の血が一気に凍りついたような気がした。

「メイズ……さん?」

「あたり」

 クスクス笑いに混じって、カラ、コロ、という小さな音が聞こえる。口の中で転がした飴玉あめだまが、歯に当たってたてる音だった。

「昔のことをずいぶん熱心に調べていたじゃない。まいまい迷子のお嬢さん……なにをそんなに知りたいの?」

「わ、わたしは……」

 喉がカラカラになって、それ以上言葉が出てこない。

 初めて、メイズさんのことを怖いと思った。

 メイズハウスでの不気味なできごとがあったから、だけじゃない。これまで夢の中の存在だったメイズさんが、現実で話しかけてきたのは――動物園の水槽の中にいるからと安心して観察していたワニが、気づけば自分のすぐ隣にいたような、そんなゾッとする感覚だった。

「どうして……。夢じゃないのに……」

「クスクス。なにをそんなに怖がっているの。心配しなくても、なにもしないわよ。あなたたちは、私を自由にしてくれた恩人じゃないの」

「自由……に?」


 メイズハウスの人形。木箱を封印するみたいにして貼られていた、あのお札。


「じゃあ、やっぱり……」

「そうよ。あなたが見たのは私のカラダ。ずっとあそこに閉じこめられていたの。でも、あなたたちのおかげで、ようやく外に出られた。これでもう、どこにでも行けるし……お腹いっぱい食事もできる」

 カラ、コロ、と飴玉の音。

 なにを食べているんだろう。わたしは、やけにそれが気になった。だけど、それを確かめるには後ろの座席を振り向かないといけない……。

「……わたしをだましたの?」

 心臓が、ロックバンドのドラムみたいに鳴りはじめていた。

「メイズさんは、わたしたちにあの箱を開けさせたかったんでしょ。だから昨日、真珠ちゃんたちに追いかけられたとき、わたしたちをメイズハウスまで誘導したんだ。友達になろうって、言ってきたことだって……最初から……」

「クス、クス、クス。運命というのはね、ミヅキ。時計みたいなものなのよ。ひとりひとりの人間は、時計を動かす歯車にすぎない。たとえ、あなたが自分の意思で行動していると思っていても、結果はすべて決まっているの」

「質問に答えて……!」

「私が言いたいのはね、ミヅキ。あなたとユーシャンは、いずれあの箱を開ける運命だったということよ。私は、それが少し早まるように、歯車を調整しただけ……。それに、あなただって得をしたじゃないの。迷子のあなたに道案内したり、テストの答えを教えてあげたりしたでしょう? 私だって、少しは得をする権利があるはずだわ」

「だけど……」

「あなたが気にしているのは、真珠のこと? なら心配は要らないわ。どうせすぐに片がつくもの。だから……ねえ、ミヅキ。これからもお互い、仲よくしましょう?」

 囁き声とともに、氷のように冷たい吐息が、座席の隙間から吹きつけてくる。

 わたしがイスから飛び上がったのと、肩を強い力でつかまれたのは、同時だった。

「……深月!!」


 振り向くと、ユーシャンが心配そうにわたしを覗きこんでいた。

「ユ……ユーシャン。そ、そこに……そこにメイズさんが」

「しっかりして深月。あんた、ひとりでずっとしゃべってたんだよ。私が話しかけても、ぜんぜん反応しないし……」

「え? ……あれ?」

 覗いてみても、後ろの座席には誰もいなかった。

 夢を見ていたのかな……。

 そうも思ったけれど、メイズさんの吐息をあびた首筋は、それからもしばらく、鳥肌がたったままだった。



 次の日。土曜日。

 昨日まで元気いっぱいだった夏の太陽はどこかに隠れてしまい、朝からシトシトと陰気な雨が降っていた。

 待ち合わせ場所にやって来たユーシャンまで、心なしか顔が青ざめてみえる。

「ユーシャン、どうかしたの」

「うん。……ばあちゃんからのメール、読んだんだけど……いや。見せたほうが早い。とりあえず来て」

 と、さっさと歩きだしてしまう。

 わたしは寝不足のフラフラした足どりで、ユーシャンを追いかけた。

 またメイズさんが現れるかもしれないと思うと怖くて、昨日はよく眠れなかったのだ。



 当たり前だけれど、ユーシャンの家はごく普通のマンションの一室で、これといって台湾っぽいところはなかった。それらしいところと言えば、家の中にある本や雑誌が日本語のものと台湾の繁体字はんたいじで書かれたもの、両方ごたまぜになっていることくらいだ。

 ユーシャンの性格どおりにムダなくスッキリした部屋には、大きなパソコンがあって、写真を見るためのアプリが起動しっぱなしになっている。

 画面に表示された写真には、漢字のびっしり書かれた、手帳のページが写っていた。相当古いものみたいで、紙は黄色く変色している。字も手書きで、かなり読みにくい。

「……これが?」

「そう。私のひいじいちゃんの日記。ばあちゃんに頼んで、日本に来たときのことが書かれてるページを探してもらった。で……」

 ユーシャンは口ごもった。いつもはハッキリものを言うのに、珍しい。

「どうしたの」

「……イヤなことが書いてあった。深月は知らないほうがいいかもしれない」

 一瞬、昨日メイズさんが現れたときのことを思い出して、背筋が冷たくなった。

 ……だけど。

「教えて。わたし、知りたい。知らないままなんて……もっとイヤだし」

「……わかった」

 ユーシャンは頷くと、写真を指さしながら説明をはじめた。

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