馬車の中から、大通りを見る。

楽しそうに行きかう人々の姿に、笑みを作る。


「ハルティアお嬢様、今日は本当にありがとうございます」


大通りからアーニャに視線を向けると、ほんのり頬を染めうれしそうに笑っていた。


「アーニャがそこまで喜んでくれるなんて、誘って良かったわ」


わたしの言葉に、少し恥ずかしそうに笑うアーニャ。


「ちょっとはしゃぎ過ぎましたね」


「ふふっ。この馬車には、わたしとあなたしかいないのだから問題無いわ」


アーニャと二人。

楽しい時間を過ごしながら目的の場所に向かう。


楽しい?

えぇ、本当に楽しいわ。

これからのことを考えると。


ただ、少しだけ不安なことがある。

アーニャと話題の俳優が出会うのは、実は一月後なのよね。

一月早めることで何が起こるのか。

もしかしたら、アーニャが話題の俳優に一目惚れをしない可能性もある。

そうなった場合のことも考えているけれど、少し面倒なのよ。


だから今日、アーニャには一目惚れをしていただきたいわ。

わたしも、少しだけお手伝いをするつもり。

そのためには、正面から堂々と劇場に入ることが重要なのだけど、人が多いわね。


「ハルティアお嬢様、正面は混んでるようですが、どうしましょうか?」


アーニャが窓から劇場を確認して、わたしを見る。


「そのまま行きましょう。きっと大丈夫よ」


第二王子の婚約者である家の家紋を見たら、劇場関係者が対応してくれるから。


「あっ、劇場の方から人が来ました」


ほらね。


「そうね」


劇場の正面に誘導してくれるかしら?

ふふっ、大丈夫そうね。

馬車の進む方向を見て、笑みが自然と出る。


「そう言えば、ハルティアお嬢様。話題の俳優で人気が出たのか、この公演は延長が決まったそうですよ」


「そうだったの? それは知らなかったわ」


知っているわ。

だって、その延長公演でアーニャは一目惚れをしたのだから。


馬車が止まると、周りの視線を集めているのに気付いた。

不穏なものではないので、気にせず馬車から降りる。


ゆっくりと劇場に進むと、周りが少しざわついた。

扇子で口元を隠し、周りをそっと窺う。


わたしから挨拶が必要の者はいないわね。

よかった。

それぞれに合った挨拶は、面倒なのよね。


「ハルティアお嬢様、注目されていますね」


「きっと、第二王子殿下の婚約者だからですわね」


優しく見える笑みを作り、アーニャに応える。


「そんな! ハルティアお嬢様がお綺麗だからです」


「まぁ、ありがとう。うれしいわ。アーニャは、可愛らしいわよね」


「お、お嬢様! 揶揄わないでください」


赤くなったアーニャと、楽しそうに笑うわたし。

とても仲良く見えるのでしょうね。


「失礼いたします。少しお時間を頂けないでしょうか?」


劇場に入ると1人の男性が、わたしに声を掛けた。

男性に視線を向けると、グレーの髪をきっちりの固めた男性がいた。


あら、会いたかった方が来てくださったわ。


「ハルティアお嬢様に何か御用ですか?」


アーニャがわたしの前に立つと、鋭い声で質問する。

男性は、にこやかな表情でアーニャを見る。


「ようこそいらっしゃいました。わたしは、この劇場の支配人をしているギュータスと言います。ルーツ公爵令嬢様にご挨拶をしたく、声を掛けさせていただきました。ご無礼をお許しください」


支配人のギュータスよね?

どうしてかしら、以前会った彼とは印象が違うわ。

彼は、もう少し冷たい印象だったと思う。

別人?

いえ、それは無いわね。

きっと、わたしの思い違いね。


「許すわ、ギュータス。今日は話題の俳優が出ている舞台を見に来たの。楽しみだわ」


「そうでしたか。それでしたら、その俳優に公演後に会えるよう手配しておきましょうか?」


「ありがたいけど、迷惑を掛けてしまうから遠慮しておくわ」


「いえいえ、ルーツ公爵令嬢様が見たと話題になれば、もっと多くの方々が注目してくれます。ですので、遠慮などなさらないでください」


わたしの言葉に、笑みを深くしたギュータス。


「そう? それならお願いしようかしら」


「お任せください。では、お席に案内いたします」


こちらですと、彼が先頭を歩きだす。

周りを確認しながら着いて行くと、特等席に案内された。


「どうぞ。こちらをお使いください」


舞台の位置を確認してから、ギュータスに向かって笑顔を作る。


「ありがとう。いい席ね。とても気に入ったわ」


ギュータスは「公演が終わりましたら、迎えに来ます」というと、足早に戻って行った。


「話題の俳優と会えるんですね。楽しみですね」


アーニャのうれしそうな笑みに、わたしも楽しそうに笑う。


時間になり、舞台の幕が上がる。

話題の俳優が出て来ると、会場にいる女性たちから声が上がる。


本当に人気なのね、トラス・カーシュ。

彼は、隣国から送られて来たスパイなのに。

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