第6話 頭痛

 八度目の転倒は、石突きによる突きだった


 内臓がひっくり返るような一撃を受けた彼は後ろに弾かれ、八度目の柵との接触を果たした。ずるずると崩れそうになる体を必死に支える。


 倒れたとしても問題があるわけではないが――倒れたら二度と立てない気がした。


 ごぼり、と口から吐瀉物が流れ出す。


 膝が崩れた、すでに足が震えてる。


「お前、自分の焦点具も取り上げられたそうだな!それでなぜ挑んだ!?とうとう頭までイカレたか!」


 そう言って笑うトライデントの男の言葉に上がった焦点具とやらが何なのか、彼にはよくわからない。


 わからないが戦闘に絶対的に必要な物だったのだろう、そして今、自分はそれを持っていないのだ。


『そういうのがあるなら教えてくれよな……誰に言ってんだ?』


 自分の思考に突っ込みを入れたとしても状況が好転したりはしない。


 自分はこの世界での戦い方を何一つ知らず、おまけに体は絶不調だった。


 昨日から何も食べていないせいですでに目が回り始めている。吐き気もひどい。謎の頭痛のひどさはこちらに来てから最高潮に膨れ上がっている、何より――


『体の勝手が……!』


 違いすぎる、最初の一発の時は気にしないことにしていたがこの体は前世の物に比べて格段に反応が鈍い――おまけに手足の力は平常時の三割ほどだ。


「ほら、どうした?ボロボロじゃないか、あきらめたらどうだ?」


「――断る。」


 確かにふらつく体はもう言うことを聞きそうもない、足は勝手に震え出している――ただ、どこかで誰かが言っていたようにそれは別に何かをしない事の言い訳にはならないし何かをしない事の言い訳にするべきでもない。


 何時だって準備万端で問題を迎え撃てるわけではないのだ、できる事はぶっつけ本番でうまくいかせる事だけ。


「――なら死ぬしかないな。」


 酷薄な声が響いて、鉄道にでも引かれたのかと思うほどの衝撃が彼の体を押した。


 体が彼の意志に反して横薙ぎに飛んでまた柵にぶち当たって止まる。


『……まずい  意識が 持たん……』


 明滅する意識の中で、再三繰り返してきたように立ち上がろうと腕に力を籠めて――


「――もういいよ、兄さん!」


「――n?あー………君…か。」


 そこにいたのはこの体の主の妹――だった


「すまんね……君のお兄さんの体、ここ……までぼろにす……る気も……なかったんだが……」


「そんなこと言って場合じゃないよ!?死んじゃう!」


「さすが……に殺しはせんだろ……傷は……申し訳ない、どうにか治すように……するから。」


「そんなこと言ってるんじゃ……何でそこまでするの!?」


 ほとんど悲鳴のように彼女が言った。足音が近づいてきている、早く立つ必要があった。


「何故と……言われてもな……君のお兄さんなら……そうするだろう。」


 日記から読み取った彼の心境は常に彼女を守ることに心血を注いでいるように見えた。だから、自分はあきらめるわけにはいかない。

 人から人生を奪っておいて、何の責任も取らなくていい法などないのだ。


「だって……私、貴方の妹じゃない――」


「――だとしても。」


 かぶせるように言う、それ以上彼女に言わせるわけにはいかなかった。

 一体だれが愛した人間の死を自分の口から告げたいと思う?


「――だとしても……この体は君のお兄さんの物で、君は彼を……信じてる。僕が彼の人生を奪ったって言うなら……僕はその責任を取らなきゃいけない。」


「責任……ってそれは気にしなくていいって!」


「違う、ちがう……罪悪感とかじゃないんだ……ただ……ただ、君のお兄さんは……君を助けようとした、それは……とてもいいことだと僕も思う……だから……それを僕が入ったから……なんてくだらない理由で台無しに……するなんて――」


「そんなことは許されない。」と彼は両ひざに力を入れた、足音は――近づいていない、こちらを見て笑ているのだろう。


「罪悪感じゃない……ただ……ただ助けて……やりたいんだ。」


 荒い息を吐く、


「彼が……やりたかったことを……これからや、ろうとしてたことを……きみのために……するって決め……てたことを……手伝ってやりたいんだよ……君らはすごく……いい人だから……」


 そのうちの一つがこれなら、彼は立ち止まるわけにはいかない。


「それに――」


 フッと笑みがこぼれる、結局、馬鹿は死んでも治らない。


「――性分なんだよ……今更、変えられない。」


 そう言ってたたらを踏みながら立ち上がろうとして何かが落ちた。


「ん……」


 淡い緑色の結晶――あのヒスイの勾玉だ。


「……」


 一瞬それを眺めて――手に取った。


 今ここにいるべき人間の残したものが自分に力を与えてくれるはずだと信じて、それに触れる――


「!?」


 ――瞬間、頭痛が先ほどまでと比較にならない程ひどく、鋭く脳を貫いた。


 とっさに頭を押さえる。


 あふれだしたのは、彼の知らない記憶と――彼の知るはずのない知識だ。


 それは遠き領域の英知、語られないおとぎ話、誰にも知られない裏設定……もしくは、世界が認めていない新しい力の目覚め。


 はその体に眠る、永久の宇宙のように広がる精神の中から、一縷の『可能性』を引き出す存在。遠き世界の光でも闇でもない場所から現れる物。


 こことは違う法則性の中で生まれる力の一端――それを扱うもの。


 矢継ぎ早に現れては消えるそれらは彼の中に眠る力の『説明書』だった。


 あふれだす過去が彼にささやく――これは越えられない試練ではないと。


 過ぎ去っていく未来が笑う――自分はこれを乗り越えたと。


 今、ここにいる自分は――越えてやると覚悟を決めた。


 現世に復帰した意識が警鐘を鳴らした。


 ヒスイから視線を相手を見る。


 すでに槍は振りかぶられている、時間はない。


 はじかれたように体が動き、彼の手の中のヒスイを胸に押し当てた。


 彼の中に注がれた知識がそれが最も『安定する使い方』だと伝えていた。


 槍が迫る――もはや髪の毛一本分の隙間しかない穂先を感じながら、少年は冷静だった。


 注がれた知識に従って彼の口が動き、発動のために必要な言葉を紡いだ、曰く――

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