第5話 理由
「――棄権して。」
そう言って銀の少女はこちらをにらんだ。
「無理だよ。」
「なんで!貴方じゃ勝てないよ!?」
「そうかもしれない。」
悲痛に叫ぶ少女が叱責するように彼に言う。おそらく、本当に勝てないと思っているのだろう。
確かに、本格的な兵士の訓練を受けている人間に勝てる自信はない。
が――
「悪いが無理だ。」
「なんで!兄さんの体なんだよ!?」
「だからこそだ。」
「へっ?」
「僕は君のお兄さんの人生に責任がある、果たさないといけない。」
「……」
その一言に、彼女が何を思ったのかはわからない。ただ、言葉に詰まったように黙る彼女は自分がとめられないと思ったらしい。それ以上棄権を進めてくることはなかった。
「――ああ、そうだ。」
思い出した様に彼は肩にかけたままになっていたカバンを渡した。
「なに、これ?」
「君のお兄さんの日記だ――僕には持ってる資格がないから。」
「――!」
驚いたように彼女はそのかばんを見つめた。
その様子を見ながら、彼は歩き出す、中庭の一角にあるらしい、決闘用の舞台ではすでに先ほどの無礼な生徒が待っている事だろう。
「待って!」
「ンぁ?」
総背後から声がかかった時、すわ、彼は何かを渡し忘れたかと、自分の記憶をたどった。たぶん、問題ないはずだが――
「――なら、これ持って行って。」
「――これは……」
そう言って彼女の手に握られていたのは、淡い緑の結晶――あのヒスイの勾玉だった。
「兄さんが言ってた、『自分には力があって、これはそれを導いてくれる』って、だから――持って行って。」
「いや、でもこれは――」
君のお兄さんの物だ、そう続けようとした彼の目を、猫目石の瞳がまっすぐに見つめていた。
「――まだ、兄さんがどうなったのかはわからないし、なんで貴方がそこに居るのかもわからない、でも、貴方がそうしたくてしてるわけじゃないのは……分かった気がする。」
「だから」と彼女はつづけた。
「無理しないで、危なくなったら逃げて。その体は兄さんの物だし――あなたが傷付いてもいい理由もないんだから。」
そう言われたとき、彼の覚悟はもう確固たるものになっていた。
「――わかった、ありがとう。」
そう言いながら、彼は舞台に上がった。
決闘用に作られた、中庭の広場。周りから一段下がったそこは周りの生徒が見物をするためなのか、柵のようなもので仕切られていた。
どうやら何かしらの魔術的な措置がされているらしい。よくよく見れば柵には象形文字のようなものが彫られているのが分かった。
それなりの広さを確保されたそこにはすでに一人の男が待っていた。
「――よく来たな負け犬。逃げなかったことは誉めてやろう。尻尾を巻いて逃げるかと思っていたよ、それとも巻き方も忘れたのかい?」
腕を広げてあざける男を見て呆れたように肩をすくめたクロノスの姿の少年は鼻で笑うように言い返した。
「君はずいぶんと饒舌だな。弱い犬ほどよく吠えるって言うが……」
その一言がどの程度、逆鱗に触れたのかは定かではない、が、相手の顔がゆがんだのは間違いなかった。
「口の減らない奴め……!いいか、どちらかが立てなくなるまで続けるぞ。」
「わかった。」
忌々しそうにつぶやいた男が大仰に腕を振り上げると、審判役の生徒が「用意!」と声を張り上げた。
ゆっくりと構えを取って――直後、突然面前で繰り広げられた不可思議に目をむいた。
何がどういう理屈かはさっぱりわからないが彼の腕には先ほどまでついていなかった謎の装甲が付いている――それはサメの様に見える鱗でできた手甲で手には長物である三又の槍、トライデントが握られている。
『……なるほど、貴方じゃ勝てないか。』
明らかに通常の物理法則に反しているような物体の出現を目の当たりにして、彼はここがファンタジーであることを再認識した。
「おや、君は使わないの――ああ、持ってないんだったね。」
「もしくは持ってるけど君相手に使う気がないのかだな。」
「――ほざけ!」
叫ぶや否や、彼は駆け出す――一瞬遅れて「始め」の合図が鳴った。
『フライングとは……』
冷めた目でその動きを見た彼は、その動きを見極めるように目を細める。
その動きは驚くほど早い。十歩はかかるだろう距離をわずか四歩で詰めた男は驚くような速さで槍を突き出す。
風すら超えるように突き出された槍は唸りをあげて襲い掛かる。
『早っ……』
それを受け流す事に成功したのは半分の運と積み重ねた修練のおかげだった。脳裏で浮かんだ動きを避けるように体をそらすとぎりぎりの予測はぎりぎりの回避を生んだ。
一撃で決めるつもりだったのだろう驚愕に満ちた顔を横目で見ながら小脇に槍を抱えて引き寄せながらの膝蹴り、並の人間なら一撃で行動不能にできる一撃――
「――!?」
それの効きを確認するよりも早く体が横に振られて投げ出された。
ごん!と痛々しい音を響かせて地面でバウンドした彼は舞台から落ちるぎりぎりで踏みとどまった、痛みを無視し、振り上げた顔に映ったのは――
『――無傷?』
悠然と立つトライデントの男の姿。
可笑しい、明らかに手ごたえがあるのに攻撃が効かない。
あの威力だ、薬でもやっていたとて黙らせる威力だと自負している、それが効かないとなると――
『なんかしらファンタジーな能力で攻撃が通ってないのか。』
そう考えるしかない。
ゆっくりと立ち上がった彼はもう一度構えながら、顔を顰めた。
『貴方じゃ勝てない……か。』
彼女の見立ての方が正しかったらしいと苦笑する――只、後にひく気はもうなかった。
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