第2話 躊躇と恐怖と話すべきこと
「やっぱり親を残して死んだのがよくなかったか……?」
保健室での劇的な目覚めから1時間弱、おそらく中庭であろう、広い広場の真ん中にある噴水の水に顔を映した時任桐青は独りごちる。
そこに居たのは以前の自分とは似ても似つかぬ男だった。
青白く細長い顔をしめくくっているへちまのうらなりのようなあるいはカイワレダイコンのような顔、細い肉体は青瓢箪とはこのことを言うのだろうと思わせる不健康さだ。
これがうわさの彼――クロノス・エレンホス、とても主人公にはなれそうもないモブ顔である。
自分と似ているのは黒瑪瑙のような目と黒髪であることぐらいだ。
『――まじで死んだんだなぁ……』
そう感じる彼に夜の闇がやさしく包んでいる、少々突飛な出来事に揺れる心にはひどくありがたい物だった――少々、肌寒くはあるが。
夜の帳が降りきってからそう立っていないこの時間、彼が外にいるのはごく単純な理由によるものだった。
『ところでアイさんとやらはまだ来んのかね……』
――人を待っているのだ。
先ほど病室で別れた少女――アイルーロスなる妹と思しき少女の去り際の願いだった。
『まあ、そうでなくともあんま歓迎された雰囲気でもなかったしな。』
そう考えながら過去の記憶に潜る。それはつい三十分ほど前の話だ。
彼が保健室からの退室を許されたのはおそらく学園の終業を告げるチャイムのなる音からだった。
保険医だろう女性に追い立てられるようにして保健室を抜けだした彼は自分の部屋――らしい――場所に向かって起きてからずっと続いている頭痛と共に歩いていた。
その時に気がつくべきだったのだろう。周囲からの視線の異変に。
住んでいるらしい学生寮に戻った彼に渡されたのは暖かい労いや心配の言葉ではなく冷ややかな視線とそれを上回る腫れ物に触れるかのような態度だった。
自分が近寄れば離れ、声をかけても反応はない。
興味がないのだ、自分に、誰も。
誰一人、彼に注意を払わず、誰一人助けもしない。完全なる空気、それが今の自分であり、同時にこの体の彼だった。
消極的な拒絶は彼のこの学園での立場を端的に表していた。
歓迎されていない――消えてほしいと望まれてすらいる。
ひどくなり始めた頭痛とその視線に負けて彼は早い時間だったが急ぎ足で中庭に向かった。
『一体何をやらかしたんだか……』
ここ、セイント学園は次代の英雄を担う人材を育成するために作られた教育機関らしい。
小中高大までの一貫校であり、時の英雄が設立したとされるこの建物はこの国でも随一の名門校でありここに居られるのはエリートのみだと言う。
妹を名乗る少女から聞いた話を反芻して、そういった機関の人間にこんな風に扱われる彼が一体どんな人間だったのか……と彼は嘆息した、眉間にしわが寄っているのがわかる。
『さて、あいつらが寝静まるまでどれぐらいあるやら……と言うか、僕の部屋無事なんだろうか?』
どちらにしても自室――らしい――場所に還れない彼はここで星を相手に内心の不安と今後の暗い未来を憂いていた。
どんどんと恐ろしい方向に流れていく思考を食い止めたのは、石畳を歩く軽い足音だった。
「――ああ、いたいた、クロ兄さん。」
「ん……ああ、アイs……アイか。」
「ん、おぼえてくれた?」
そう言って可憐に微笑んだのは自分の――あるいは彼の妹である銀灰色の少女だった。
「隣、座ってもいい?」
「君が嫌じゃなきゃ、好きになさい。」
「そうだね、じゃあ――」
そう言って隣に座る少女は月明かりに照らされてまるで妖精のように見える。
小脇に抱えた茶色の紙袋が辛うじてこの少女が人間であることを証明していた。
「……寮の話聞いた。」
「ああ……なんか歓迎されてないな。」
そう言って笑う少年に食って掛かるように少女が詰め寄った。
「あんなのひどい!だってクロ兄さん何もしてないのに!」
「あー……まあ、そこは僕にはなんとも言えんし……」
「えっ、ぁ……ごめん。」
そう言って少女は失言に悔いるようにうつむいた。
どうやらこの子は自分――いや、彼を信じているらしい。
――だとしたら、このまま騙すべきではない――
彼の中で培われてきた善人の精神がささやく。自分を死に導いた魂だ。
それを語るべきかそうではないのか――彼は逡巡する。
言ってしまえば自分はおそらくこの学校――いや世界で唯一の味方を失う。待っているのは飢えて野良犬のように死ぬか……あるいは もっと悪い人生か。
もし言わなければ?自分は彼女の支援を受けられるだろう、今だって自分に何かをしてくれようとしている子だ。彼女は自分を慈しんでくれることだろう。
こんな美少女にそんな風に扱われて嫌な事などない。言ったとして、信じてもらえるのかもわからない。ショックを与えるだけかもしれない――だが、このままにすれば、自分は彼女から兄を奪った挙句、彼女の善意に依存することになる……彼の兄が受けるはずだった善意にだ。
その上、彼女は兄を失ったことを知ることすらできない。
『……それは――あまりにもあまりにもだろう。』
そう感じた時、彼は自分のやるべきこととやりたいことが一致したことを悟った――自分が死んだときに感じた覚悟と同じものだった。
「あの、にいーー」
「――アイルーロス・エレンホスさん。」
「ぇ、あ、はい……えっと……どうしたの急に、フルネームで呼んで……いつも通りアイで――」
「――君に話さなければいけなことがある。」
そう言って、彼は彼女の目を直視した――名前の通り、まるで猫目石のように美しい瞳だった。
それからのちに彼らの間で交わされたひそかで重大で――衝撃的な会話は誰にも悟られずに進められ、それはただ夜と月だけが聞き届けた。
それを彼、彼女がどのように受け止め、どのように感じたのかは本人たちにしかわからない。
ただ一つ大事なことは――最後に時任 桐青が聞いた彼女の一言は「嘘つき!」だったことだけだ。
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