第3話 カッコいいが悪いのか、悪いのがカッコいいのか。それが問題だ。

 ――蓼丸一心の朝は早い。

 まだ陽も出かかったばかりの四時に起床。大抵は物憂げな曇りと、窓から吹きこむひんやりした風を浴びてから、蓼丸の一日は始まる。

 爪をほどほどに磨くなど、身体のケアは欠かさず行う。目の下にクマがあるのは問題外だが、あった場合もファンデーションをつけたりして冷静に対応する。何があろうと動じないのがデキる男というやつなのだ。

 そのあとは、徹夜したのだろう、コントローラーを握りながら大の字にリビングで寝ているレヴィアに蔑んだ一瞥を寄越して、ジョギングに出発。パトロールがてら爽やかな汗を流す。

 日曜日は特に気が抜けず、スーパーでヒーローなタイム……ニチアサなので九時には家に着いていないといけない。

 余裕だと思うだろうか。否。二、三時間もすれば、トラブルはつきものだ。ほら、ここにも。

「ボクのごはんがぁー!」

 閑静な街中に泣きわめく声が響く。蓼丸は颯爽と少年の下に駆けつけた。

 事の次第を聞けば、ついさっきカラスに弁当箱を奪われてしまったそうだ。見上げれば確かに、街路樹の枝に、弁当を包みごとくわえたカラスがこちらを見下すように睨みつけてきた。

「よし小僧。ちょっと待ってろ」

 気どって言うも、オマエもちびのくせにー! と返されてしまう。思わずちびじゃねえし、と対抗しかけたがこれでは本当にガキの振る舞いだし、そもそも今はそれどころではない。これはクソガキのためなんだ、とぐっと我慢するのもデキる男の証だ。

 樹皮に足を引っかけ、丸太にしがみつく格好でしゃくとりむしのように身体全体を使って登っていく。そう苦ではなかったが、体力の消耗が思ったより激しいのは一つ発見だった。

 枝を足場に、暴れるカラスから弁当箱を奪うことに成功。

「って、あれ……」

 つかんだ、と思っていたのは包みのみ。

 するっ、と解けていくような感触がしたと思った時にはすでに遅く。

 支えもふたも離れ、中身ががまぐちを開けたようにこぼれ出る。弁当箱は真っ逆さまに自由落下し――。

「おっと、あぶねェ」

 蓼丸の横を過ぎていった、茶色の影。

「なっ……」

 驚きが漏れる。かろうじて蓼丸は視認できた――こぼれだす具材を空中で一個一個つかみとり、箱の中に収めていった早業を。

「ほい、あんたのだろ。気をつけるんだぜ? 今度は落とさんようにってな」

「うんっ。あ、あのっ、ありがとうございました!」

 蓼丸の時とは打って変わった態度をするクソガキも気にならない。

 キザったい調子だが、それが全然嫌味になっていない。自然な感じがした。というか、むしろ――。

 蓼丸はカウボーイみたいなその男に詰め寄った。そして開口一番、

「弟子にしてくれ!」

 そう頭を下げた。



「なんだ。あんたも俺と一緒ってェわけか」

 男はからからと、乾いた、けれど人懐っこそうに笑いかけてくる。

 どこかの施設の石段に、二人。ベンチ代わりにして座り、一息ついたところで改めて男の方を見遣る。

 一言でいえば、ウエスタンルック。

 ソンブレロという、メキシコ由来の麦わら帽に、膝まで裾のあるダスターコート。腰には革製のガンベルトも設えてあったが、銃は携帯していないようだった。

 荒野から流れてきたというにも今の時代、あまりに現実とかけ離れた装いだが、不思議と違和感はない。彫りの深い顔だちもよく似合っている。

 男はボルボと名乗った。巷では『はぐれのボルボ』と呼ばれているのだとか。もっぱら最近は、ここで〝給料稼ぎ〟をしているという。

「オレもびっくりしたよ。見逃さなかったぜ、あの早業。超イカしてた」

「よしてくれ。俺はあんたが思ってるほど、立派な奴じゃねェ。ただカッコつけてるだけだ」

「ふーん。ま、それはそれでカッコいいけどさ」

 二人はすぐに意気投合した。魂レベルで、〝こいつは同じだ〟と出逢った瞬間に共感したのだ。

 蓼丸は熱く語る。

「――だからさ、見た目じゃないんだってそいつに言ってやったんだ。それよりも不意にのぞく仕草とかそういう、咄嗟の言動に表れるのがいいんだって」

 ボルボは顎の髭をいじり、回想するようにそれに返した。

「いい台詞じゃねェの。ま、いくら外見を装おうが、中身が備わってないんじゃお話にならんってのはままある話だな。確かに見てくれは大事って論はわかる――が、じゃあいざ踏みこもうって段になると、あいつら途端に尻込みしやがる」

「そう、そうなんだよ! 別に深みがあればいいってもんじゃないけど、カッコよさなんて、薄っぺらくなっちまったら終わりだぜ」

「薄っぺらく、なぁ。気をつけないといけねェな。お互いに」

「ボルボはそんな心配ないだろ」

「ああ確かに。薄いってんなら、こいつよりは薄くならんだろうから安心か」

 ひらひら、と自分のコートの裾を示して。茶化すようにいって、ボルボが笑う。蓼丸が笑う。

 こんなに心地いい時間は初めてだった。今まで蓼丸の心情を理解してくれる人など、ついぞ現れなかったからだろう、と思う。

 至福の時は、朝もやのような儚さをともなって続いた。


「どうも気になったんだが。さっき言ってた給料稼ぎってなんだ?」

 ……会社員ってことか?

 蓼丸の純粋な疑問に、ボルボはちっちっち、とメトロノームみたいに指を振って、

「ノーコメント、だ」

「え?」

「野暮っていうんだ、そんなのは。どうだっていい。バウンティハンターだろうと、非正規雇用社員だろうと」

 非正規なんだ……。

「なんか、それはそれでカッコいい気がするけど。非正規雇用」

「む――悩ましいな」


 また、ボルボから話題をしかけることもあった。

「あんた、ロマンは――解るか」

 ロマン、といったボルボの真っ直ぐな声音に蓼丸は、息を吞む。こちらを向かず、正面――いや、ここではないどこか遠くを見つめている。その純粋な眼差しに、ほんの一時目を奪われた。

「あんただから打ち明けるんだが……いや、やはり言うまい」

「いや、気になるよ。言ってくれよ」

 言うと、ボルボは「笑うなよ?」と半眼で一瞬睨んでから、元の位置に視線を戻し、語りはじめた。それこそ、少年の日に自分を重ねるように。

「一度でいい。一度でいいから、必殺技を叫んでみたいんだ」

「必殺技?」

「ああ。願わくば激しい闘争の果てに、互いがボロボロになりながら放つのがいい。絞り出すように魂をこめて叫ぶんだ」

「おお……」

 情景がすっと入ってくる。蓼丸のアイデアではないはずなのに、『オレが考えた最強にカッコいいシチュエーション』の一つだったんじゃないかと錯覚するくらい。蓼丸はその場で拍手したくなった。

「いいなあそれ。何も恥ずかしがることなんてない。オレも憧れのシチュの一つだぜ」

「ふ――そうこなくてはな」

 ボルボも、それで安心したようだった。打ち解けながらも今まで薄い膜のように張っていたのが、一気に晴れた感覚。

「それで――だ。その展開での理想は、想い半ばでやられる時の決め台詞、」

「やられるのが理想なのか⁉」

「そりゃ、悪役だからな」

「ボルボ悪役なのか⁉」

「ええい、そんなこたどうだっていいんだ。話を戻すぞ。――それで、散り際に決め台詞をいうのが夢なんだ」

 決め台詞……特にこだわりたいところだな。

「へえ……どんな台詞なんだ?」

 するとボルボ、髭を撫でて思案して、やがて思いついたようにいう。

「『退職金、もらいたかっ……た』とか、どうだろう」

「――いいね。凄くいい。世知辛さと本人の切実な悔しさが詰まっていい感じだ」

「くくく。――感謝するよ、一心。お陰で自信がついた」

「遠慮するなよボルボ。オレ達、もう戦友(とも)だろ」

「そうか、そうだな。戦友か」

 からからと笑いあい。どちらからともなく、拳を合わせた。

 間を断つように、ぽーんぽーん、と間の抜けたアラームが鳴る。……もう少し、と思ったんだが。

「行くのか? 一心」

「ああ。どうやら運命は、どうしてもオレを逃がしちゃくれないらしい」

 蓼丸はそれっぽく手を振って、立ち去ろうとする。ニチアサの時間まで、あまり余裕がない。

 後ろから、声がかかる。

「一つ忠告、だ。……死ぬんじゃねェぞ」

 振り向かないまま、蓼丸は応える。

「オレは傍観者に過ぎないさ。まあ――見届ける義務は、あるけどな」


        ♡♡♡


「おっそーい! 『魔法使いドライヤー』、もう始まっちゃうよ?」

 八時五十九分。なんとかギリギリ、ダッシュで部屋に辿り着いた蓼丸を待ち受けたのは、画面前で正座待機中のレヴィアだった。

「……おい。なんでここにお前がいる? レヴィア」

 レヴィアは心外そうに口を尖らせる。

「だって、使ってないものは有効活用したいじゃない」

 わけのわからない理屈だ。蓼丸は無理やりにでもフリルだらけの服を引っ張る。

「自分の部屋か、リビングに帰ってくれ。ここは聖域だ。お前のような異物が入ると秩序が乱れる」

「ここのテレビ、謎に大画面じゃない。私、気に入ったわ。それに……ドライヤーの雄姿を見届けるまでは帰れないの!」

「再放送じゃねえか! 帰れよマジで!」

 くそ、こいつ、身じろぎ一つしない……! どんな馬鹿力、いや体重なんだ……!

 そうこうしているうちに九時になる。このままじゃきしめんスイハンジャーどころか、マネポケマンまで危うい。

 録画してるから別にいい、ではないのだ。リアタイで見てこその価値があるのだ。

「……ボルボも。……あいつも、今頃戦ってるに違いない。だから、オレもここが踏んばり時だ。変えてもらうぞ――チャンネルを!」

「うるさいわねー、集中できないじゃない。――でも、そうね。『魔法使いドライヤー』がかかってるとなると話は違ってくるわ。受けて立とうじゃない!」

 勝負内容は即座に決まった。

 蓼丸はただ一言、レヴィアに「カッコいい」と言わせたら勝ち。

 レヴィアはただ一言、蓼丸に「可愛い」と言わせたら勝ち。

 それは、ごく客観的にいえば、始まる前から結果が見えた勝負のはずだった。

 そう。蓼丸かレヴィア、どちらか一方は気がつかなければならなかったのだ。

 ――『決着のつきようがない』という決着に。

「はあ、はあ、はあ……なかなか、はあ、やる、わね……」

「げほ、げほっげほ……お前こそ、随分……強情。てか、なんつうもん、撒いてん、だ」

 片や必殺技を叫びまくって喉が嗄れ。

 片や無数のカチューシャと調理器具、除草剤を散乱、散布させ自滅。

 結果、魔法使いドライヤーどころか、別チャンネルのマネポケマン、きしめんスイハンジャーの時間さえ過ぎ。

 室内は混沌、かれこれ一時間半にも及ぶ激闘は両成敗に落ち着いた。



 その後。

 今日と今まで録画した分を二人で見ることになった。突発的な鑑賞会である。

「……案外面白いわね。『きしめんスイハンジャー』」

「だろ」

「ストーリーはよくわかんなかったけど、キャラクターがいいわ……特にこの子推しかも。うどんブルー」

「お、渋いとこいくねえ。うどんブルーはいいぜ、冷徹に見えてメンバーの誰よりも繊細で」「そうそう! 不器用だから皆を思いやってるのが表に出ないのよね! そういうところが」

「可愛いよね!」「カッコいいよな!」

「…………」

「…………」



 さらにその後。

「『魔法使いドライヤー』――なんだこのタイトル回収の綺麗さは。さては名作か? 名作だな?」

「ふふふ。精々沼にはまるがいいわ!」

「なるほどな……ドライヤーを使わないのはそういうことだったのか」

「もちのろん。泣けるでしょ! 可愛いでしょ!」

「親友の形見……そんな重い設定、十二の女の子に背負わせるんじゃねえよ!」

「ここ、この表情! ここ一瞬映ってるハートの演出見て(一時停止)! 可愛いわよね! ね⁉」

「女児向けアニメだと思って避けてきたが、なかなか侮れない……(しみじみ頷く)」

「ねえったら!」



「ふー、満腹満腹♡」

「まさか全話見ることになるとはな……」

 気が付けば窓から差した西日が部屋を茜色に染め上げていた。

 アニメに特撮の一気見。夜通しコースを覚悟していた蓼丸としては、この時間になるのはかえって拍子抜けだった。

 隣では、レヴィアが満足そうに大の字に倒れ、すうすう寝息を立てていた。

「ダメか、起きやしねえ」

 かなり乱暴に揺り起こしてみるがてこでも起きる気配がないので、諦めて廊下に追い出すことにした。

 転がして運んだあと、部屋に戻る前に、ちらとその顔を一瞥する。だらしなくよだれを垂らしている幸せそうな表情を。

 よく、いつもうるさくてかわいいところなんて一つもないけど、黙ってれば可愛いよな、なんて言説はあるけれど。

 このレヴィアに限ってそんなことは一切なさそうだ。普段の憎たらしさがどうしてもトラウマのようによぎる。いやまあ、記憶をなくせば大丈夫な気はするのだが。

「――ふん」

 しかしまあ――悪い奴じゃない。

 蓼丸は今度こそドアを閉めて、今日のことを考えながら眠る。

 後日、レヴィアの欲しいものを買う為、また女装させられる羽目になるのだが、それはまた別の話だ。


        ♡♡♡


 ――メリーゴーラウンド。

 蒸気機関が人々の生活に馴染んで久しい一八六〇年代。フランス発祥のそれは十年と経たずヨーロッパやアメリカを中心に広まり、お祭りなど、定番の遊具として親しまれたという。

 今では日本にも浸透しており、多くのテーマパークや遊園地で子供にトップクラスの人気を誇るアトラクションだ。

 回転木馬ともいわれる通り構造は単純で、上下に動く馬に乗って何周かぐるぐる回るだけなのだが、これが結構楽しい。

 移り変わる景色を楽しめるくらい開放的ながら、実際馬に乗っていると夢の住人になったような非現実感がある。一度乗れば、不思議な浮遊感と酩酊感に驚くことだろう……。

 などと。

 何故突然こんな話をしだしたかというと、現在目の当たりにしているからだった。

 メリーゴーラウンドを、である。

「!?!?!?!?!?」

 眩しさに網膜を焼く。

 暑苦しさに汗をかく。

 やかましさに耳塞ぐ。

 煌びやかな電飾とアップテンポなBGMが視界と脳を蝕んでいく。

 二階の、『レヴィアたんのへや♡』とプレートの吊るしてあったドアを貫通して。迫力ある3Ⅾ映像みたいな光景が、眼前に広がっていた。

 夜の九時とはいえ、早寝を信条とする蓼丸には眠い時間帯。

 エレクトリカルパレード状態の室内。蓼丸は朦朧とする意識で、壁を伝ってなんとか部屋の中にもぐりこむことに成功する。

 室内もまた異質だった。

 ほとんどメリーゴーラウンドに侵食されていて、無事なのはピンクの壁くらい。

 また、上下するブリキの木馬にぬいぐるみやクッション、人形が乗っているその様相は狂気よりむしろ練り歩く怪物の百鬼夜行を想起させる。

「ふあー……たでぴっぴぃ。よーこそぉー」

 姿なき声にキョロキョロしていると、レヴィアが馬にまたがって流れてくる。あくびをかみころし、ぐでーん、としていた。

 無事だったと安堵するとともに、レヴィアこそ事の張本人だと確信する。

 しかし頭の働いていない蓼丸には、悲しいかな問い詰めるほどのリソースがなかった。

「なんで……メリーゴーラウンドなんだ……?」

 必然こういう、素朴な質問になる。

「愚問ね! 可愛いからに決まってるじゃない!」

 常に回っているからか、言葉尻がドップラー効果のように流れていく。耳がキンキンする。

「可愛いから、部屋に置いた?」

「そうよ! 可愛いからね!」

「けどさ、流石に寝る時は止めるよな?」

「? もちろん寝る時も回すわよ?」

「いやいや。こんなビッカビカでうるさいとこじゃ眠れないだろ……?」

「そうね! でも可愛くない?」

 レヴィアの、可愛いは全てにおいて優先されるべき、という信念が揺らぐことはない。

 だが蓼丸も、こうなっては引き下がれない。

「お前がとち狂ったマシーンを止めるまでオレ、テコでもここ動かないからな!」

「たでぴっぴも乗るの? いいわよー。今日は無礼講ってことで特等席に座らせてあげる!」

「え」

 テコでも動かない、と宣言した蓼丸が、レヴィアに導かれて永遠の牢獄に閉じこめられるのはその直後のことだった。

 ――その夜。絶叫マシンではないはずのメリーゴーラウンドから、世にも珍しい悲鳴が響き渡ったという。



「んあ……」

 こっくりこっくり鼻ちょうちん。覚醒と睡眠を行ったり来たりしていた蓼丸を目覚めさせたのは金具がきしむような音だった。

「なんか悪夢見てた気がす……」

 適当に伸びをして、振り返る。稼働を停止した回転木馬が、変わらずそこにある。

「……現実だったわ」

 思わず、苦笑が漏れる。

 ついでにレヴィアも、物干しざおにかかった洗濯物みたいに馬の上、だらしなくよだれを垂らしている。

 ……よくこの騒がしい場所で寝られる……。

 時計を見れば、午前六時。

 時間も時間だ、日課をして気分転換してしまおう。

 蓼丸は目の下にできたクマを隠さないまま、家を出発した。

 遅めの出とはいえ人通りは少ない。

 特に決まった行き先があるわけでもない。しかしどうやら足の向く先は、馴染み深い場所を習性のように目指すようだ。

 年中休館らしいこと以外何とも判然としない施設の、灰に薄らぼけた石段。

 そこに、ボルボはいた。メキシコ由来の幅の広い帽子、ダスターコート。

 示しあわせたわけでもないのに、そこでぼう、と曇り空を見上げている。

 何も言わず蓼丸が隣に座ると、ボルボはぽつりと雨音のように呟いた。

「今朝は随分渋い顔しているな。戦友よ」

 蓼丸は目を丸くして、振り向く。その横顔は、前に会った時と何ら変わらない。

「……そんなに分かりやすいかな、オレ」

「まァな。……話したくなきゃ、言わなくったっていい。どうしようがあんたの裁量だ」

 さっぱりした物言いに、かえって毒気を抜かれた蓼丸は洗いざらい吐露した。ほとんどは同居人の愚痴だ。

「可愛くするためなら手段を選ばない女――か。くくっ、それは災難なことだ」

「笑い事じゃないんだぜ? 昨日なんて、メリーゴーラウンドを家の中に勝手に持ってきて、まともに眠れなかったんだからさ」

「め、めめメリーゴーラウンドッ⁉」

 余程衝撃だったらしく、クールな雰囲気が一瞬崩れる。口にくわえたシガレットがぽろっと落ちた。

「最近は会社とも折り合いが悪くてさ……組織ってのは卑怯だ。人の大事にしてるもんを簡単に奪っちまう」

「担保というやつか。俺も同志には無理難題なりで手を焼いているが、そこまで酷くはねェ。――あんたは上司にも、同僚にも恵まれていないんだな」

 蓼丸は目を伏せた。別にそう悲観したわけではないが、理想とする『カッコいいシチュエーション』作りの障害になっているのは彼らだろうとは思う。

「そんなに辛いなら、そっち見限って俺とくるか?」

「――え?」

 思ってもみない提案に、素っ頓狂な声が出た。

「高給、完全週休二日、各種手当も十二分。慢性的な人手不足と上司がことごとくアレなきらいはあるが、何、悪い奴じゃねェ。俺もあんたが来てくれるってんなら歓迎だ。全力でサポートしてやる」

「……本当に、いいのか?」

「遠慮するな。俺達の仲だろう」

 芝居がかった仕草でそういう台詞をいわないところが、ボルボのいいところだ。良い奴だ、と思う。

「……すげえ魅力的な案だけど、やめとく」

 だが、蓼丸は断った。

 ボルボに理解してくれというにはあまりに虫がよすぎるからあえていわないが。レヴィアにせよ悪の組織にせよ、蓼丸には蓼丸の戦いがあり――そう簡単に放っていいものじゃない。

 そう思ったがゆえの決断だった。

「そうか」

 蓼丸の決意の眼差しに察せられるものがあったのか。

 そのたった一言で、ボルボはその言外の意思含めて頷いてくれたように思えた。

 何が解決したわけでもないのに、自分の中の何かが軽くなったように――思えたのだ。

 と、一段落したのを見計らったようなタイミングで、携帯がメールの受信を知らせた。送り主はレヴィア。いつもなら無視するところだが、妙な胸騒ぎを覚えて開いてみる。

『また征服規定(ダークネス・オブリージュ)の奴らが現れたみたい。反応的に幹部クラスだから私一人で大丈夫だと思う。でも一応座標は送っとくわね』

 蓼丸が立ち上がったのと同じくして、ボルボも石段から腰を上げていた。

「――む。どうやら休息の時は終わりらしい。迎えが来たようだ……ン?」

「いや、全然。むしろ礼を言うよ。オレもこれから、お前みたいに頑張ろう、って――」

 と、台詞が言い終わらないうち。

「なんだ、キミ先に来てたんじゃん」とレヴィアが。

「迎えにきてやったですわ~! ……あら、おそろいで」とゴシックが。

 それぞれの隣に出現した。

 瞬間、蓼丸とボルボは時が凍りついたように固まってしまう。

「お前、征服規定(ダークネス・オブリージュ)の手先だったのか!」

「あんた、ドスキューティクルの仲間だったのかッ!」

 お互いに指を差しあい、睨みあう。今まで仲良く話していた相手が仇敵だった……その衝撃たるや、普通ならそう容易く飲みこめるものではない。

「――――」「…………」

 が、緊迫した空気が続いたのは数秒のことだった。

「今は戦うべき時ではない。今の我々はオフ――そうだろう?」

「……ボルボ……」

 蓼丸は知らず感嘆の吐息を漏らした。

 なんという矜持だろう。蓼丸は呆然と、しかし焼きつけるように、手を振って去る背中の雄姿を見つめていた。

「きゃわふる・みらくる以下略……ビィィィイイイム‼」

「む⁉ 何をしぐわあああああッ!」

 しかしその一枚画は、横から飛んできた名状しがたいハートの光線によって、ボルボの胴体からコートごと打ち砕かれたのだった!

「ボ、ボルボォォおおおおおおおおッ⁉」

 一心不乱に駆け寄る蓼丸。ごっそり削れた上腕とぽっかり空いた胸部に、蒸発していくダスターコート。幾ばくかの命だということは容易に察せられた。

 蓼丸の胸に、ボルボとの、短くもかけがえのない思い出がよみがえる。

 ――一度でいい。一度でいいから、必殺技を叫んでみたいんだ。

 ――散り際の台詞だが……『退職金、もらいたかっ……た』とか、どうだろう。

「ボ、ボルボぉぉ……言えて、ねえじゃねえかぁ……」

「え? ナニナニどういうこと? 私なんかやっちゃった?」

 蓼丸は号泣し、レヴィアはおろおろする。そこへ、

「危ない……ところだったぜェ」

 死んだはずのボルボが、ふらふらと立ち上がった。

「な、なんでそのダメージで生きてられるの……」

「おいおい、そんなのありかよ」

 レヴィアと同じように、蓼丸もおののく。

「む……一心?」

「ボルボ、ボロボロになりながら立ち上がる展開とか最高にクールなシチュエーション、オレより先に再現しやがって! カッコいいんだよこの野郎!」

 おののく――格好良さに。

「くくく。悪いが俺もワルの端くれなんでな」

 蓼丸とボルボが堅い握手を交わす。

「そっち⁉ ていうか普通死んでるわよね、それ!」

 レヴィアはよくわからないところで狼狽えていた。そんなことは今問題ではないというのに。

 ボルボはくくく、と邪悪な笑みを蓼丸に向ける。

「一心。今一度問おう。俺とくるか?」

「え、行きたい行きたい! ぜひここで働かせてくれ!」

「ちょいちょい、勢いで何言い出してんのよたでぴっぴ!」

 飛びつくように即答した蓼丸の、パーカーの襟をぐいぐい前後に引っ張るレヴィア。だが何をしようと意志は覆らないのだ。

「うるさい、オレは誰が何と言おうがこっちにつく! お前にいびられる日も、マリンちゃん(人形)を人質にとられるのももうたくさんだ! お前は特に、いつか部屋のフィギュアを壊されたりしたらと思うと堪えられないんだよ!」

 それが組織に入れば……いや、この場合はゴシックの部下か……になれば、その問題のほとんどはクリアされる。待遇もいいときている。そして少なくとも――メリーゴーラウンドを家に設置されるなんてトンチキな事態にはならないはずだ。

 あとは上司であるはずのゴシックの許可さえ得られればいい。

「…………ですわ」

 と。ずっと無言を貫いていたゴシックが、登場時以来の声を上げる。

「ゴシック! これからよろしく……あれ」

 こつこつ、静寂にヒールの音が響く。ゴシックは蓼丸の横を通り過ぎ、ばかりかボルボに一瞥も寄越さず、レヴィアの前に立つと、

「あなたとっても〝ワル〟なのですわ!」

 ぎゅっと両手を握るように包み、小躍りするゴシック。

「は、ちょ、え……?」

「わたくし感服しましたわ! 戦う気がない相手を、倒す必要のない場面で、時をわきまえず容赦なく必殺技を放つ……まさにD4C、D4Cですわ!」

 それ褒めてないよな?

 絶賛の皮を被った酷評、これにはさすがのレヴィアもおかんむり――いやすごく嬉しそうな顔してるよ……馬鹿だよこの人……!

「そ、そうかなぁ?」と完全にデヘデヘしているレヴィアに、ゴシックはさらに畳みかける。

「ぜひわたくしを弟子にしてくださいませんかッ⁉」

「いいわよ!」

 即答だった。

 ……というかこれ、まずいんじゃないか?

 ゴシックが寝返ったということは、その部下であるボルボも組織を裏切ることになり。

 必然、蓼丸も出戻りということに――

「レヴィアタン、考え直してくれないか。このままだと、」

「蓼丸くん? 何言ってるの?」

 レヴィアは身震いするような満面の笑顔でいう。ちなみに、『蓼丸くん』とは初めて会った日から数分ともたなかった呼称だったりする。

「これからも一緒だもんね?」

「あ、ああ……」

 これは逃げられないやつだ。

 こうして、ゴシック(とボルボ)は組織から寝返り、レヴィア達の仲間になった。

 蓼丸は一か月、女装で過ごす刑を言い渡されたのだった。

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Let’s『カワイイ』被害者の会!! 珀幟希 @year2seibetu1sinai

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