第2話 『可愛い』はね、99%の可愛いと1%の可愛さでできているの!

 ダンディーな髭を生やしたマスターが、ダンディーにコップを磨くので有名な喫茶店の、道路をはさんだ向かい。

 実は文房具を巨大兵器転用していて、有事の際には要塞として住民を護ってくれる……のではないかと妄想を膨らませてくれる、一見何の変哲もなさそうな文具店の、二軒隣。

 そこに、蓼丸が居を構える一軒家は位置していた。

 ――どたどたどたどた!

 平穏な日々だった。

 ――ばたばたばたばた!

 唯一の癒しだった。

 どんなに同業といがみ合おうとも、雇用先に圧をかけられようと、家に帰ればフィギュア、プラモデル、辞典や洋書などなど……が、出迎えてくれた。

 そのオアシスが、今、(物理的に)音を立てて崩れようとしていた――一人の女によって。

 ――どんがらがっしゃーん!

「だぁーっ、うるせえ! 朝っぱらから何の騒ぎだ!」

 音は二階から響いてくる。二階には、昨日レヴィアに貸した物置部屋がある。蓼丸は意を決してまる文字名札(プレート)のかかった扉を開け放した。途端――

 フラッシュバンでも爆発したかのような閃光が、蓼丸の網膜を襲った。

 ピンク、ピンク、ピンク。チカチカするその外観を、眉間を押さえつつなんとか認識すると、今度はあまりのショックに失神しそうになった。

 なんということでしょう!

 最早用をなさなくなった欠けた土鍋や骨董、繋がる先のない梯子などなど。アングラな雰囲気を漂わせていた部屋が、

 つぶらな目をしたクマのぬいぐるみ、ファンシーな色使いのビーズクッションなどなど。一気にポップな、メルヘンチックな女の子の部屋に大変身!

 なんということ(をしてくれたの)でしょう……。

 ちなみにかつて梯子だったものは改造されて棚になっているし、土鍋にいたっては何故かクマの頭に帽子みたいにして乗せていた。どういうセンスなんだ。

「あ。たでぴっぴ、起きた?」

 そんな蓼丸の慟哭を露知らず、レヴィアが姿見ごしに能天気に反応した。化粧の最中らしかった。

「でも駄目よ、レディの部屋に断りもなくー……まだ終わってないんだから。……よっし。今日の私もかーわうぃ~」

 化粧を終え、レヴィアは手際よく道具なりを片づけ始める。蓼丸は部屋の惨状も一時忘れ、感嘆半分呆れ半分に呟く。

「自分のこと可愛いってよく言えるよな……」

「ん? そりゃ私ってば超絶美少女だもん!」

 振り向くレヴィア。しかしすぐに真面目な表情をして、

「……生まれつき可愛い女の子はいくらでもいるじゃん?」

「まあな」

「でも、それを維持するのは大変。本人の意思と結果の結晶が今の私達をつくるの」

 続けて、レヴィア。

「『可愛いはつくれる』! そうやって、みんな血のにじむような努力をしているものよ。そう、私みたいにね!」

「……オレにはわかんねえ世界だな。けど」

 ――努力というのは、いい。

「たーでぴっぴ」

 と、思案していた蓼丸の前に、化粧用ブラシが突きつけられる。

 蓼丸は逃げ出した。



 部屋の中を、荒い息遣いが二つ、こだまする。

 蓼丸は瞬発力も持久力も貧弱で、あわやレヴィアに追いつかれると危惧したが、そこはそれ、天運が味方したのか、なんとか化粧されずに済んだ。レヴィアの腹の虫に助けられた形だ。

 空腹に上書きされ、興味をなくしたレヴィアが部屋を出ようとする。そこに、絶え絶えの体力でかろうじて声をかける。

「ところで、その……なんだ。この部屋は?」

 するとレヴィア、得意満面に胸を張り、

「うん、いいでしょう? ほんのちょっとだけ改造させてもらったわ」

 ほんのちょっと……だと?

 ふつふつと、胸の裡からふつふつと怒りが燃え上がってくる。

「お、お前……人の家だと思って勝手に……!」

「仕方ないじゃない。ベッドもないんじゃまともに眠れないし、たでぴっぴだっていやでしょう? あんなじめじめした、埃っぽい」

「じめじめした。ホコリっぽい」

「そーそー。陰気なのもカワイイっちゃそうなんだけど、やっぱりどうせならもっと可愛くしたいじゃない? それにほら……感じるでしょ、〝空間〟が喜んでるわ」

 レヴィアの手振りにつられて、変わり果てた部屋を見回す。

 確かに、いいアレンジ、イメチェンだとは思う。初めてこの部屋に招かれた男子諸君なら、きっと満場一致で『女の子の部屋だ』と感動することだろう。あまりの〝本物っぷり〟にむせび泣くのかもしれない。

 だがそれは、あくまで初見殺し。改造する前を知っていれば、むしろ憤りさえ覚えてしまう。

 レヴィアが指摘したじめじめ感、埃っぽさは、あのアングラな雰囲気がいいのであって、代えがきかないもの。演出意図があるのだ。蓼丸は部屋を改装されたことに怒っているのではない、じめじめと埃っぽさの良さに気づかぬばかりか軽々に扱ったことにこそ、憤りを感じているのだ。

 だから、蓼丸にいわせてもらえば、陰気でもないのだ。

 正しく認識してほしい、そんな我儘なんだ――。

 だが、それを懇々と説こうとした時には、レヴィアはドアノブに手をかけていた。

「おい、話はこれから――」

 制止も間に合わず、「可愛い朝ごはん、期待しててねー」と階下に降りていくレヴィア。

 蓼丸は、改めて部屋を見直してみた。そうして土鍋を頭に被ったクマのぬいぐるみに、視線を落とす。

「ま――これはこれでカッコいい、か?」

 いやいや、とかぶりを振るも。

 一瞬でもそう考えてしまった自分に若干恐怖して、蓼丸は変わり果てた部屋を立ち去った。


 階段を降りていくと、どたどたどた、と地響きのような音が聞こえてきた。

「たでぴっぴ。おそいわよ」

 朝食のすんとした香が鼻につく。

 蓼丸を台所で迎えたのは、花のエプロンに身を包んだレヴィアだった。

 何故、用意したドラゴン柄のエプロンを着なかったのだろう。……今度目につく場所に置いておくか。

「もうすぐできるから、先にテーブル着いてて」

 どたどたどた、ばたばたばた。レヴィアが歩くたび、地響きが止むことはない。

「お、おう……」

 訝しみつつ、言われた通り席に着く。

 緊張からか調子の狂いか、自分の家でないような気がしてくる。レヴィアが大型バッグを両手に引っ提げてきたのが昨夜のことなので、どちらかというともう馴染んでいることの方がおかしい。

 ……まあ、折り畳み式の家に住んでいるやつに常識的な感覚を求める方が野暮か。

 と、蓼丸がある意味あんまりな納得をした頃に、ちょうどレヴィアがお待たせ、とやってきた。

 どたどたどた、とはだしで走り回るクソガキのような足音を響かせて。

「なんなんだ、さっきから」

「ん? 何が?」

「スリッパから出る音とは思えないんだが」

 そこまでいうとようやく気付いたのか、レヴィアはにんまり口角を上げていう。

「ぴこぴこ鳴って可愛いよねー」

 どこがですのん?

 一瞬、真顔でそう聞き返しそうになった。なんとか抑えこんで、

「オレには地響きにしか聞こえなかったんだが」

「え……? うそ……」

 レヴィアは一歩二歩、たじろいだように後退る。

 いやいや。頭のと合わせて耳四つもあるんだから聞けるだろ。そのカチューシャは飾りなのか……? といつか問い質してみたい。けどもし本当に趣味だったらこわすぎて、今日まで聞けていない。

「いやまあ、可愛いかはさておくとして、なんかこう、いいよな」

「そうよね!」

 蓼丸が賛同すると、全身で喜びを表すようにその場で跳ねまくるレヴィア。

「あああああ……グッバイオレの敷金礼金……!」

 止めようとしてもだめ、褒めてもだめ、誰かこの暴走女を止めてくれー!


「誰だい、朝っぱらから!」


 それをかき消すさらなる怒号がやってきたのはその直後だった。

「この酒やけでしゃがれたような声は……!」

 蓼丸は思い出す。

 おっかない部門第一位、稚内(わっかない)のおばちゃん! 口癖は「わっかんない」! この街の大・元締め! ちなみに出身は若山市。

 蓼丸は急いで玄関へ。鍵を閉めにかかる――が、紙一重で間に合わず。無情にも扉は開かれる。

「おお、大家さん。今朝はご機嫌麗しく……」

「はいはい、ゴキゲンさん。じゃなくてね、うるさいねえ、近所迷惑なんだよ!」

 駄目だ、取り合ってもらえない。蓼丸の肩から廊下の方を右から左から、しきりに気にしている。

 そこに騒ぎの張本人たるレヴィアが追いついてくる。

 おばちゃんはレヴィアの全身を上から下まで、しげしげと眺めた後、「あんただね」と指を差した。

 ――蓼丸の方を。

「なんでオレ⁉」

 稚内さんは蓼丸をきっ、と睨みつけてきた。

「こんな可愛いこがそんなことするわけないじゃない。ねェ!」

「ふふん。残念ながら私みたいだわ! ぴこぴこ、鳴ってなかったのね!」

「そうだよねえ、こいつだよねえ」

 ……おい、会話になってないぞ。

 結局、蓼丸に濡れ衣を着せられることになった。なんでだよ。

 稚内さんがどしどしと去っていった後、レヴィアが囁く。

「これでわかったでしょ。可愛いっていうのがどんだけ得するか、って」

「ああ。よーくわかったさ」

 世の中は不条理で、レヴィアは特異点ってことが。

 バシバシ肩を叩いてくるレヴィアを無視することにして、食卓に戻る。

 そして、テーブルの上に載った品々を見て、凍りつく。

 メニューはご飯、味噌汁、玉子焼きというシンプルなもの。ただ、どこか独特のクセがあった。

 ご飯は炊かれていない――食べられない状態でお椀に盛られていた。

 味噌汁の具は麩だけで、その吸水力が汁なし味噌汁に仕立てあげてしまっている。

 玉子焼きはシンプルに黒焦げで、その上アメーバみたいに黄身が広がり形を留めていない。

「……なあ、レヴィア」

「〝レヴィアたん〟。私のことは〝レヴィアたん〟と呼んで? たでぴっぴ」

 レヴィアタン――か。

 ……自分から海の怪物を名乗るとは、随分レヴィアも殊勝になったものだ。

「〝たそ〟でもいいわ」と付け足すレヴィアタンを無視して、蓼丸はお椀を差し出す。

「レヴィアタン。これはなんだ」

「可愛いご飯よ」

 炊いてないけどな。

「……じゃあこれは?」

「可愛いおみそ汁」

 汁ないけどな。

「……これも?」

「あ、それは普通に失敗しちゃったやつ」

「新手の嫌がらせか何かか?」

 そもそも、『可愛い○○』というのがまずもって理解できないのだが、これ以上は情報が追いつかないのでさておくことにする。

「違うわ。これは、修行よ」

「修行?」

 桃色の眼がまっすぐ蓼丸を見つめる。情熱と、ほんの少しの悔恨が入り交じったような毅然とした眼。レヴィアは一瞬躊躇ったものの、すぐに振りきっていう。

「私、あの子を倒せなかったじゃない」

「あの子? ……ああ。あれか」

 昨日の戦い――カーディガンドラゴンを倒したあと、今度は布団うさぎが現れた。レヴィアはうさぎを倒そうとする蓼丸を邪魔し、庇いだてまでしてしまった。

 可愛すぎて倒せない、といっていたのは記憶に新しい。幹部も残り少ない今、組織本拠への強襲も視野というところでこれは芳しくない。彼女もそれを悔やみ、どうにか克服したいと思っている……そこで至った発想が修行というわけか。

「食べちゃいたいくらいカワイイって言葉があるけど、本当に食べられるくらいにならないとなって。……ううん、なりたいのよ」

「それで……こんな無茶を」

 少し感心する蓼丸。

「? ほぼほぼ趣味よ?」

「趣味かよ!」

 叫ぶ蓼丸。思わず、食事中だというのに立ち上がってしまった。しかしすぐに平静を取り直したように着席し、「へへ」と鼻の下をこする。

「……けど、カッコいいと思うぜ」

「え?」

「なんでもない。――さ、食べようぜ。……うわ」

 机上のメニューに目を戻すと、一気に現実に引き戻された。やはり、とても勢いで消化できる代物じゃなかったっぽい。

「うわって言ったわ」

「言ってない」

「女の子の手料理が食べられないっていうの?」

「そりゃ、食べられないものを出されちゃな」

 ご飯とかどうすんだよ。口の中で炊けってか?

「? 無洗米だからそのまま食べれるわよ」

 といいながら、本当に硬い米粒をひとつかみ、放りこんでいく。

 蓼丸は唖然として、手前の、透明なご飯粒入りの茶碗を見下ろした。そうしてじっと凝視すること三十秒、ふっと張りつめていた息を吐く。無理だ。

「なあ、レヴィア」

「〝レヴィアたそ~〟よ」

「……レヴィアタン」

「なに?」

 蓼丸は口許に近い方の頬を指して、冗談めかすようにいう。

「可愛いご飯は結構だが、それだと〝ご飯つぶ、ついてるよ〟ができないんじゃないか?」

 少女マンガにおいて、定番のシチュエーションだと聞く。亜種に、芋けんぴが絡まってたり、あめ玉を髪の中に収納しているパターンがあるそうだが、ともあれだ。

 よもや『可愛い』をこよなく愛するレヴィアともあろうものが失念していたとは……見損なったぞ!

「は、はうあっ! でもなるほどだわ!」

 雷に打たれたようなショックがレヴィアに走る。直後、音もなく起き上がった彼女はゆらゆらとした足どりでキッチンに向かった。

 きっかり三分後、再び着席したレヴィアが差し出したのは、レンチン式のご飯パックだった。

「こっちの茶碗は?」

「あとで私が食べる。……それより、早く開けたら? 固くなっちゃうわよ」

 ニコニコ、笑顔のレヴィアが、自分の分のご飯ももってきてぱくぱくと口に運んでいく。蓼丸は不審を感じつつもぎこちなく頷き、包装を開ける。

「…………」

 途端、閉じこめられていた熱が湯気となって目前にあふれだした。蓼丸はふーふー息を吹きかけながら、インスタント特有の風味を噛みしめる。

 その視界の端――じーっと咎めるようなレヴィアの視線を、痛いほどに感じながら。

 ……居心地悪い。気まずい。

 オレ、なんかしたか? と思い返すも、目立った心当たりはない。

 ちら、と前方を見遣る。レヴィアは汁なし味噌汁の汁をすすっているが、視線は依然、釘付けだ。充血しかかっている。まばたきすらしていないんじゃないだろうか。

 まずい。いや、ご飯は美味いがとにかくまずい。

 まさか、オレが〝レヴィアタン〟と故意に呼んでたのがバレたのか?

 それか、ネズミのカチューシャの裏にこの前回路を組み込んでイルミネーションみたいに発光できるように改造したことか?

 蓼丸の視線に気づくと、レヴィアはこれ見よがしに指ですくったご飯つぶをぴ、と頬に付けた。一粒、二粒、三粒――徐々にご飯つぶを付着させる妖怪に、蓼丸の不可解もまた募っていった。

 ……いったい、何が狙いなんだ……!

「私の顔に何かついてる?」

 うん、とびきり変な頭のカチューシャが……と言いかけたがすんでのところで止める。

「いや、何も?」

「……キミ、目おかしいんじゃないの?」

 レヴィアの頬には、今やおびただしい量の米つぶがその唇をくまなく取り囲んでいた。中には、なぜか麩も紛れこんでいたりした。

 それを見て、蓼丸はようやく気づく。

「お前、食べ方汚くね? ……引くわー」

「そうじゃ……そうじゃ、ないんだわ⁉」

 怒りを通りこして呆れ、それすら越えてやっぱり怒り心頭のレヴィア。対照的に、蓼丸は窘めるように続ける。

「『マネーポケットマン』や『きしめんレッド』に教えてもらわなかったのか? ご飯は一粒残さず食べなさいってさ」

「誰よそれ」

「知らないのか……⁉」

 マネポケマン、きしめんスイハンジャーを⁉

 ニチアサだぞ?

「そうじゃなくて、そこは〝レヴィアたん、ご飯つぶついてるぜ〟でしょう?」

 しかしそんな蓼丸の動揺をよそに、レヴィアは容赦なく話を戻す。

 そして、ようやくレヴィアの不可解な言動に納得がいった。

 さっき蓼丸が指摘したことを早速再現したかったのか……。

 それにしては無茶だったが。とてもその台詞で頬の米粒を全てつまみきれるとは思えない。水圧洗浄してようやく五分(ごぶ)といったところだろう。

「てっきり、単純に食べ方が汚い奴なのかと思った」

「そんなわけないでしょう!」

 ――ともあれ。

 ぎゃーぎゃー騒いでいるうちに、ギスギスした朝餉は終わった。


        ♡♡♡


 出動命令を聞いたのは、蓼丸が『きしめんスイハンジャー』の先週分をダビングしていた時だった。

 急いで支度をし、「まだ外用メイクしてないわ!」と喚くレヴィアを引きずって、現場へ向かう。

 仄暗い地下鉄のプラットホームで電車の到着を待つ。

 転移装置? 飛行能力? そんなのは夢の産物だ。……ひょっとしたら、レヴィアくらいになるとひとっ跳びかもしれないが。

「多いわね……イライラするわ」

 数珠つなぎになった待機列の最後尾で、レヴィアがぼやく。

 出勤ラッシュの時間は過ぎているものの、昼時というのもあってか馬鹿にならない混み方をしていた。

 電車が来る。しかし、ムカデのようにうじゃうじゃした列は遅々として進んでくれない。

 こうして待っている間も、罪のない市民が無理やり制服を着させられようとしている……そう思うたび、焦りが、怒りが募る。

 そのままやむなく二本見送った頃、ぷう、と異音がした。不満げにも聞こえたそれは、レヴィアのクマさんスリッパが足踏みしている音だった。

 我慢がどうやら限界に達したようだ。

「おい、やっと半分進めたとこだぞ。どこいくんだ」

「空いてるとこ」

 いわれるままに腕を引かれ、連れていかれたのはひときわ閑散とした列だ。というか。

「ここ女性専用車両じゃん!」

「まあ聞いて。そして見て。――めちゃくちゃ空いてるわ」

「けど――むぐっ」

 オレ、男! と叫ぼうとした口が塞がれる。

 レヴィアは心底不満そうに唇を尖らせていう。

「昔から気に入らなかったのよ。何、『女性専用』って。いや、わかるのよ? 確かに満員電車だとおしりが危険にさらされるし、それを逆手にとった冤罪だってあるから男衆も気を抜けないわ。――けど、どうなのかしらね? 本当に必要とされてるのかっていうと、微妙なところよ。一女性としては。まったく、誰が言いはじめたのよ」

 突然始まったレヴィアによる演説。手の押さえが緩んだすきになんとか呼吸を確保して、蓼丸はいう。

「どうかしらって……まあ、よくいわれるのが、平等とか権利を主張してる奴に限って無関係の人だったりするってのはあるよな」

 あくまで、一般的な言説として。

「あー。女性専用車両もそういうのでできたってこと? ジェンダー論みたいな話になってきたわね……安心して、私も嫌いよ! 正確には、それを盾に女のフリした男が男子禁制のとこに乗りこんでくのとかね!」

 ……私『も』っていうな。『も』って。

 徐々に騒ぎを聞きつけて、なんだなんだと周りの視線が集中する。よく言ったと拍手するもの、内容を悟って静かに顔を引きつらせる女性、駅員を呼ぼうとするもの……。

 違うんです……オレはそんなこと言ってないし思ってもないんです!

 一秒でも早くこの場から立ち去りたくなったが、いつの間にかレヴィアに腕をがっちりホールドされていて逃げられない。この地獄から逃げられない。泣きたい。

「ついでに、こんな満員で、しかも一人も女の子が並んでないのがいい証拠だわ! 必要ないんじゃない⁉ だいたい、正直どうなの? このレーンに並ぶことで『私は痴漢されないか気にしちゃう=被害妄想が強い女です』って公衆の面前で盛大にぶっちゃけてるのと同じなんじゃないの⁉ それが恥ずかしくて並べない人もいるんじゃないの⁉ それ意味ある⁉」

「あの……レヴィアさん? その辺で……」

「――って、たでぴっぴもそう思うわよね!」

「そこで話題振るなよバカ!」

 もう帰りたい。

 ヒートアップしていく言葉は止まらず。このままでは話題があらぬところへ飛び火しかねない。

 最後の手段、蓼丸がチョップで気絶させる……までもなく、事態は駅員さんの登場により一旦の収拾を見た。

 ふう、よかった。早くこの迷惑女を連れてってくれ。

 しかし、連れていかれたのは胸を撫で下ろした蓼丸の方だった。

「何故にオレ⁉」

 駅員さんは一瞬目を伏せた。床には『女性専用』とでかでかとしたフォントで記されていた。それではっと気づく。

「は、ハメられた……ッ」

「違うよー。話は駅員室で聞かせてもらうからねー」

 酔っ払いをあしらうような対応で、駅員さんは蓼丸をぐいぐいと強く引っ張っていく。まずい、このままだと現場にも向かえない。何より滅茶苦茶カッコ悪い……!

「待ちなさい!」

 それを、レヴィアが手で制した。

 元凶ということも忘れ、救世主とあがめる蓼丸に――びしっと指差し、レヴィアは一言。

「こいつ、実は男の娘なんです!」



「実はこう見えて女の子……のほうがよかったかしら? でもこの場合、何て呼べばいいのか……表記が困るところね。男の娘、に対して女の息子(こ)? ??? ……なにそれどういうこと、たでぴっぴ?」

「どうでもいいよ……知らねえよ……」

 つり革がなかったら多分、その場に体操座りでもして二度と顔を上げることはなかったろう。車両の慣性に右往左往する蓼丸の様子はまるで、そよ風に折れそうになりながら揺れる一本の枯れ木のようで。

 対するレヴィアは、それにならうなら蓼丸という樹木から養分を絞りつくすヤドリギ……といったところだろうか。

「……で、ジェンダー論振りかざす男がなんだって?」

 今オレ、男子禁制の場所に侵入どころか一員になってしまってるんだが。

 しかもわりと馴染んでしまってるんだが。

 蓼丸は、じとっと非難がましい目をレヴィアに向けた。

「非常時よ」

 レヴィアは白々しく魔法の言葉を使って誤魔化す。いや、違うか……撤回する気はないのは、続く台詞でわかった。

「忘れないで。今のキミは女の子……っていう設定なんだから」

 設定って言っちゃったよ。

 ちなみにあえて詳しく描写しないが、身なりもそれなりに女の子っぽくコーデさせられていたりする。意外にも、これはこれで無しじゃないなと思ってしまうあたりが怖い。

 これもこの先のカッコいいシチュエーションの為……と自分に言い聞かせるので精一杯だ。

「可愛いわよ?」

「黙れ」

 周りはいかにもフレグランスでいい匂いで満たされていて、ちょっと身じろぎしようものなら肩以外のふくらみにぶつかりかねない。

 蓼丸に出来るのは、何も見ないこと、そして何も聞かないことくらいのものだった。

 ――ふと、瞑りかけた視界の隅で妙な気配がした。

 紙コップに入ったコーヒー。

 それがリノリウムの床にポツン……と置かれていた。

 不法投棄というにはあまりにも丁寧。容器が倒れていないので、誰かが故意に設置したのは間違いない。

 少しだけ近くに寄って覗いてみると、湯気とともに挽いた豆特有の香りが立ち上ってくる。しかし、振動に合わせてぴちゃぴちゃ波を立てるコーヒーはあふれるほどでもない。

 そこでふと蓼丸は、車両の連結部からこちらを観察する視線に気がついた。

 黒と白を基調としたドレス、二つ結びの髪は巻いていて、赤い目が印象的。コテコテのゴスロリ少女が蓼丸――正確にはその下のコーヒー――を並々ならぬ眼差しで見つめている。

 連結部の陰に隠れるように、顔だけ出して。

 こぼれないかどうか、ハラハラしていた。

「あいつ……何してんだ?」

 ゴスロリ少女はこちらの視線など全く意に介さない様子だ。気づかれていないうちに近づこう。と思ったが矢先、

 停車。最寄りに着いてしまった。


「……悪い、ちょっと野暮用。お前だけ先行っててくれないか? すぐに追いつくからさ」

「何言ってんの、位置情報もってるのキミじゃない」

 捻りだしたそれっぽい大義名分も正論にはかなわず、蓼丸は現場へと連行されていった。



 一方、車内では。

「くーくっくっく」

 ゴスロリ少女がそーっとコーヒーの様子を窺う。床に茶色い液体があふれていないのを確認すると、

「くーくっくっく……!」

 そうしてまた元の持ち場に戻り、ハラハラしながらコーヒーに熱い視線を送るのだった。

『次は製糸場跡~、製糸場跡~』

 車内アナウンスが終点を知らせていた。


        ♡♡♡


「なんだ……こいつら」

 ショッピングモールの屋上駐車場。

 暖かい日差しが柔らかく照らす中、現場に着いた蓼丸とレヴィアを待ち受けたのは大量の布団うさぎだった。

「物量で押してくるか。フン……どうやら敵も手段を選ばなくなってきたらしい」

 四階ともあって、容赦ない冷風が吹きつける。そういえば予報で今日は寒の戻りだとかいわれていたのを思い出す。

 ……あの布団で寝たら気持ちいいんだろうな……。

 思ってもないことがふいに浮かんで、かぶりを振る。

 布団うさぎ……さては恐ろしい求心力を秘めている。これが世に放たれたらと思うとぞっとしない。

「レヴィアタン。……わかってるよな?」

「安心なさい、布団もうさちゃんももう克服したわ! 前回と同じだと思ったら大間違いよ……ふふ、ふふふのふ……」

 妖しい笑みを浮かべるレヴィア。

『容赦するな』と釘を刺したつもりだったのだが、ちゃんと伝わっているのだろうか。不安だ……。

「じゃ、背中は任せたわ」

 一方的に言い放ち、レヴィアは布団うさぎ軍団へ果敢に飛びこんでいってしまう。

 ……まあ、前みたいに逃がすもん! とかならないだけマシか。

 レヴィアがほとんどの群れを引き受けてくれたので、蓼丸が対峙する布団うさぎは一匹だけ。

 ――さくっと倒して、助太刀するか。

 かきむしるように女性服を脱ぐと、うさぎの赤眼がぎらりと光る。瞬間、脚力を活かした頭突きが蓼丸に襲いかかる。

 が、蓼丸もただ悠然と構えていたわけではない。突進がくると悟ったその時には華麗に避ける準備をしていた。

 そう、攻撃が当たるか当たらないかというギリギリ、スレスレのところで半歩引く。これが達人の間合いなのだ。

「フ、見切ったぜ――ぐえ!」

 もふん、という感触。果たして、頭突きは蓼丸の横っ腹に直撃した。

 半身の構えにはなっていた。しかし、身体の軸は左にあり、うさぎの突進もどちらかというと左寄り……結果として。蓼丸は意味もなく急に横を向き、必要のないダメージを受けたことになる。

 物理的にも、精神的にも。

「今度はこっちの番だぜ!」

 距離を一足で詰める。刀子を逆手に、布団を狙って振りかぶる。しかし。

「受け止め――っ?」

 刃はうさぎの耳の、白刃どりによって止められる。

 ……と思ったら、刃はそのままするするすると滑り、うさぎの脳天を直撃していた!

 額部分にふくらんだたんこぶを痛そうにさする布団うさぎに、途轍もない耐久力だ、と蓼丸は内心驚く。

 蓼丸がギリギリで避けようとして直撃を受け、うさぎもまた、蓼丸の低威力の攻撃を回避できないでいる。

 以降は、そんな攻防の繰り返しだった。

 その戦いぶりには、いつの間にか通りすがりの主婦やサラリーマン、生物学者、子連れの家族の注目を集めていた。

「ままー、けんかしてるよー」「違うよ、あれはね、じゃれあってるのよ」「そうなんだー」「仲がいいのねえ」「この都市部にウサギだと……! 新種かもしれん!(カメラパシャッ)」

 泥仕合どころかじゃれあいだと思われていることなど当然のように知らない蓼丸は、悔しさと敵への賞賛に歯噛みする。

「くそ、こいつなかなかの使い手だぞ……!」

 一匹でこれなのだ。大群相手なぞ、とてもとても。

 ちら、とレヴィアを見る。瞬間――凍りついた。レヴィアの姿はなく、巨大な白い毛玉があるばかり。

 いや、違う。その頂点に肌色が見えた。手をいっぱいに伸ばして、呑みこまれていく最中だった。

 それを視界に捉えるや否や、布団うさぎを振りきり夢中で駆け寄る。うさぎの山をある程度までかきわけ、空いたところを覗きこむ。

「……っ、大丈夫かレヴィ――……あ?」

 レヴィアの顔がもがくように出てくる。一見苦戦しているように見えた。

 が、よくよく見れば頬が緩みに緩みきっていて、だらしない表情。「へへ、へへへ」と恍惚の笑みさえ浮かべていた。

「もう最っっ高……死んでもいいわ……」

「…………」

 蓼丸はそっと、ついさっき投げ散らかしたうさぎをぎゅう、ぎゅうと押しこめていく。まるで臭い物に蓋をするような手際だった。

 さて。

「――待たせたな。決着をつけてやる」

 振り向きざま、構える。それは中断してしまった敵への謝罪と、自分自身の矜持の表れだ。

「って……あれ?」

 さっきまで戦っていたはずの布団うさぎがいない。

 見失った……? いやそれより、こういう時はどうするのが正解だ?

 キョロキョロ探すのは余裕がないようでカッコ悪い。

 かといって探さないと不意打ちに対処できず、気取ったのがわかる分もっとカッコ悪い。

 うーん。なんたるデッドロック。

「きゃあ!」

 思案に暮れていると、どん、と痛そうな音がした。支えを失い落下したレヴィアが腰をさする。さっきまで周りにいたはずの毛むくじゃらは消失していた。

 もしやこれは……中ボス出現フラグ!

「はーはっはっは! 見るに堪えんぞドスキューティクル! 弱体化というのは本当だったか! 戦闘員相手に手も足もでないとはなァ!」

「いやー、手も足も出てないのはそういう意味じゃないと思うんだが…………、ゲ」

 突っこみつつ、絶句する――高台には、レオタードを着用したライオンが立っていた。

 ぴっちり毛皮に密着した衣服はシースルーとなっており、胸がスケスケ。

 ……変態だ。

 これを流行らせようと本気で思っているのだとしたら、舵をきる方向をだいぶ間違えている気がする。

 けど……カッコ悪い、と一口に言いきれないのは何故だろう。

「よくも私の、キャッキャウフフを……ッ」

 一方、ぎりぎりと、拳を握りしめるレヴィア。相当お怒りの様子だ。

「申し遅れたが。我が名はレオタード。『征服規定(ダークネス・オブリージュ)』一の幹部にして、レオタードを普及させんとする者! いざ尋常にしょう――」

「モッフモフの……仇ぃ‼」

 鮮やかなアッパーカットがレオタードライオンの顎を打ち抜く。中空に高速で吹っ飛ぶライオン。すぽっと綺麗に脱げるレオタード。

「弱くなったんじゃ、なかったのかぁあああ」

 そう捨て台詞を残して、ライオンは星になった。

「ふんっ」

 鼻息荒く、威勢のいいポーズでそれを眺めるレヴィア。その様は修羅の威容で、お世辞にも可愛いとはいえない。

 ただ本人は、そんな自分さえもカワイイと言いのけてしまうのだろう。

 リストさながらのため息を吐き、蓼丸がこの場をあとにしようというその時。

 羽織っているパーカーの裾をぐい、と引かれた。やめろよ。袖を通さないために肩に貼った粘着テープがはがれちゃうだろ。

「なんだよ。もう帰ろうぜ」

「なんか……くる」

 いつになく放心状態のレヴィアの視線の先に、果たして浮かび上がる、影。また新手か、と思うが凄まじい存在感だ。並の幹部とは比較にならない。ポテンシャルと基本スペックなら先のレオタードライオンやカーディガンドラゴン以上だろう。

 影は、そこにいた。

 そして、蓼丸はその奇妙な出で立ちに覚えがあった。

 黒と白を基調としたフリル、レース付きワンピース。同じく黒系のヘッドドレス。腕にはシースルーのアームカバー。黒のパゴダ傘。

 ややボリュームのある二つ結びの髪は緩く巻いて、銀灰色。眼は非人間的な、高純度の赤を宿している。

 いかにもゴスロリ少女でござい、といった風情の少女は、スカートの裾を上品につまむと、こちらに向かって丁寧にお辞儀をした。優雅な所作だ。

 その顔を上げ、ゴスロリ少女が口を開きかける前に――蓼丸とレヴィアは同時に、我慢ならず叫んだ。

「かっけえー‼」

「かーわーいー‼」

 蓼丸、レヴィア顔を見合わせて、

「「は?」」

 レヴィアが食ってかかる。

「いやいやあり得ないわ。フリル満載、ツインテール、ゴスロリキャラあるある真っ赤な目! ゴスロリ特有の幼いようで大人びた雰囲気! 刺せそうな形状した変な傘! どれをとったって可愛いでしょ!」

 蓼丸も一歩も引かない。

「おいおい勘弁してくれよ。お前は表層でしか物事を評価できないのか? もっと感じるところがあるだろ……こう、孤高の存在っていうかさ。他を寄せつけないからこその儚さとか、抱えがちな闇をむやみやたらに開けっぴろげにしないところとかさ」

「出たわね、カッコよさは見た目じゃないアピール」

「ああ、わけわかんねえのを可愛いとかいうレヴィアには分かんない地平だったかな。失敬したぜ」

「あ。今また遠回しに除草剤のこと馬鹿にした? したわね? また女装させるわよ」

「なんで急に女装なんだよ……。あと除草剤好きだなお前」

「それに、たでぴっぴだって見た目に興味がないとは言わせないわよ。そうじゃないと服に失礼だし、私のことだって時々えっちな目で――」

「見てねえよ! マジで! 鳥肌立ったわ!」

「とにかく! 可愛いの‼」

「いいやカッコいいね‼」

 ――とまあ、このように。

 両者とも全く譲る気のない水かけ論は、互いの主張を受け入れるまで終わらない(=延々と続くもの)と思われた。


「くーくっくっく……どちらも違いますわ!」


 しかし。そこへ澄みきった、小鳥の鳴くような高い声が響き渡った。

 固唾をのんで次の言葉を待つ二人に、ゴスロリ少女は一回転。フリルを閃かせ、満を持して言い放つ。

「わたくしは――ワルですわッ‼」

 ワルですわ、ですわ、ですわ……囁きによる自演だろう、台詞の後半には丁寧にエコーがかかっていたりした。

「か……かっけえ……」

 蓼丸はいたく感動し、しきりに目尻にくる熱いものをぬぐっている。

「……ワル?」

 対してレヴィアはピンときていないらしい。首を傾げて、オウム返しに呟いている。

 そこに「くーくっくっく」と、再び高笑いが響く。

「あまりのワルっぷりに言葉もないようですわね! ……おっと、失礼。申し遅れましたわ。私はゴシック。名の通りゴシック服を担当する、首領一の子分!」

 首領直属の部下だって……⁉

 そんな大物が表舞台に出る――ということは逆に、ゴシックを倒せば組織の戦力は大きく削がれる!

 だが、その前に問いただしたいことがあった。

「なるほどな、おかげで合点がいったぜ。どうして車内にコーヒーを置いたのか……あれはオレ達への宣戦布告だな?」

「オフコース! ですわ。挨拶でも、と思いまして……気に入ってくださいまして?」

「ああ。零れるんじゃないかって冷や冷やしたぜ」

「ええ。わたくしもホッとしましたわ、零れなくって」

「え?」

「はい?」

「……あれは結局、何がしたかったんだ?」

 てっきり零して車内でちょっとしたパニックを起こそうとした、と勘繰っていた蓼丸は、大幅に思考の修正を強いられた。

「何って、見たそれが全てですわ。なんです? あんな少量の液体、急な揺れでもないとあふれるわけないじゃないですの」

 さも「当たり前では?」という顔をされても……。そうなのだけれど。

 雲間からオレンジがかった陽が射してきた。

 ゴシックは傘という名の黒い花を咲かせながら、それに、と続ける。

「あんな公共の場でぶちまけたら駅員さんや乗っている方々に迷惑がかかってしまうじゃないですの。わたくしをそんな塵芥の悪党と一緒くたにされては困りますわ」

「――――」

 どうやら、ゴシックにはゴシックなりの〝ワルの美学〟があるらしかった。

 そういうの、イイ……! と蓼丸はぎゅっと胸に詰まるものを覚える。

 ――相手として、不足はない。

 話の終わりを感じ、蓼丸は刀子を握りこんだ。二足の間合いを、三足で駆け抜ける――、

「わたくし」

 急制動。

 がく、と勇みかけた右足につられて、あらぬ方に傾こうとする身体をなんとか持ちこたえる。

「一日に三つのワル言動をすることをノルマとしていますの」

「へえ」

 それだけだった。

 どれだけ待っても、続きはなかった。蓼丸が関西人なら「で、オチは?」とでも聞き返せただろうが。ゴシックは笑みをたたえたまま、こちらに立ち向かう構えだ――今度こそと、アスファルトの地面を蹴り飛ばす。

「ああ、そうそう」

 ズゴゴゴゴゴゴーーーーー!

 今度こそ、持ちこたえられなかった。蓼丸は重心を思いっきり崩し、威勢よくアスファルトで肩を擦った。……オレの一張羅が!

 ちょうど目前にクマさんスリッパの爪先があったが、見上げるも、レヴィアは「ワル……?」とまだ思案していた。お前はお前で考えこんでる場合か!

「くーくっくっく! 蓼丸一心。知っていますわよ、あなたが雰囲気を大事にする人となりということは!」

「くそ、オレが口上を言い終えるまで攻撃できないのを知ってて泳がせてたんだな! なんという卑劣な……!」

「ふふふ、もっと言ってくださいまし!」

 流石は首領直属の部下。蓼丸を一手で鎮めてしまった。

 とそこへ、「ぴょんちゅっぱ」と悲痛に鳴く声があった。この声は……やはり先程の布団うさぎだ。逃げ遅れたのだろうか。

 時を同じくして、レヴィアのしなりかけていたマウスの耳がぴん、と耳ざとくアンテナを立てた。

「私は、いったい……」

「レヴィアタン、目を覚ましたんだな!」

 レヴィアが硬直から復活した!

 布団うさぎは仲間を探すように、ゴシックの方へ向かう。するとゴシック、何やらいじりはじめて、

「あっ、うさちゃん……!」

「ふふふよく見ておくがいいですわドスキューティクル! フトンが目の前で変わり果てていく姿を!」

「いやあやめてぇえええ」

 バチバチバチ、と宙に浮いた布団うさぎの周囲でスパークがはじける。しかし、変身を遂げたはずの布団うさぎは、ほとんど変わり映えしなかった。

 頭まで被った布団の隙間から包丁をもった手があるくらいだ。いくらレヴィアでもこんな子供騙しじゃ……

「滅茶苦茶効いてる⁉」

 レヴィアは頭を抱えて、ひっく、ひっくとしゃくり上げるような声をあげてしまう。

「わ、私ダメなのよ……ぬいぐるみに包丁って、もうホラーじゃない……」

 弱音まで吐き出した。見ていられなくなった蓼丸は肩をかばいながら這いずり、レヴィアの両手に自分の手を重ねる。

「たでぴっぴ……」

 確かにホラーかもしれない。けど――大丈夫だ。

「お前の方がよっぽどホラーじみてるんだから、もっと自信もてよ!」

 そう、曇り一つない笑顔で言ってあげた。次の瞬間、張り手をくらった。「何故に!」

「ありがとう、たでぴっぴ。おかげで目が覚めたわ」

「オレはたった今気絶寸前だけどな……」

「ここはホラー映画の中じゃないし、よく考えたら私、包丁くらいじゃ傷一つつかないんだった。それなのに健気に私に対抗しようとしてくれるのはもはや愛らしいわ!」

「な……効いていない、ですわっ⁉」

「ゴシック、覚悟―!」とレヴィアの組み合わせた指から、件の名状しがたいハート形の光線が放たれる。必殺技はまだ早いんじゃないかな、とそう蓼丸が思った通り、

「甘いですわ!」

 しかし、大質量を思わせる光線は、ほかならぬレヴィア自身の意思によって曲がってしまった。――すれすれの位置に、盾にされた布団うさぎ(包丁エディション)。

「可愛いと判断してしまった以上、それは弱点にもなるんですわ」

「く……盲点だったわ……」

 そう、これこれ。

 蓼丸は顔には出さぬよう目を瞑りながら、ひそかに満足していた。

 ここは変に自分たちがかっこつけるとかえってノイズになってしまうターンだから。このシーンがあるからこそ再戦、再々戦の反撃が輝くのだ。

「な……なにをしているんですの」

 そんな妄想をしていたから、ゴシックの狼狽を聞くまで蓼丸はついに気がつかなかった。

 蓼丸はいつの間にかリボンでぐるぐる巻きにされていて、レヴィアの手によって振り回されていた。ひゅうん、ひゅうん、と風切り音。……うう、目が回る。

 カウボーイの縄にくくりつけられた気分はこんなだろうか。あるいは、鎖鎌の先のカマ。

「いっけええええ!」

「ヴエエエエエエ!」

 刹那。

 けたたましい叫びをあげながら放たれた『蓼丸&リボン』はゴシックの頬をかすめ、その後ろの自動車に勢いよく激突した。

 ゴシックがぎこちなく振り向く。自動車は炎上こそしていないものの、ぺしゃんこになっていた。

「もー。外しちゃったじゃない」

 といいながら傍らでのびている蓼丸を起こし、またリボンを巻きつけはじめるレヴィア。

(今度直撃したら、身が保たないですわ……!)

 命の危機を感じたゴシックは、なんとか次弾が装填される前にそそくさと場を離脱したのだった。


 十分後。蓼丸が気絶から回復すると、すでにゴシックはおろか、レヴィアもいなかった(飽きて帰っていったのだろう)。

「ああいや、お前もいたんだったか」

 敵に力なく語りかける。

 あとには、またしても取り残された布団うさぎが寂しそうによちよち歩いていた。

 包丁もむなしく垂れ下がって、その哀愁ただよう背中は――不覚にも可愛かった。


        ♡♡♡


 悪の組織『征服規定(ダークネス・オブリージュ)』は、万年赤字に悩まされている。

 人手不足に次ぐわりと深刻な問題で、殊にその責を担う幹部達は、一着の〝制服〟を着回す毎日を強いられている。臭くはない。そもそも服から生じた概念であるから、体臭自体は薄いのだ。しかし、こう、なんだろう……臭くはないのだが、強烈に〝洗いたい!〟という衝動は絶えず渦まいていたりした。

 それでも可能な限り快適に働いてほしいという企業理念により、設備だけは充実している。

 その一環が、通路にずらりと並ぶモニターだ。街の各所に監視カメラを設置して、会社にいながら街の動向が――組織の征服度が可視化されるようになっている。

 近頃は主にレヴィア・ドスキューティクル対策に活用されており、録画された映像を前に、今日もしきりに唸っている人垣が散見された。

 映し出されているのは過去の戦闘データだ。

 上のモニターでは腕っぷしの獣人に関節技をキメていて、その横では大勢の布団うさぎに囲まれて嬉しそうにしている。

「レヴィアタン ああ恐ろしや 恐ろしや」

「我々は〝制服〟ゆえ痛みは感じぬ。感じぬが自分がされたらと思うと何ゆえか怖気が立つ……。どうすればあのような残虐に育つのだ……」

「しかしフトンの戦闘員にはされるがままになっているな……どういうことだ?」

「こ、これはきっと、いつでも赤子の手をひねるように殺せるぞという意思表示に違いない……!」

 人垣で狭い通路の間を、ゴシックは余裕たっぷりの足どりで進む。

 ゴシックが組織本部に立ち寄ることは滅多にない。それは首領一の子分として、また右腕として精力的に慈悪(・)活動に勤しんできたからであり、寄る余裕がないからである。

 奥の扉を開けると、荘厳な電飾に照らされた応接間が目の前に広がる。ゴシックは部屋の中心に片膝を立てて跪くと、大モニターに漆黒のマントを纏った首領が現れる。

 首領とゴシックの感性は酷似している。

 首領は自社ブランドの制服で世を満たし、世界征服をもくろむが、その目的は税金を支払わない生活という、極めて切実な野望だ。本気で成し遂げようとするその姿勢に心動かされた幹部も一人や二人ではない。勿論、ゴシックもその一人だ。

 今回来たのは、そんな首領に緊急で招集されたからに他ならない。

 首領が緊急事態と判断するような用件。

 ゴシックの活動を遅らせてでもいち早くその知恵を借りたいとする事柄。

 しかも容易に漏洩しないように、やたら出費のかさむ秘匿回線まで使う徹底ぶり。

 そこまでする用件なぞ、一つしかない。

『今回、ゴシック君に招集をかけたのは他でもない』

 本格的にレヴィア・ドスキューティクル無力化計画を始め――、


『このまえ〝プロゴルファー猿〟読んだんやけど、めっちゃおもろいからパクってええかな?』


 ――マンガ執筆の相談に他ならなかった。

「鬼気迫る口調でそんな話するとか、滅茶苦茶悪いですわ! 秘匿回線まで使って! わっる!」

「せやろ?」

 ゴシックは感動に打ち震えていた。首領のワルさ加減に、そしてその見事と評さざるを得ない仕込みに。

 首領の脳内では、マンガの構想が常に渦巻いているのはもはや公然の秘密。とはいえこの局面で出してくるとは誰が予測できただろう。

 Gペン放置してたら錆びてきたから買ってきて、という前回の呼び出しが有給をとった日だったので、かれこれ十日ぶりのぶっこみである。

「わしマンガ描かなあかんからさー。ネタ詰まっててさー、そろそろ描かんと」

「わたくしに考えがあります。思いっきりパクってしまえ、ですわ~!」

 くくく、と笑いあうゴシックと首領。その笑みは邪悪そのものだ。

「お主もわるよのう、ゴシック君」

「いやいやあなた様こそ。大ヒット漫画をパクるとか、なんという恐ろしいお考え……まだまだ敵いませんわ~」

 ひとしきり盛り上がったあと。具体的には『ワシはボスや! 微糖クラフトのボスや‼』とアイデアをペンに走らせていたころ、首領はふと思い出したように付け加えた。

「あ。そうそう、忘れとった。ついでにあのヒーローの件、なんとかしといてくんない?」

「承知ですわ。お安い御用ですわ!」

 くくく、で始まった秘密会議はくくく、に終わったのだった。

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