第1話 セーフクするにはまず可愛くなくっちゃね!

 ――それは、まるで空間そのものがカーディガンの為にあるようだった。

 ここ保科市は、年中通して温暖な気候で名が通っている。思わずあくびしてしまうほど牧歌的な都市だ。満開の桜並木が住宅地を彩り、少しはずれには商店も多く賑わう。

 日々の疲れを癒すべく、人々は暇があっては日向ぼっこに興じ、土手でそよとした風を受けては一時の眠りに就いていた。

 しかしその日常が、細いタイトロープの下に成り立っていたことを知るのは、そう遠くなかった。

 気づけば――一面の銀世界だった。

 雪ではない、氷。

 凍えるというより冷却。

 ひんやりした空気が細く長い霧となって漂っている。赤らんだ指先を温める息すら白く、かえって冷たい。

 普段の温暖さは見る影もなく、市内は氷点下。春なのに冬に戻ったような錯覚を覚えた。

 その異常の中心。悲鳴をあげる市民の眼は、一様に同じ画(え)を映していた。

 ――ドラゴンだ。それも、カーディガンを着たドラゴンだった。

 ドラゴンはカーディガンをはためかせつつ、冷気の吐息(ブレス)をあたりに浴びせかける。

 人々は寒さと恐怖に震え、衣服を求める。が、そこにはカーディガンしかない。

 寒さに耐えかねてカーディガンを着てしまうのは、もはや時間の問題だった。

 人々は助けを呼ぶ。来ぬよ来ぬとドラゴンが嗤う。

「そこまでだ!」

 しかし果たして、救世主はやってきた。市民の避難を済ませ、なりふり構わず駆けつけて。

「ここまでか……」

 しかし果たしてその救世主は、カップラーメンも出来上がらないうちにとんでもない窮地に追いこまれていた――!



「はぁ……はぁ……っ」

 とうとう硬い感触が背中にぶつかる。どこかの家のブロック塀だろう、と少年――蓼丸は漠然と思う。

 悪くいえば袋の鼠。良くいえば背水の陣。

 前方ではドラゴンが悠々とその大きな歩を進めている。その鱗にも、角にも、表皮さえ――傷一つ、ついていない。

 攻撃は通じず、冷気に手指の勘が鈍り、霧に方向感覚が狂った。それがこの袋小路にいたった、仕様のない顛末だ。

「……っ。ここまで、か」

 ふら、と視界が揺れる。倒れそうな体を、塀が支えてくれた。

 なんたる体たらく。

 意識をとどめておくのに精一杯で、まともに四肢に力が入らない。今立っていられるのが不思議なくらいだ。この分では動けるとしても一瞬で、一度きりだろう。

 ――霧が一段と濃くなった。

 地面が一際大きく波打ち、竜の声が響く。

「存外にあっけないものだ。その程度か、人の子――もっと凍えてみるか?」

 竜が、氷にならないギリギリの温度で吐息(ブレス)を放つ。冷気を伴った吐息は蓼丸を避け(・・・・・)、彼の周囲に円を描くように冷気を浴びせ続ける。

 すぐに凍え死にはしない。徐々に体温を奪うそれは、だからこそ拷問だった。

「フハハハハハ! そら、早く逃げねば凍えてしまうぞ!」

「くそ……このままじゃ……!」

 ――アレ(・・)を使うしかないのか。

 蓼丸には文字通り温めておいた、切り札がある。よく切れる切り札が。

 しかしこれはあまりにも――切ったほうを痛める諸刃だ。

「っ……!」

 また、視界がぐらつく。つんのめりそうになるのを、爪先で踏ん張って耐える。

 悠長に構えている時間はないらしい。

 刺し違えてもいい。覚悟を決めろと。蓼丸は乾坤一擲の想いで、冷気の渦の元へ飛び出す――

 竜の悲鳴。ついで、すぱーん、と派手な音。

「とりゃー!」

 蓼丸は、見た。

 ドラゴンの強靭な顎を蹴りひとつで吹き飛ばす、ピンクの影を。

 力の行き場をなくし、尻もちをつく蓼丸。その横に、風変わりな格好をした女がしゅたっと可憐に降り立つ。

 こいつがレヴィアだ。

 ぱっと目を引くのは、夢の国の中でしか着けないであろうネズミモチーフのカチューシャだ。次に、そこかしこにリボンやハートを無造作に飾りつけたロリータなドレス。靴は履かず、くまさんスリッパ。今しがた蹴り上げた時の妙な快音は、どうやらくまさんスリッパによるものらしい。

 古今東西のメルヘン要素を溶かして混ぜてごった煮にしたような女。――それが、レヴィア・ドスキューティクルというヒーローだった。

「大丈夫ぅ?」

 レヴィアが、こちらに笑顔を向けながら手を差し伸べる。

 蓼丸はその手を取り、

「何してくれてんだ!」

 立ち上がりざま、レヴィアの頭部にチョップをいれていた。

「何すんのよ~、いきなりっ」

 髪のセットがくずれちゃうじゃない、とレヴィアは非難がましく栗毛の毛先をいじる。

「ピンチっぽいから助けてあげたのに、酷いっ」

「ピンチはチャンス!」

 蓼丸は食い気味に応える。

「ピンチは最大のチャンスって相場で決まってるだろうが。強敵に苦戦し、自分の命と引き換えにしてでも最後の切り札を使い、辛くも勝利する……っていう、こっからが一番カッコいいところだったのに! それをお前は……」

 蓼丸はレヴィアのその鼻っ柱めがけて指差した。しかし身長差があって思ったような格好にはならない。顎下三センチの位置を指しながら、蓼丸は喚く。

「なにお前がカッコいいとこ持ってってんだよ! 一番おいしいとこをさ!」

 言った。言ってしまった。毛嫌いしてる奴を賞賛するのがこんなに屈辱的だとは。

「私が……カッコ、いい……?」

 レヴィアは、目に見えてうろたえていた。かと思えばカッと形の良い眉をいからせる。

「ふっ、ふざけんじゃないわ! 私がカ、カッコいい? カワイイに決まってるでしょう⁉」

 ……なんだろう、よくわからないところで怒っていた。

 カッコいいの何がそんなに不満なんだろう。だんだん蓼丸にも怒りが伝播してくる。

「私が可愛くなかったらこの世の何がカワイイっていえるのよ!」

「いくらでもあるだろ!」

「なんてこというの!」

「カッコいいって言われた方が嬉しいだろうぜ。『カワイイ』と違って、格式高いからな」

 遠回しに「カッコいいって言われたんだから素直に受け止めろよ」といったつもりだったが、結局『カッコいい』の押し売りになっていた。

 レヴィアは宣戦布告と受けとったようだ。

「格式ぃ? 『カッコいい』のどこが格式高いっていうのよ」

 蓼丸は一本指を立てた。

「例えば、オセロだ。オセロの駒は、当然黒と白。白はともかく、黒はカッコいいだろ。そういうことさ」

 ホワイトチョコとブラックチョコの関係に似ている。ホワイトチョコと聞くとさも甘そうだが、ブラックチョコは渋くて大人の味、に通じる話でもある。

「えー? 可愛いじゃん」

「くじくなぁ、出鼻!」

「わかってないわね……『可愛い』は全てを内包するの。黒くたって白くたってかわいい。だからパンダなんていう愛くるしいの権化みたいなのがいるんでしょ?」

 蓼丸もむっとして、負けじと切り返す。

「キモかわ、ブサかわ、ツヨかわ、グロかわ、ゆるかわ……もうなんでもありじゃねえか! 節操無しの見境無しでいるよりかはマシだね!」

 両者、一歩も退かず。蓼丸とレヴィアの間で、透明な火花が弾ける。

 とそこで、サイレンが遠くで鳴った。ウー、ウー、と僅かずつ大きくなっていくサイレンは、こちらの方面に近づいていることを示していた。

「パトカーだ! ね、パトカーだよ!」

 レヴィアがぴょんぴょん飛び跳ね、蓼丸の肩をしきりにたたいた。

「大人がそうはしゃぐなって、もういい歳だろ――」

 その瞬間だった。蓼丸の首回りをレヴィアの腕が締め上げていく。チョークスリーパーをかけながら、レヴィアは朗らかにいう。

「なんかいった~?」

「ぎ、ぶ…………あんどていく」

 ほどなくして首の拘束が解かれる。

 危ない危ない。今のうちに遺言を残しておかなければならないところだった。

〝自称十九才〟と、レヴィアのプロフィールに追記される日もそう遠くないかもしれないなと思いつつ、蓼丸は問う。

「げほっ……。で、なんだっけ?」

「キミのいう『カッコいい』に今のでピーンときてね。カッコいいってあれでしょ、パトカーのことでしょ!」

「いや意味わかんねえって!」

 どういうチョイスなんだ。いやまあ、カッコいい、けどさ……?

 白バイに憧れて隊員を目指す人は一定数いるらしいし、蓼丸自身、その気持ちはよくわかる。『白バイへ』と宛名付きのファンレターを送ったこともあるくらいだ。

 けど、パトカー……? 覆面パトカーならスパイみたいでカッコいいとか、あるのだが。

 レヴィアは、むずかしいのね、と自分の頬をしきりにつついている。

 その様子を見て、ふと。

「そう言うってことはさ、逆にお前、パトカーは可愛くないってみてるってことだよな? 『可愛いは全てを内包する』とかいってたくせして、受け入れてないじゃん」

 内心ニタニタ顔で、しかしそれをおくびにも出さず(これがカッコいいのだ)、蓼丸はレヴィアの反応を待つ。

「いや、可愛いけど?」

「へ?」

 ポーカーフェイスは、一瞬で崩れさった。

「でも今、カッコいいっていって挙げたんじゃ」

「うん、カッコいい寄りのカワイイって感じ」

「そんなのありかよ!」

 卑怯――だろう、それは。

 カッコいいと思ったものを可愛くするだけでは飽き足らず、『カッコいい』さえ『カワイイ』の範疇にしてしまう……などと。

「むろん、もちろん。私の前にはだいたいすべてが可愛いわ。でも、もっと可愛くすることもできるわ」

 パトカーを可愛く?

「想像つかねぇ……」

「たとえば、ボディカラーをピンクにしちゃうとか」

「台無しだよ!」

 黒もかわいいよねって話はどこいった⁉

 あと、ピンク一色のそれは果たしてパトカーといえるのか、という問題も発生していた。

「タイヤにぬくぬくのマフラーとか巻いてもいいかも」

「やめとけって。多分マフラーが巻きこまれてる事故映像にしか見えないって」

「でも手編みよ?」

「どう違うんだよ……」

 レヴィアは自分で語って想像したのか、なんというか、うっとりした表情をしていた。目がらんらん輝いている。

 閑話休題。

「もっとこう、素材を活かす、みたいなのはないのか?」

「ん? 今持ってるやつでいい?」

 といって取り出したのは、

 除草剤だった。

「なんっっでだよ!」

 草を根こそぎ枯らすものといえば聞こえはいいが、それにしても無理くりで、蓼丸のストライクゾーンにも入らない。

「え、意味わからん意味わからん! じょ、除草剤のどこが可愛いんだよ!」

「人の役に立ってるのにそうやって誰にも見向きもされないとこ、かな?」

「……巷でいう〝可哀想は可愛い〟ってやつか……? いや、でも除草剤が、ねぇ……」

「む。今、全国の除草剤愛好家を敵に回したわね」

「そんな愛好家はいねえ。……。いない、よな?」

「今のうちに育毛剤の準備をしておくことね」

「つるつる頭にされるのか、オレ⁉」

 全国の除草剤愛好家に!

 ……ていうか危ねえよ。色んな意味で。

 レヴィアはむう、と唇をとがらせる。唐突に可愛いアピールをしはじめた……のではなく、単純に不満を感じているだけだろう。自然とぶりっ子みたいな挙動ができるのも、レヴィアのプロ根性のなせる業だ。

「じゃあ聞かせてよ。キミの思うカワイイっていうのをさ?」

「オレの思うカワイイ? かー……」

 急に振られても、気の利いたワードが思いついてくるわけでもなし。

 だから蓼丸は、ぱっと思い浮かんだことをそのまま口にしようとした。

「こ、コウテイペンギンとか――」

「わかる! かっわいいよね!」

 と、台詞が言い終わらないうちに、レヴィアは蓼丸の両手に自分の手を被せるようにして、ブンブン上下に振り出した。うさぎのように飛び跳ね、全身で喜びを表すように。

 一方の蓼丸はテンションの差に戸惑う。戸惑っているうちに追撃はやってくる。

「ズバリ、どんなとこが可愛いと思う?」

 改まっていわれると困る質問を、平然とレヴィアは訊いてくる。さっきまで除草剤が可愛いとか言ってた奴だ、まともな意見では認めてくれないのだろう。

 しかし、残念ながら蓼丸はごく一般的な感性をもっていたから、いたって普通のことしか言えなかった。

「月並みだけど、白い腹が張ってたりするのはまあ、いいと思うぜ。軽くたたいたら気持ちよさそうでよ」

「ブラボー……」

 レヴィアは指先で高速の拍手をして、激しく賞賛を表した。

 その眸は、心なしか潤いが増しているようにみえた。

「そこに目をつけるとは、なかなかやるわね。ペンギンの可愛さをその台詞だけでありありとイメージできるその辺り……抜け目ないわ。正直いって、驚きました。いや、たじろいだといったほうが正しいのかな!」

「オレには何が何やらだが。そこまでいってくれると悪い気はしないぜ。あー……えっと。オレもお目ばかりか、鼻が高いってね!」

 ひとしきり盛り上がったところで、レヴィアが口を開く。

「え、じゃあ『カッコいい』は?」

「地下鉄――だな」

「どこがカッコいいの?」

「ふむ。まず暗くてジメジメしてるだろ、なんかカクカクしてるだろ。極めつきが――仕事や何やらで疲弊した乗客の、ある種闇を孕んだ雰囲気! これなんだよ」

「ごめん、よくわかんない」

 ぐっ、と口ごもってしまう。

 ジャブが、通じない……。

 レヴィアは、本気で困惑していた。眉のしわがマリアナ海溝くらい深い。

「バカヤロウ。地下鉄は……カッコいいんだよ」

 気まずそうに視線をきり、蓼丸はここではない遠くへ思いを馳せる。

 あのじめったいような、整頓されたようで薄汚れたプラットホームの空気感とか。

 無機質ながらどこか温かみあるライトを灯らせ、郷愁を引き連れてくる列車とか。

 たまらないのだ。まあ、レヴィアには決して理解できない次元の話だろうが。

「お、の……れ」

 と。

 か細く、けれど存在感のある重低音が、二人の耳に届いた。

「? なんか喋ったか?」

「はあ? 私がこーんなブスい声出すわけないじゃない。キミじゃないの?」

「オレか? このイケボ、オレなんかな。無意識に出ちゃってた? ……て待てよ、今遠回しにオレをブスっていったか?」

「おのれ……」

 今度の声は、より鮮明に、より暗く響いた。

 まさか、と蓼丸は驚愕に目を見開いた。

 ――カーディガンドラゴン! まだ生きていたのか!

 と身構えると同時に、

 ――完っ全に忘れてた!

 と複雑な思いが去来する。

 振り向けば、街が半壊していた。

 まるで大型の怪獣がひとしきり暴れまわったような、純然たる破壊の痕。

 蓼丸はあんぐりと口を開けて固まってしまった。

 レヴィアも口許に手を当て「まぁ……」とひそかに驚愕していた。

 ――いや、お前は驚いちゃ駄目だろ。張本人め。

 レヴィアは神妙に黙りこんで、瓦礫の道を渡っていく。蓼丸もあわてて後を追う。

 その道中、レヴィアが痛ましそうに「誰がこんなことを……」と呟いて、蓼丸は突っこみそうになったが、堪えた。

 突き当りに、竜が腹ばいに倒れていた。ピサの斜塔みたいに傾いたビルに半身を預けている。

 だが、瀕死というほどでもない。鱗はところどころひび割れ、角も片方折れていたが、蛇のような双眸には未だ闘志が揺らめいていた。

 竜の全容がフレームに収まるギリギリのところまで近づくと、竜が身じろいだ。

「しぶといわね」トドメを刺そうと、レヴィアが腕を回す。

 それを、蓼丸は静かに手で制した。

「たでぴっぴ?」

 そこで変な愛称はやめろ。

「オレにやらせてくれ。〝アレ〟を使う」

 蓼丸は努めて低く言う。

「アレ、って……まさかアレ?」

 蓼丸はああ、と神妙に頷く。レヴィアも得心がいったようで、「任せて、いいのね」と固唾をのんで見守る構えだ。

 ――蓼丸の腰に、一本の刀子が提げてある。

 繊維という繊維を削ぎ、戦意という戦意を剥ぎとる、対繊維生物に特化した代物(アンチコーディネート)だ。謳い文句の通り、幹部といえどカーディガンドラゴンなど、この刃の前には紙を着ているのと一緒だろう。

 さて、ここ一番の見せ所を演じよう――と鼻息荒く蓼丸が張りきっていたところで、レヴィアが「はい、これ」と何かを渡してきた。

 それは魔法少女もので出てくるようなハートの変身ステッキ……を模したドライヤーのアウトレット品だった。

「……何の真似だ?」

「私のとっておきよ。今となっては店頭に出回ってないからプレミア品かも」

「ドライヤーの紹介をしてくれとは言ってない。なんでドライヤー?」

「? 要領を得ないわね。〝アレ〟って、キミを可愛く演出してってお願いじゃなかったの?」

「違ぇよ! オレはカッコよく倒したいだけなの!」

 仮にドライヤーを使うとして、どう活用するのかは気になるところだが。

 レヴィアは一瞬斜め上を見て考えるそぶりをしたのち、蓼丸からドライヤーをひったくると、

「じゃあダメ。やっぱり私がやるわ」

「おい、待――」

「きゃわふる・みらくる・ぴゅあふる……」

 ハート形にしたレヴィアの両手指に、ピンク色のエネルギーが凝集していく。すぐに臨界。

「めるへんびーむですとろい~!」

 蓼丸が止める間もなく、竜の捨て台詞も聞けぬまま――

 曰く名状しがたいピンク色の光線は、寸分たがわず竜の左胸に直撃した!

 ――そしてドライヤー、結局一ミリも使ってねえ!

「グ、オオォォ……」

 横ばいに倒れ、沈黙する竜の巨体。それによる揺れが収まったくらいに、蓼丸はレヴィアの下へ駆け寄った。

「なんて可愛いのかしら、私! うっわすご、超盛れてるわ今の! 特別大サービスでウインクしーちゃおっ」

 竜を背景に自撮りしていたレヴィアに、チョップするためだった。

「あ痛(いて)っ。……じゃなかった、『うぅ~、いたいよぉっ』」

「無理するくらいならぶりっ子やめろ。……てか何してんだ、お前? 闘いが終わったって直後によ」

「見て分かんないの? 自撮りよ自撮り。シメはやっぱこれじゃないとね~」

「違うだろ!」

「……え?」

 竜のもたらした地鳴りほどではないが――蓼丸の叫びは、それこそ、地の底から湧き上がる怒りそのものだった。その矛先をしっかりレヴィアに向けて、蓼丸はまくしたてる。

「そこは、夕陽をバックに、『自分のしたことは本当に正しかったのか?』と手のひらを見つめて、殺めてしまった余韻を噛みしめるところだろ? そうして哀愁漂う感じで立ち尽くすんだよッ!」

 レヴィア、天啓を得たように手を叩く。

「あー、確かにそれ! 可愛いかも」

「ちっがあああう!」

「……ほえ?」

「全然わかってない! お前はカッコよさを全っ然、わかってない!」

 ――皮肉にも。魂を絞り出すように叫んだ、そのやや前傾した背中は、哀愁を伴って映ったのだった。



「っていうか、殺してはないわよね」

 と。

 住宅街が寒く凍えるようだったのが、一時の夢のように元の温暖さを取り戻した郊外。蓼丸が感慨にふけっていると、レヴィアが思い出したように切り出した。

 帰途につこうという時のことだった。

「何だよ、藪から棒に」

 蓼丸はきょとんという感じで聞き返す。この女には本当に脈絡というものがない。

「これよ、これ」

 とレヴィアが自分の肩を強調する。戦利品である、カーディガンドラゴンのカーディガンだ。レヴィアは羽織らず、肩に担ぎながらなんとなしにぼやいている。

「〝『制服』という概念が具体化した結果、竜やら人やらの形を作っている〟……その触れこみが本当なんだったら、あのあと潔く消えるなり滅ぼされるなりしなさいよって感じだわ」

「オレだってどうせなら爆発四散させたいけど……仕方ないだろ。本体はカーディガン(そっち)なんだから」

 あのあと――というのは、早まったレヴィアが竜の胸を撃ち抜いたあとのこと。

 竜は、胸にぽっかり大穴が空くというそれなりのダメージを負ってなお、まだ生きていた。

 正確には、竜の羽織っている『制服』――カーディガン。あれに、傷一つ付いていなかったのだ。

 服という概念から生まれた――つまり『制服』を起源とする彼らにとって、『制服』以外の要素は全てガワでしかない。

 だから、そう――あのあとレヴィアがしたことは、理にかなってはいたのだ。

 あのあと。

 その情景を、蓼丸はありありと思い出せる。

 カーディガンを、竜のうろこごと無理やり引き剥がすレヴィア。ぷち、ぶちぶち、びちびち、と段階を踏んで剥がされるうろこの悲鳴。痛い痛いと重低音で泣き喚く竜。そしてカーディガンを追い剥ぎした隙にどったどった命からがら逃げた竜の背中。

 あの竜の背中はカッコ悪かった。……と同時に、かなりの同情も湧いたが。

「……ありゃ、普通に倒すよりよっぽどむごかったと思うぜ?」

「それこそ仕方なかったのよ。あれしか方法が思いつかなかったし、……反応も、悪くなかったし」

 このサディストめ。

「ま、カーディガンとのペアリングは切れてたみたいだから、不幸中の幸いというべきよ」

「幸い……になるかぁ?」

 中途半端に残ってしまった分、トラウマが深くなりそうだけれど。

 とそこで、二股にさしかかった。蓼丸は右の道。

 いつもならここで「じゃ」と別れるところを、今日は何故だかできなかった。

 本能的にこの弛緩した雰囲気を楽しもうとしているのか? 

 ――否だ。蓼丸は断じてレヴィアに好意めいた何かを――どころか、プラスの感情をもてないでいるのだ、あり得ない。


「ぴょんちゅっぱ」


 可愛らしい声がした。

 目の前だ。いつの間にか、〝うさぎ〟がいた。

 勿論、野生のうさぎではない。右の道に、二足歩行の、布団にくるまったうさぎ。

「油断!」

 蓼丸はとっさに腰を低く、身構える。

 布団うさぎもその赤い眼で睨んでくる。が、まとっていた布団が落ちて、慌てて直す様子は、なんだか締まらない感じだ。

 先のカーディガンドラゴンのような、幹部ではないだろう。雑魚も雑魚。

「ついに悪の組織さんも人材不足ときた。やるぞレヴィア。……レヴィア?」

 レヴィアは、頭を抱えて、その場にしゃがみこんでいた。

 どうしたというのだろう。いつもなら、敵を見つけた片っ端から蹴り飛ばしていくというのに。

 それが今やすがりつくように、蓼丸に駆け寄ってくる。

「どうしよう、たでぴっぴぃ……」

「ど――どうしたってんだ……?」

 レヴィアの声はいつになく弱々しい。蓼丸も、こんなレヴィアの姿を見るのは初めてだ。

 だから親身になって、レヴィアの次の言葉を待つ。

「かわいすぎて……倒せないかも、だわ……」

「…………はい?」

「〝布団×うさぎ〟だなんて……そんなの、かわいいに決まってるじゃない……!」

「え、えっと……レヴィア? 何を言ってるんだ……?」

「まさか私の『カワイイ』好きを知って組織が送りこんできたのね……⁉ 卑劣だわ、許せないわ! でも倒せない、くやしい……っ」

 いや、悪の組織もそんなこと全く考えてないと思うけど……。

 しかし何にせよ、このうさぎをなんとかしなければならないのは変わらない。レヴィアじゃないが、ひょっとして見かけほど弱くないのかもしれないし――と、布団うさぎを見る。

 ちょうちょを追いかけようとしたものの布団の端につまずく、布団うさぎを見る。

 ……倒す必要、あるんだろうか。

 いやいや、と首を振る。庇護欲を誘って戦意を削ごうという作戦に決まっている。その手には乗らないぞ。

 蓼丸は駆けだした。

 まずは距離を詰め、敵がこちらの接近に気づかぬうちに刀子で一閃。蓼丸がうさぎの背後をとったころにはうさぎは倒れている――そんな情景が、動向に先んじて浮かんでくる。

「ザコは一撃で、瞬・殺!」

 うさぎは突然の接近に対応できていない。ただおろおろと目を泳がせるばかり。

 ――勝った! 念願の初勝利だぜい!

「やめてッ‼」

「ぼきょわ⁉」

 間合いに達しようという時。

 蓼丸を、突如として〝魔法少女もので出てくるようなハートの変身ステッキを模したアウトレット品のドライヤー〟が襲った!

 具体的には、みぞおちにドライヤーの側面がインパクト。蓼丸は空高く打ち上げられた後、打ち上がった倍の速度で墜落したのだった。

「なに……しやがる……」

 鬼気迫る金切り声を出したレヴィアは、蓼丸を親の仇でもみるように睨んだ。

「この子に手を出さないで! ……あとは私がやるから」

 突き放すようにいって、布団うさぎを抱くレヴィア。うさぎは泣く一歩手前で、レヴィアも涙声。まるで娘を抱きかかえる母親のようだった。

「やだ、あの男……」「女の子泣かせてる……サイテー」「ママぁー「見ちゃダメ!」」

 近隣住民の非難の視線が、蓼丸に突き刺さる。……え、オレが悪いの?

 その時、レヴィアの腕からうさぎが脱走した。

「あっ! うさちゃ……」

「ザコ敵を逃がすとか、一番あっちゃいけないだろ!」

「どうするつもり?」

 慌てて追いかけようとする蓼丸の腕を、しかしレヴィアが引き止めた。

 見失わないように、蓼丸は前を睨んだまま答える。

「決まってんだろ、そんなの。……いいから放せよ」

「ダメ。行ったら、きっと戻れなくなる」

「……っ」

 それは奇しくも、『オレの考えた最高のシチュエーション』ベスト三〇に入る台詞だった。

 だから蓼丸は、その手を優しくどけて、こう言うのだ。

「ありがとう。……けど、オレ、もう大丈夫だから」

 ほどけていく、手のひらの温度。腕に残った感触、その名残を感じながら、蓼丸は敵を追う。

 ――なんてことには、ならなかった。

「いででででで! あれ、普通この流れになったら行かせてくれるんじゃねえの⁉」

「何トンチンカンなこと言ってるのよ! 手を出さないでってお願いしたでしょ、聞いてなかったの⁉」

「もういねえって、見失ったから! いい加減放せよいい加減に!」

 レヴィアが落ち着きを取り戻し、蓼丸の右腕がようやく解放されたのはその一分後のことだった。

 そうして、状況は分れ道に戻る。

 レヴィアは左の道に、蓼丸は右の道に立つ。

「じゃあ、ここで」

「ああ、またな」

 別れを告げ、踵を返そうとした蓼丸を、ピピピピ……と電子音が遮る。

 通信は、蓼丸の雇い主からだった。

 よりによって……。今日は厄日だな。

 またぞろ給料の減額だろうか……と予感しつつ、通信機のボタンを押す。

 雇い主からの話は、給料の減額ではなかった。それが可愛く思えてしまうような要請だ。

「オレがあの女の家に居候――って、どういうことだ?」

『近頃、クレームが殺到していてね。君の同業、ドスキューティクルに寄せられた苦情だ。ついさっきも敵組織の幹部を敗走させたそうだが、途中、ビルを怪力で傾けたそうじゃないか』

「話が見えない。それがどうして、レヴィアとひとつ屋根の下で暮らすって話になるんです。御免だぜ、こんな怪獣みたいなのとなんてよ……」

『ドスキューティクルは強い。このままいけば組織壊滅も視野に入るだろう。しかし強力な獣は、誰かが鎖で飼いならすほかあるまい』

「断る。サーカスの火の輪くぐりしたくてオレはヒーローになったわけじゃねえ」

『いいのか? こいつがどうなっても』

 プツ、とビデオ通信に切り替わり、蓼丸の眼前にホログラムが映し出される。映像には、茶髪のソフビ人形が視界いっぱいに表示されていた。

 マリンちゃん人形だ。蓼丸の愛好する特撮ヒーロー番組のヒロイン。……というか、オレの永遠のヒロイン。働く際の条件、担保として企業に預けているのだ。

「そ、それは……ッ。卑怯だぞ……!」

『いいのか? んー? そら、そこだ、グルグルパンチー』

「やめろォ! そのけがらわしい手でブンドドするなァ! 腕をギャグマンガみたいに回しまくるなァ!」

 その人形遊びにしたって、生意気にも画角、構図ともに完璧で余計に腹が立つ。

 なんとかしてマリンちゃんを助けるには……と周囲を見渡すと、ふと思い至る。

「そうだ、レヴィア! レヴィアの許可がないと、この話そのものがおじゃんだぜ? ……なあ、お前だって嫌だよなァ⁉」

「ん? なに?」

 まるで今気づいたように、せこせこ何かを組み立てながらレヴィアが応える。

 しゃがみこんだその傍らに、木製の小屋ができつつあった。折り畳み式らしい。

「なにしてんだ?」

「何って、見て分かんないの? 今日の私の家だけど」

 今日の?

 日替わりランチみたいなノリで言われてもな……。

「で、なんだっけ。一緒に暮らすって話だっけ? いいわね、それ!」

「ああ、居候な。……って、いいのかよ!」

 ……全力で遠慮したいのだが。

 そしてなんで乗り気なんだ。

『話はまとまったようだ。ではの』

 耳許で響く通信機の声に、意識が引き戻される。

「おい、ちょ、まだ話は終わってな――」

 怒号も懇願もむなしくブツ、と切れる通信。

 一方のレヴィアといえば、掘立小屋と蓼丸を交互に見ながら思案げに頭をひねっている。

 こいつはこいつで、既に共同生活をする前提でいるらしい。

「うーん、でもあれだわ。ちょっと狭いかも」

 いや、それ以前の問題だと思います。

「あ、そうだ、ここらへんの壁くりぬいちゃえばいっか! うん、開放的!」

「オレの家にしようそうしよう!」

 食い気味だった。

 そうしてすぐ、言うんじゃなかったと後悔した。

「……いいの?」

 遠慮がちにこちらを見上げるレヴィアの視線に、蓼丸は、諦めたようにため息をひとつ。

 かくして、レヴィアとの共同生活が始まったのだった。


        ♡♡♡


 薄暗い、等間隔に配置された壁の燭台がおどろおどろしい緋を揺らす中で、その会議は行われる。

「では本日も定例の……『~制服で世界征服するには~』会議を始める!」

 レオタードを着たライオン系の怪物が、その風貌に相応しい号令をかけた。

 しかし場には、レオタードライオンの他に人影と呼べるものはいない。

 古めかしい、時代を感じさせる円卓には、物言わぬ硬質の塊――モノリスが十三体、囲むように着席しているだけだ。やがて、そのモノリスからブゥン、とテレビの電源を連想させる音とともに幹部の姿が順々に映し出される。獣人、伝説上の生物の形をした彼らは、例外なくミスマッチな服装に身を包んでいる。

 このように悪の組織『征服規定(ダークネス・オブリージュ)』の作戦会議は、リモート会議の様相をなして行われる。幹部、戦闘員の需要に応え、悪の組織は日々進化しているのだ。

「我らが首領の悲願、世界征服を成し遂げる為には『制服』を流行させねばならん……だがその為にはまず、我々の崇高なる企みを幾度となく邪魔してくれおった憎きドスキューティクルを成敗しなければならない!」

 レオタードライオンの拳が怒りに震える。手の甲、そして右脚には深い傷跡を隠すように包帯がぐるぐる巻きにされていた。

 ドスキューティクル、と名前を出した瞬間、ひい、と引きつったような声がモノリスから幾つか聞こえた。

 作戦の説明をしたあと、場に集まった幹部達を見渡して、レオタードライオンはいう。

「――というのが概要だ。誰か、我こそは! と思う者はあるか!」

 途端、静寂が場を包みだす。誰も声を挙げず、蝋燭の橙が頼りなさげに揺れる。

 レオタードライオンがしびれを切らしかけた頃、おずおずと進言する声があった。

 カブトムシ冬将軍だ。サンタのような紅白の衣を纏うカブトムシの怪物は、病的に白い自分の角を撫でつつ、口を開く。

「レオタード。あの、お言葉ですが。――その作戦は、幹部クラスか、それ以上の戦力が条件のようですが」

「その通りだが」

「そんな人材が、どこに残っているというのですか?」

 モノリスの面々を見遣る。致命傷を負った者、トラウマを抱えた者、大事なグッズを通り魔的に粉微塵にされた者、つい先日鱗を剥がされ再起不能、休職届を出した者……最後に自分の、包帯にくるまれた手のひらを見下ろす。

「わかっている。わかっているが……ならば、他にどうすればいいというのだ。貴様に何か案があるのか!」

 レオタードライオンは嘆く。

『征服規定(ダークネス・オブリージュ)』は、ホワイト企業を売りにしてきた。有給消化率は高く、年間休日も多く、残業などもってのほか。手当も豊富だ。

 しかしそれが、ドスキューティクルを相手するようになってから、すべてが裏目に出ていた。労災により世界征服に回す予定の費用が飛んでいき、各種手当の頻度が大幅に増え、極めつけに人手不足。

 人材が足りず、ついに先日、低級の戦闘員を出さざるを得なくなったほどであった。

 とそこまで思案した時、カブトムシ冬将軍が卓上モニターに映像を映し出した。

「昨日の戦闘ではないか。これがなんだというのだ」

 レオタードライオンの言の通り、そこにはカーディガンドラゴンと戦い、布団うさぎを追い払うまでの一部始終が描かれていた。

「よく見て下さい。ここですよ、ここ」

 映像が一時停止し、ドスキューティクルの顔面がドアップになる。布団うさぎが登場してしばらくのことだ。

「どういうことだ? 戦闘員を庇っている……?」

 カブトムシ冬将軍がフフフ、と悪い笑みをこぼした。

「ええ。理由は不明ですが……もしかすれば、ここにつけいる隙があるかもしれません……」

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