第2話 心が子供のまま大人になった男の子の作文

 ○○小学校卒 後藤 けんじ 40歳


作文 

僕のお父さん


 僕のお父さんは、働いていません。いつも家で、お酒ばかり飲んでいます。だから代わりにお母さんが、毎日朝から晩まで働いています。働きづめでいつも疲れて、きついきついと言っています。


 うちは貧乏なので、夏休みはどこにも連れて行ってもらえませんでした。友達とみんなでプールに行ったり虫取りに行ったりして、楽しい夏休みだったけど、お盆の時期に入った途端、遊んでくれる友達はいなくなります。


 お金持ちの花輪君は、ハワイに行くんだと自慢していました。ハワイじゃなくても、みんなどこかしらへ連れて行ってもらえるみたいでした。田中君は旅行には行かないけど、田舎のお爺ちゃんの家に行くんだと、嬉しそうにしていました。


 僕は駄目元でお父さんの機嫌がよい時に、「旅行に連れて行って」と言ってみました。するとたちまちお父さんの機嫌は悪くなり、僕は頬をグーで殴られ、「生意気言いやがって!」と怒鳴られました。


 お父さんが怒る時はいつも、目の奥がぬらっと鈍く光っていて、まるで狂ったひとようです。僕は殴られることよりもその目の方が怖くて、いつもお父さんの顔色をうかがって縮こまっていました。


 僕は決してお父さんのようにならないと、心に誓いました。大学は行けなかったけれど、地元では有名な中小企業に就職することができました。そして、同じ会社で僕を好きになってくれた女のひとと、結婚しました。僕はお父さんと違って、奥さんを専業主婦にしてやることができました。


 子供も、女の子と男の子ができました。

「毎年夏休みに、子供たちと君を旅行に連れて行ってやる父親になりたい」と言うと、奥さんは「嬉しいわ」と言って微笑みました。僕はその目標のために、がむしゃらに頑張って働きました。

 そして、子供たちがまだ小さいうちは近隣の県へ、小学校に上がるともう少し遠くへ、旅行に連れて行けるようになりました。毎年、奥さんも子供たちも大喜びです。


 海辺で楽しそうにはしゃぐ奥さんと子供たちを眺めながら僕は、お父さんのようにならなかった自分を、心から誇らしく思いました。


 女の子が小学校1年生の時、せっかくバーベキューセットまで買ってキャンプに連れて行ったのに、ずっとぐずって帰りたがったので、イライラしました。

「せっかく連れて来てやったのに、何で楽しまないんだ!」

 怒鳴りつけたらやっと泣きやみ、楽しそうにお肉を食べ始めたので、やれやれと思いました。


「初めてこんな遠くまで来たから、疲れちゃったのよ」

 奥さんが言ったので僕は、

「ずっと運転している僕の方が疲れてるのに、生意気な!」

 と、また少しイラッとしました。

 物心つく前から旅行に連れて行ってやっているから、それが当たり前のことだと勘違いして図に乗っていたのでしょう。


「いいか、お父さんに旅行に連れて行ってもらえない子もいるんだからな!お前たちは幸せなんだ!お父さんは、お前たちにありがたい経験をさせてやってるんだぞ!」

 ちょっと強めに説教すると、女の子も男の子も泣きながら「お父さん、ありがとう」とすがりついてきましたが、なかなか怒りは収まりませんでした。

 だけど今では、いい思い出です。


 目下、女の子が中学3年生になった今度の夏休みは、ハワイに連れて行くことが目標です。子供の頃、花輪君が「僕んち、ハワイに行くんだ」と僕を蔑むような目で見ながら得意げに言った時、実は悔しくてたまらなかったのです。だからいつか、絶対子供たちをハワイに連れて行きたいと思っていたのです。


 ハワイのビーチで、楽しそうにはしゃいでいる子供たちの姿を想像するだけで、残業も休日出勤も苦ではありません。今度の日曜日は、みんなで水着を買いに行こうかな、と胸を躍らせながら夜遅く仕事をしていると、離婚した奥さんから電話が掛かってきました。


 女の子が「ハワイに行きたくない」と言って、奥さんのところに逃げて来たそうです。僕は耳を疑いました。


 ハワイに行きたくない?


 逃げる?


 どういうことだ……?


「あの子、お父さんのとこは嫌だから、私と一緒に暮らしたいって言うの。いいわよね」

 黙り込む僕に、奥さんがそう畳み掛けます。


「何でだ?僕は子供たちのために頑張っているんだぞ。ハワイも子供たちのために……」


 やっとのことで呻くように言葉を絞り出す僕に、奥さんは冷笑まじりに言いました。


「子供たちじゃなくて、自分のためでしょ。いい?私も子供たちも、あなたの書いた脚本を演じる役者じゃないのよ。自分の思い通りに子供たちが楽しまなかったら、あなた、ものすごく怒るじゃない?だから無理矢理楽しんでるふりをしてただけなのよ、今まで。だって、あなたが怒る時、目の奥がぬらっと鈍く光って、それが狂ったひとの目のようで、本当に怖いんだから……」


 了

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