ショート・ショート

斎藤 愛久

第1話 普段我慢して怒りをため込んでる女子の別れの手紙

拝啓


啓一郎さんへ


襖一枚隔てた隣の部屋で、気持ちよさそうに寝息をたてている啓一郎さん。今日は満月ですよ。


まんまるなお月様は、しょうゆをたらした黄身のように濃い色をしています。ニュースで梅雨入りが宣言され、少し肌寒さを感じる夜は、これから迎える夏祭りの準備期間のようにしんとして少しばかり物寂しく、もしかしたらこんな夜にかぐや姫は月に帰ったのではないかと、想像してしまいます。


リビングは電気をつけていなくても月明かりでうっすら明るく、私がこのように手紙を書けるくらいです。

啓一郎さん、これは別れの手紙です。


私にはかぐや姫のように帰るところはありませんが、あなたの元からおいとまいたします。この一ヶ月ほど、直接言おう言おうと思いながら、あなたの顔を前にすると、喉に石がつまったように言葉が出ません。私の悪いくせでへらへら笑ってごまかして日々を過ごして参りましたが、もう限界です。


三年という短い期間ではありましたが、こんないたらない女をあなたの妻として傍においていただけたこと、こころより感謝しております。そしてこのように手紙だけ残して身一つで去っていくこと、残されたあなたの気持ちを考えただけで胸が張り裂けそうですが、どうかお許しになってくださいね。


あなたは何も悪くありません。悪いのは全て私です。それは、いつもあなたがおっしゃっている通りです。あなたが厳しく私を指導してくださったのに、由緒ある田中家にふさわしい嫁になることができませんでした。自ら去るという決断をするのは、こんな駄目な嫁ですから、当然のことでしょう。あなたのためにも、よいことだと思います。


「お前の努力が足りないだけだ」とあなたは怒り狂いそうですが、私は十分すぎるほどの努力をし、それでもダメ出しばかりされるので、鬱っぽくなり心療内科に通っていたくらいです。


思い起こせば30歳の誕生日を迎えた年、両親から早く結婚しろ孫をみせろと責められて、正直かなり焦りました。この田舎では同世代は皆、結婚して子供もいたものですから。周りに合わせなきゃというただそれだけで、あなたとお見合いをしました。

要するに、結婚できるなら誰でもよかったのです。


……が、私はひどいハズレを引いてしまいましたね。

マザコンでチビ、ハゲ、デブの三拍子揃ったあなたでも、私のことをこころから愛してくださるなら構わなかったのです。つき合っている時のあなたはとても優しく、笑顔が素敵にみえました。男性経験の少なかった私は、その仮の姿にすっかり騙されて結婚し、本性に気づいた時にはもう手遅れでした。


私は好きな翻訳の仕事をしながら、あなたに尽くして生きていこうと思っておりました。しかしあなたは「そんな下らん仕事はやめろ」と言い、私に専業主婦になるよう強要しましたね。


お義母様も同じ意見でしたから、郷に入っては郷に従えという気持ちで、泣く泣く仕事をやめました。それからは、専業主婦のくせに家事がちゃんとできてないだとか、料理が下手で不味いだとか、毎日散々の言われよう。


普通はこうだ、常識的にはこうだと、あんたは二言目にはそう言ってたけど、それどこの普通でどこの常識だよ? 由緒ある田中家の? は? ただの貧乏武家の末裔だろーが。


「母さんの料理を見習え」だとか言うけど、テメーの母親の料理、全部味濃いすぎだっての。舌の味蕾がおかしくなりそうだっての。何でもぶりぶりぶりぶりマヨかけて家族全員マヨラーって、まじキモいから。


テメーは他の女とつき合ったこともないから、あのクソババーの料理が普通と思ってんだろうし、クソババーの方も「啓ちゃんのため」だとか言って犬猫も食わないような不味いおかず、毎日せっせと作ってうちに運んでくるし、いっそのことふたりで恋人同士みたいに一生仲良く暮らしていけば? 

テメーの親父は存在感なくて、家の中ウロウロしてるだけの座敷わらしみたいなもんなんだし。


あのクソババーが、目だけ笑わないキモい笑顔で顔を合わせるたびに、「子供はまだできないのぉ?」とか聞いてくんのも、マジうんざりなんだわ。テメーのクソ息子の子供とか、産みたくもないわ。ハズレ引いたって絶望した結婚当初から、こっそりデキないように処置してたんだっての。ざまーみやがれって、クソババーに伝えといてくれる?


本当は家に火つけてテメーを焼き殺して逃げたいくらいだけど、それはやめといてやるから感謝しろ。あ、初めの方に書いた、テメーに感謝してるってのは、マジだから。自己犠牲の精神で生きてると馬鹿をみるって気づけたから。


それから、「これだけはお袋の味と同じに作れるようになったな」って唯一褒めてくれてたアレ、ホルモン焼いたやつ、スーパーで「こてっちゃん」っていって売ってるやつで、お袋の味でもなんでもないから。


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