4

 車が現場に到着した頃には、空一面がオレンジ一色になっていた。

 路肩で停車し、織笠が疲れた表情で窓ガラス越しに外を見る。そこは何かの施設のようだった。広大な敷地を高い塀で囲み、様々な用途に使う複数の建物が詰め込んである。

 場所は足立区にある造園会社。関東地方を中心に、造園の設計や施工、維持管理を行っている大企業である。

 敷地内には駆けつけた警官で溢れていた。特に集中しているのは奥にある一際大きな体育館のような建物の前。物々しい雰囲気が漂っている。

 ここまでそこそこの距離だったが、さすがに事件とあってサイレンを鳴らせば一般車は避けるようにどいてくれるので案外早く着いた。その車中、急に飼うことになった黒猫――モエナは、飼い主である織笠の膝の上で呑気に眠りこけていた。猫は車が嫌いだとよく聞くが、どうも彼女にはノープロブレムらしい。

 車から降りた織笠はカイに連れられ、入り口付近の守衛所へ向かう。モエナも、さも当然でしょといった感じに澄まし顔でなぜか付いてくる。

 そこには警官らとはまた別に、待機していた男女二人組がいた。忘れたくとも忘れようのない、織笠にとっても見覚えがありすぎるメンツだった。


「いよぉ、リーダー。お早いご到着で」


 カイの姿を捉えた男が、開口一番軽口を放つ。

 インジェクターのキョウヤである。自分たちを待つ間、余程退屈してたのか、足元には煙草の吸い殻が散らばっている。


「黙れ、ニコ中。で、状況は?」


 こちらも毒を吐いて返すカイに、キョウヤはくわえ煙草で肩をすくめる。


「そりゃ、テメェの仕事だろ。俺なんか今日非番だったのによ……。急に局から連絡受けて飛んできたんだ。……ったく、災難だぜ」


 とても法に携わる者とは思えない愚痴に、カイの眉間のシワが刃物を入れたように深くなる。

 この二人は基本的に相性が悪いのか。人間関係に敏感な織笠でなくてもそう感じてしまうほど剣呑である。


「どうやら従業員同士のトラブルのようですわね。私は局内にいましたが、私たちに出動要請が来るとなれば精霊使いが絡んでいるのでしょう」


 彼女の声は正に一服の清涼剤。

 白い着物を纏ったインジェクターのユリカが、頬に手をあてがいながら言う。

 かなりの美人だが、刀一本でバン一台を真っ二つにしてしまうような凄腕剣士である。あれは織笠の人生でベスト3に入るような強烈なインパクトがあった。


「だろうな。……分かった。ちょっと行ってくる」


 そう言い残して、カイは一人警官たちのいる方へ歩いていく。詳しい事情を訊き、対策を協議するためだろう。


「……んで? どうしてお前さんまでここにいるんだ?」


 カイを見送りながら、横目でキョウヤが不思議そうに尋ねてきた。


「あ、それは……」

「お久しぶりですね。もうお身体の方はよろしいのですか?」


 自分を気にかけてくれていたのだろうか、優しい微笑みでユリカが温かい言葉を投げかけてくれた。


「はっ、はい。あの時はありがとうございました」


 慌てて織笠は深く頭を下げる。


「おかげさまでもう大丈夫です。それで、えっと……」

「あら。そういえばまだ自己紹介していませんでしたわね。私はユリカ。和名では諏訪守すわがみ由梨香と申します。大地の精霊使いです」


 彼女もまた織笠よりもさらに深々と、丁寧なお辞儀をする。

 和名とは、精霊使いがこの国で生活する際に不都合が生じないよう、自らが考案する名前である。原則として、名前はそのまま当て字にし、名字を登録するらしい。


蒼島そうじま鏡也、風の精霊使いだ。名字で呼ばれるのは好みじゃないから、キョウヤでいいぜ」

「どうも織笠零治です、よろしくお願いします。それであの方は……?」


 織笠が、現場責任者の警官と真剣に話し込むカイを見やる。キョウヤは一瞬ポカンと口を開け、それから嘆息を漏らした。


「かぁ〜〜。あいつ、お前さんと一緒にいたんだろ? なのにまだ名前を名乗ってなかったのかよ。あの金髪パーマは煌月こうづき戒。雨の精霊使いだ。あんにゃろう、気取った名前つけてるだろ? あんな堅物そうな面してさ」

「はぁ……」


 返答に困る織笠は苦笑いするしかない。


「でも、さっきの質問じゃないが……。ヤツと一緒だったってことは、どこかに行ってたんだろ?」

「あ、はい。実は――」


 これまでの経緯を説明しようと織笠が口を開く。

 と、突然キョウヤの目が、クワッ! と大きく剥く。


「え!? まさかアイツ女絡みの噂が無いと思ってたら、そーゆーことなワケ!?」

「……は?」

「お前を助けた見返りとして体を要求してきたんだろ。あー、そっか。それで君もやむにやまれず……」

「違いますよ!!!」


 とんだ誤解である。

 織笠は全力で否定しながら、このわざとらしい口ぶりは、まさか局内でカイの変な噂を流した張本人はこの人じゃないのか? と思い至った。

 さらには、唯一の良心と勝手に思っていたユリカも「あらあら」と、両手の袖で口を押さえている。


「諏訪守さんまで信じないで下さい!」

「あら。私もユリカと呼んで下さって結構ですよ」

「えっと、いや、その……」


 さすがに女性を気安く名前で呼ぶのは気が引ける。織笠は笑顔で催促してくるユリカから誤魔化すように、話題を戻す。


「俺とカイさんは、アークに行ってたんですよ。マスターに呼ばれて……」

「マスターに?」


 事情を知らないユリカとキョウヤが顔を見合わせる。


「なんでまた――」


 顔色の変わったキョウヤが言葉を発した直後。が鳴いた。織笠の足に寄り添う一匹の黒猫が、いかにも「私を忘れないでよ」と抗議するかのように三人を見上げている。


「モエナ!?」


 声を張り上げたキョウヤの口から煙草がポロッと落ちる。同じくユリカも動揺がこぼれ出る。


「どうしてこの子が……」

 

 まただ。

 なぜ彼らは、この猫にここまで過剰な反応を抱くのか。

 織笠は首をかしげながらモエナを抱き上げる。


「マスターが俺にくれたんですよ。事件を解決してくれたお礼だって。……でも、どうして皆さんそんなに驚くんです? この子って何かあるんですか?」

「いや……それは……なぁ?」

「え、ええ……」


 途端に口ごもる二人。当のモエナは、腕の中で金色の瞳をじっとインジェクターの二人に注いでいる。メッセージでも込めていそうな視線を。


 ――と。


 地割れしそうなやかましい排気音が現場に入ってきた。

 真っ赤なボディのオートバイだ。それが猛烈な勢いで歩道を越え、入り口をくぐり、急ブレーキで三人の前で停まった。


「おわっ!」


 荒い運転手は、意外にも女性。しかし、女性というにはかなり若い。なぜなら、これまた赤のメタリックなヘルメットの下がどう見ても学生服だからだ。清潔感のある白いセーラー服に千鳥格子のスカート。

 ヘルメットを取れば、そこにはやはり少女の顔が露になる。


「すんませーん! 遅くなりましたぁー!」


 軽く頭を下げれば、ふわりと揺らめくショートヘア。ヘルメットの色とそう変わらないスカーレットだ。大きな瞳は宝石のようにキラキラしていて、はにかんだ笑顔から覗く八重歯がなんとも愛らしい。肌の血色の良さからも、快活さがありありと伝わってくる。


「学校から連絡もらって急いでコイツで来たんですけど、道に迷っちゃって。いやぁ、お恥ずかしい。かなりトばしてきたんですけど……。――お? ォォおおお!?」


 少女が織笠を捉えるや否や、目をさらに輝かせて彼に詰め寄る。


「まさか、新人が入ったんですか!? そうなんすね!? ぃやったぁッ、遂に私も先輩なんですね!! あぁ……、この日をどれだけ待ちわびたことか……」


 ヘルメットを宙に放り投げ、はしゃぐ少女。この子もどうやらインジェクターのようだが、まさか自分よりも年下がいるなんて。可憐な顔立ちからは、職業は「アイドルです」と豪語しても納得してしまうに違いない。


「違いますよ、アイサちゃん。彼は精霊使いではありません。この前の事件で保護した織笠さんです」

「――へ?」


 興奮していた表情が一瞬にして暗くなる。少女はユリカから織笠へ、ぎこちなく首を回しながら、


「え? ち、違うの? キミ、あたしの後輩じゃないの?」


 織笠は頷く。

 感激は絶望へ。「そ、そんなぁ……」というショックの表情を浮かべながら、アイサは膝から崩れ落ちる。


「この子は宮前愛紗みやまえあいさちゃん。彼女もまた、私たちの仲間で、現役の高校生なんですよ」


 道のど真ん中で打ちひしがれているアイサに代わり、ユリカが紹介してくれた。

 さらに話を聞けば、アイサは炎の精霊使いらしく、仕事では後方支援がメインらしい。そういえばメディカルセンター襲撃事件の時。外からの攻撃がきっかけになって、カイたちが突入してきたのだった。

 あれはこの子だったのか、と織笠は納得する。


「――全員揃ったようだな」


 カイが戻ってきた。

 それがナチュラルなのかも知れないが、どうにも難しい顔をしている。


「どうでした?」

「大方ユリカの言っていた通りだった。――ん? どうしたんだ、アイサ?」

「い、いえ……。今は私を放っといてあげて下さい……。ちょっと立ち直るのに時間がかかりそうなんで……」


 ヘコむアイサに首をひねりつつ、カイは説明を開始する。


「主な現場は、緑化木生産部門の工場らしい。きっかけは些細な従業員のトラブル。両方ともストレイエレメンタラーだそうだ。その後、同僚の人間――この場合は種族での人間の意味だが、仲裁に入ったものの喧嘩は収まらず、発端になったストレイエレメンタラーが怪我をさせたことにより事態は悪化。人間と精霊使いが入り交じった乱闘騒ぎにまで発展したらしい」

「おいおい、マジかよ」


 キョウヤが苦みばしった顔をする。


「どれだけのジャッカスがそのパーティーに参加してるわけ?」

「情報によると、緑化木生産部門で働いているのはおよそ五十人。内、精霊使いは半分ぐらいだ」


 カイはその全員が争いに関与しているとは限らないが、と付け足しながら、


「あまつさえ問題なのは、人間対精霊使いの構図になってしまっていることだ。現に警察も手をこまねいている。不用意に飛び込んで、返り討ちに遭いたくはないからな」


 今の時代、人間と精霊使いが同じ職場で働くことはさして珍しくない。

 職種によって勿論差はあるが、賃金も同等、特別扱いしないのが基本だ。

 だがやはり、差別意識が強い場所も少なからずあるし、敢えて部署を分けて働かせる会社もあると聞く。

 この造園会社は、『環境に緑を絶やさぬよう』を謳い文句にしているため、特に精霊使いの力を頼りにしている部分が強い。


「だがどうしても引っ掛かるのは、最初に喧嘩を始めた一人。名は佐久間圭というらしいが、普段はこの男、仕事も真面目で性格も良く、周囲からも慕われているそうだ。どうひっくり返っても暴力沙汰を起こすような人物ではないらしい」

「たまたま虫の居所が悪かったんじゃねぇの? 女にフラれたとかさ」

「……お前の頭はそればっかりだな」


 呆れ顔でカイは言った。


「男が変わる時なんてそんなもんだろ。酒・女・ギャンブル。まぁ、よくある話だよな」


 キョウヤの持論はもっともだが、果たしてそれだけでこんな大惨事になるだろうか。


「事情は後にしよう。事件が発生してかなり時間が経ってしまっているからな。負傷者は多いと予想される」

「ええ。急がないといけませんわね」


 ユリカの重たい声色に、厳しい顔つきでカイは頷き、説明を続ける。


「今回は警察と合同して事に当たる。まず俺たちが先行し、警官隊が続いて鎮圧させる」

「カイさん、あたしはー?」


 ようやく立ち直ったのか、アイサが自分を指差し尋ねる。


「君は織笠君とここで待機だ。外から状況を見守りつつ、彼を警護してくれ」

「う〜ん、了解です」


 ややつまらなさそうにアイサは返事した。

 それ以外の三人が己の得物を呼び出す。

 E.A.Wだ。

 この武器は見た目、まるで職人の手で造られたような精巧さがあるが、元は精霊の結集体である。それぞれの手に各属性を示す原色の光が集まり、形成され、収まる。


「そんじゃま、行きますか」


 キョウヤがレザーグローブを指の根元までしっかり嵌め、言った。

 三人は走り出す。そして、とても常人とは思えない跳躍力で警官たちの群集を飛び越えた。彼らの行動にどよめく警官たちも、後へ続けとばかりに工場内へ突撃を開始する。



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