第二章 精霊犯罪

1

 昔から人と関わるのが苦手だった。

 苦手、というよりもあまり他人に興味がないと言った方が正しいのかもしれない。必要以上に何かを求めないし、求められなくても一向に構わない。

 それぐらいが丁度いい。寂しいとも思わない。人に関わろうとすれば、一つ自分をぐっと持ち上げなければいけない。疲れるのだ。

 こんな自分にでも友人というものはいた。かなり昔の話だが。

 小学生ぐらいのときは、無垢な純粋な気持ちで接していたからだろう。夜更けまで公園で遊んだ記憶もある。懐かしい思い出だ。


 だが、年を重ねていくにつれて、その距離の詰め方を忘れていった。

 他人に拒絶されるのが怖くなった。嫌われれば孤立するから。

 何かを訊かれれば、当たり障りのないことを言って相手に不快感を与えないようにする。それがいつの間にか身につけた、学校という狭い箱庭で生きていく為の処世術。そうしていくうちに、本当に友達の作り方が分からなくなっていた。

 そもそも友達って? 顔見知りから友達に至る境界線はどこなんだ? 親友? 何それ、知らないそんな言葉。


 それでもたまに、本当に時々だが、思う。

 いつか本当に人を好きになる日が来るのだろうか、と。

 どれだけ自分をさらけ出しても、心にストップがかからない人に巡り会えるのだろうか、と。

 その度に自嘲し、無駄な考えかなと、却下する。



 ――夢物語だ、そんなの。





「ん……」


 織笠が目を覚ますと、見慣れない天井が視界に飛び込んできた。

 薄く青みがかっている。頭がはっきりしてくると、その天井に違和感を覚えた。弾力性のある布を可能な限り引き伸ばしたように、両端が歪んでいる。

 びっくりして反射的に起きると、頭をぶつけた。まるで透明な壁がそこにあって、邪魔されたような。

 悶絶したが、身動きが取れなかった。てっきりベッドに寝かされていたのかと思いきや、違う。固い質感に、狭く息苦しい閉塞感。

 それもその筈で、織笠は人が一人中に入れるカプセルの中に閉じ込められていた。


「ええええええええええッ!?」


 パニックになって、蓋らしき透明な部分を両手で激しく叩いていると、間もなく、プシューという空気の抜ける音と共に足側から自動的にゆっくり開いていき、織笠は解放された。

 再度、織笠は上半身を起こして、辺りを見回す。

 ほの暗い室内には同じ型のカプセルが四台横並び、振り返ってみると頭の位置から太いパイプがいくつも生えている。全台のパイプを合わせるとかなりの数だ。それが蛇のようにうねり、一台の巨大なタンクへと繋がれていた。

 気味の悪い部屋だ――そう織笠は思った。これでは時間も分からない。携帯を取り出そうかと思い、パンツのポケットへ手を伸ばした瞬間、体の異変に気がつく。

 全身が異常にだるい。

 身体中に砂袋を提げているかのように重い。いつもの体調不良かとも思えたが、自己の経験から勝手に判断してそれとは別物だと感じた。


「ここは……?」


 呼吸を数回繰り返し、ようやっと呟く。そこへ、


「起きたかね」


 落ち着いた声が左側から聞こえた。部屋の隅に目をやると、そこには白衣を着た女性らしき人物がこちらに背を向けて座っていた。


「具合はどうだね?」


 言葉に混じってカタカタと音が鳴っている。PCを操作しているのだろう、光が彼女に当たっている。


「あ、あの……」

「ん? どうした。どこか痛むのか?」

「いえ、ちょっと体が重いだけ……ですけど……」


 女性は「ふむ、そうか」と言ったきり、黙ってしまった。振り返りもしない。背もたれにかかる長い腰までの髪がこちらに向いたままだ。部屋にひたすらキーボードを叩く音が響く。


「あ、あのー……」

「痛みが無いのなら何よりだ。勝手で申し訳ないが、君のことを調べさせてもらったぞ。名前は織笠零治。年は二十歳。間違いないな?」

「はっ、はい」


 続けて彼女は織笠の身長や体重、家族構成、さらには通っている大学名まで、本を朗読するようにスラスラと述べていく。どれも間違いないのだが、こんな暗い部屋で顔も見えない女性に、しかもどこだか知らない場所で次々言い当てられるのだから、ちょっと不気味だ。

 まず、ここはどこですかと問いたいのに、彼女が会話の主導権を握って離さない。とりあえず織笠は、彼女が喋り終えたタイミングを見計らい、おずおずと話しかけた。


「す……すいません」

「ん? ああ、なぜ私が君のことをそこまで知っているのかと言うとだな、君の通うメディカルセンターから情報を分けてもらった。カルテを頂戴してな」

「そうじゃなくて……。って、ええ!? それってダメなんじゃ……」


 カルテの譲渡は当然法律違反である。それでも女性は笑いながら、


「不祥事を起こしたバカが何を言っても無駄さ。ウチには借りもあるし、拒否は出来ん。超法規的措置というのか? こういうの」


 そんなの無茶苦茶だ!! そう抗議したかったが、怒りや困惑がごちゃ混ぜになって上手く言葉が出ない。


「それに、君がもうあそこに通うことはない。今度からこちらに通ってもらうのだから問題ないのさ」

「……え?」


 と、当然部屋が明るくなった。照明が点り、部屋の全体が見渡せるようになった。暗がりに慣れた目には眩しく、織笠は目を細める。


「そういえば自己紹介がまだだったね」


 女性はチェアを回転させる。

 ようやく見れたその全身に、薄目が一気に全開になる。

 度肝を抜かれたのだ。


辰善怜亜しんぜんれあ。精霊保全局医療班で主任をしている。まぁ適当に“レア”とでも呼んでくれ」


 座っていても一目で長身だと分かった。百七十後半は確実にある。モデルとはいかないまでも、均整の取れたプロポーション。椅子に深々と腰掛け足を組む姿は、十分蠱惑的であった。

 トップで束ねられた亜麻色の髪、キリッとした瞳には赤いフレームの眼鏡で飾られ、醸し出される怜悧さ。

 キレイと言うよりはカッコいい、そんな印象。低い声質も相まってどちらかと言えば同性に人気がありそうだ。


 しかし。


 一つだけ問題点がある。明らかな大問題が。


(何で白衣の下に何も着てないのッ、この人ぉ!?)


 ジーンズの上が何もない。

 正確に言えば、黒い下着一枚なのである。断じて水着なのではない。いや、水着でもおかしいが、それが白衣の間からドンッと見え、豊かな胸を包んでしまっている。

 主張も主張。はっきり言って、真面目な青少年の織笠には目の毒である。


「……どうした?」


 口をあんぐり開けた織笠を不思議に思ったのか、下着丸出し美女が首を傾ける。


「いえ、あの、その……」


 弱った。ああも堂々とされると正面から指摘していいものかと、織笠は狼狽えてしまう。


「ここはレストルーム。インジェクターが負傷した際の治療部屋だ。君が寝ていたのがその装置。機能的に、人間には向かないのだがね」

「――え?」

「精霊使い専用だからだ。自己治癒力は人間にもあるが、精霊使いには細胞に付着するマナが重要になってくる。この装置は、体内のマナの濃度を上げ、自己治癒力を急速に高めるんだよ」

「あ……」

「君の報告を受けて、試しにここに寝かせてみたんだが、やはり合わなかったか。丸一日は寝ていたんだよ、君」


 精霊保全局。インジェクター。

 その言葉に、織笠の記憶が蘇る。

 メディカルセンターにストレイエレメンタラーが押し込み、自分は精霊使い同士の戦いに巻き込まれてしまった。そして彼らが助けに入ったが、犯人を追い詰めながらも苦戦し……。

 

「あ、あれ……?」


 あの時、俺は……。


「どうなったんだっけ……」


 思わず口に出ていた。

 記憶が無い。回路が断線したように、プッツリと映像が消えている。


「報告によれば君は、暴走したストレイエレメンタラーの精霊を奪い取り、その力で対象を無力化とある。――覚えていないのか?」

「……はい……」


 強盗犯が暴走してしまったことまでは記憶に焼き付いている。インジェクター達がやられ、「逃げろ」と言われたことも。恐怖に臆したことも、しっかりこびりついている。

 だが、その先が分からない。

 明瞭な一本道の途中に濃霧がかかり、立ち止まらざるを得ない感覚。無理に思い出そうとしても、足をどこまで進めても霧は絶対に晴れない。


「ふぅむ……」


 頭を抱える織笠。あごに手を当て、興味深そうにレアは唸った。そして彼女が何かを言おうと、口を開きかけた――その時。レストルームの自動扉が開いた。

 織笠はそちらの方に目線をやると、見覚えのある長身瘦躯の男が入ってきた。

 軽くパーマをあてた金髪。スラリとした体にスーツがフィットし、一見派手に思えるが、知性も同時に兼ね備えている相貌。眉目秀麗という表現がピッタリあてはまる。

 名前は確か、カイ……と言ったか。

 彼は部屋に足を踏み入れレアを一瞥するなり深い深いため息をつき、彼女に言った。


「レア……。何度も言ってるが、いい加減服を着ろよ……」

「いきなりなんだ。何度も言ってるだろうが。服ならほら、着ているだろうが」


 心外とばかりに襟を持ち、バサバサとはためかせるレア。ということは、いつもこんな格好で仕事しているのか。


「白衣を羽織っているだけじゃ着ているとは言わん。その姿でうろつかれると、目のやり場に困る。キョウヤみたいな鬱陶しい輩も絡んでくるだろうに」

「放っておけ、あんなバカは。酒で私に勝てんようじゃ、ベッドまで辿り着けん。せいぜいゴミ置き場に顔を突っ込む方がお似合いだよ。口先だけの男に抱かれる趣味はないさ」


 軽く鼻を鳴らし、レアは悪戯っぽく微笑む。


「だがなるほど、面白いことを聞いたな。てっきりお前はそっちの気があるのかと思っていたよ」

「違うわ!」


 顔を真っ赤にしてカイは否定する。現場でも冷静だった彼の取り乱す姿は意外だった。


「真面目すぎるんだよ、お前は。女を作れ。局内にもお前がイイと言ってるヤツは腐るほどいるぞ。なんだったら紹介してやろうか?」


 そういう話題は苦手なのか、赤面のカイは大きな咳払いをする。


「そ、それより保護した青年が目を覚ましたと報告が来たんだが」


 レアがこちらにあごをしゃくる。カイと目が合った。


「 あー、その……何だ。織笠君……だったか。すまなかった」

「え?」

「色々と……な。勝手にここに連れてきたことや、君のプライバシーを調べたりな。またレアが失礼な態度を取ったりしたんだろ?」

「人聞き悪いな。私は何もしていない」


 まぁこちらが欲しい情報が中々回って来ず、発言権も無かったが、カイが加わったことで気持ちには若干の落ち着きが生まれていた。というより、急展開過ぎて最早どうでもいいかという、諦めに近い。

 織笠はやんわり否定し、質問してみた。


「あの、ここ精霊保全局なんですよね? さっきあの人に、今度からここに通うように言われたんですけど……。それって何でですか?」


 カイが一瞬眉根を寄せる。体が少し強張った。失礼なことを言ったのかな、と織笠は過敏に反応する。ただ、そうではなかったらしい。


「レア……。やっぱり説明してなかったな」


 不機嫌の矛先は彼女。レアは頬をふくらませ、


「今からするところだったさ」


 そう言って右手を胸の前にかざすと、彼女の意思に応じるかのように空間にホログラムキーボードが投影される。レアは滑らかに指を走らせ、キーボードを操作する。

 と、織笠の正面にある黒い壁に映像が表示された。どうやら壁と思っていたそれは、一面の巨大なモニターだったらしい。


「君をここへ連れてきた一番の理由。それは先日起きた事件で、君が犯人を止めたことだ。物理的ではなく、精霊の力を扱ってね」

「それさっきも聞いたんですけど、俺あの時のことよく覚えてないんですよ」

「覚えてない?」


 カイが訝しげな目を織笠に送る。さっきも感じたが、この不機嫌面は少し怖い。ビクビクしながら織笠は頷いた。

 モニターには織笠の記録が表示されている。まるで人間ドックを受けたような詳細さだ。各部位に数値が刻まれている。どうやってこれほどまでのデータを取ったのか……、カルテだけでは決して無理だろう。

 レアがその画面を見つめながら言う。


「過剰な精神ショックによる記憶の混乱かもな。無理もない、殺されかけたんだからな」

「馬鹿な。彼は自らの足で対象に向かったんだ。他の二人にも訊いてみろ、同じことを言うぞ。彼は間違いなく、精霊を操った」

「私が診断した結果、外傷は複数あったが、内臓に至ってはどこにも損傷なし。血管にしてもマナによる影響もなし。キレイなもんだ」


 画面が切り替わった。東京の平面図に棒グラフが何本も立っている。ただその中に一点だけ、他のグラフよりも長い円柱がそびえている。そこは事件現場となった、あのメディカルセンターだ。


「あの辺り一帯のマナ散布量が異常な数値を叩き出している。時間帯から見て、対象が暴走した瞬間だろう」


 時間を進める毎にその数値は上昇していく。そして一旦停止した後、急速に減少しながら他所と変わらない数値に戻った。


「この推移の仕方は間違いなくインジェクターのそれだ。改めて尋ねるが、本当にお前等ではないのか?」


 カイは、力なくかぶりを振る。


「そうか。現時点で断言できるのは織笠君はということだけだな」


 レアは眼鏡を押し上げながら告げる。それだけが唯一の確定事項であると。


「どうなってるんだ……」


 ただの人間がインジェクター、つまりE.A.Wのような武器を扱い、精霊を解放させた。


 その事実は世界の理をひっくり返し、人間と精霊使いの概念を根底から覆す。


 織笠はモニターに釘付けになりながら考えていた。

 自分は何者?

 人間? 精霊使い? それとも――?

 ゾッと寒気が走った。底知れない泥沼に引きずり込まれそうになり、頭を強く振った。


「――ま、現段階で結論を出すのは難しいだろう。だから君には継続的にここで検査を受けて欲しいのさ。――どうした、大丈夫か?」

「あ、はい……」

「そうそう、君の持病についても追々検査していこう。それにしても面白い症例に出会えた。今後が楽しみだよ」


 彼女の何かに火が点いたのか、不気味な笑い声を出して肩を揺らす。これでは医者というより、科学者である。マッドな方向の。

 「また悪い癖が出たな……」と、カイは呆れ顔で呟き、彼女に言った。


「レア。彼はもう大丈夫なんだろう? 引き取るぞ」

「ああ、構わんさ。また会おう、青年」


 彼女の笑顔に一抹の不安が過りつつも苦笑いで返し、織笠は立ち上がる。


「もういいんですか? 帰っても……」


 正直言って早く帰りたかった。

 とりあえず現実を整理させてもらう時間が欲しい。落ち着かない場所は好きじゃない。ここにいる方がよっぽどストレスだし、また体調が悪化しそうだ。

 情けない、と自分でも思う。二十歳にもなってこんな性格……。実年齢と精神年齢が噛み合っていない。

 でも今は、とりあえず今だけは……。

 しかし。


「悪いが、もう少し付き合ってくれ。今から行かなきゃいけない場所がある」

「え……。どこですか……?」

「アークだ」


 カイの端的な言葉に、織笠は目を丸くする。再び机に向いて仕事に戻ったレアでさえ、カイに不審気味な視線を送る。


「マスターがお呼びなんだ。君を連れてこいとね」




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