5
「――大丈夫だったか、ユリカ?」
カイがユリカへ手を差しのべる。
「ねぇねぇ、ユリカちゃん。次、次は俺の番!」
「寝言は寝て言え」
キョウヤの必死のアピールを、カイはつまらなそうに一蹴。ユリカも当たり前のように無視して、カイに返答する。
「ええ、問題はありませんわ。彼も別段、危害を加えられてはないようですし」
カイは視線を彼女から織笠へ移動させる。鋭い目付きで、じっくり観察するように織笠の頭からつま先まで見ていく。
「だが直接事件に巻き込まれ、恐怖を体験したんだ。精神的に受けたダメージを考えれば、後でセラピーを受けた方がいいかもな」
硬い口調だったが、言葉には温かみがある。被害者に対する配慮も彼らの仕事の内なのかもしれないが、好感が持てた。
「いやいや、ユリカちゃんに抱かれておいて、そりゃないでしょ」
こちらはこちらでよっぽど悔しいのか、キョウヤが恨めしげな顔で織笠に顔を寄せる。
「ストレスどころか、昇天ものだって。なぁ?」
そして、織笠の肩に腕を回すと、二人には聞こえないよう、耳元でささやいてきた。
「……んで? どうだったのよ、君?」
「ど、どうだったって……、何がですか……?」
自然とつられて、織笠まで小声で答えてしまう。
しかし――このキョウヤという人物はすごく馴れ馴れしい。戸惑い、織笠の体が強張る。織笠の周りにあまりにいないタイプのため、対応に困る。
「かぁ〜、とぼけんじゃないよぉ。ユリカちゃんの感触はどうだったのかって聞いてんだよ」
織笠の顔が真っ赤になる。
「いや、あのその……」
「うんうん」
感触、と言われてもあの時は何がなんだか覚えていない。間近で彼女の美しい顔を見て、記憶が吹き飛んでしまっている。
「……キョウヤ様?」
助け船、と言うにはあまりにドスの効いた声が飛んできた。
「何をお話されているのか、私にもお教え下さいませんか?」
頬に手をあて、にこやかに訊くユリカ。記憶を吹き飛ばしたあの美しい笑みとは対極のような笑みに、キョウヤだけではなく、織笠まで背筋が凍ってしまった。キョウヤは慌てて、誤魔化し笑いをしながら織笠から離れた。
「……ユリカ、対象はどうした?」
「あ、はい、あちらに」
カイが訊くと、駐車場の壁をユリカは指差した。ポツンと外れたタイヤが横たわる――その先で、今なお燃え盛る炎に包まれている車体。グシャグシャに大破した鋼鉄の物体を見て、二人の顔は引きつる。
「ひぇ〜……。相変わらずえげつないなぁ、ユリカちゃん……」
「お前はもう少し手加減というものをしろ……」
ドン引き状態の二人に対し、ユリカは「またまたご冗談を」と着物の袖で口を押さえながらお上品に笑う。そして彼女はさらに恐ろしいことを、さらっと言ってのけた。
「あれでも三割程度の力しか出していませんよ。私の本気は私でも計りかねます。――そうですね、どうでしょう、今度また修練に付き合っていただけます? あなた方二人なら私も本気を出せるかもしれません。何でしたらお二人まとめてでも――」
彼女が言い終える前に、男共二人が揃って首を横に激しく振る。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。二人のげんなりした顔がそう物語っていた。ユリカは「そうですか……」とかなり残念そうな表情を浮かべた。
「しかし……、あれでマナが回収できるのか……?」
「問題ありません。対象を直接斬ったわけではありませんから」
「じゃ、まる焦げになる前にとっとと引っ張り出しますか」
また爆発が起きた。肺が焼けそうな熱風に煽られる。これはもう無理なんじゃ……と織笠は思う。
「ユリカちゃあ〜ん!」
批難めいた声を上げるキョウヤ。当のユリカは「あらあら」と、おっとりリアクションを取るのみ。呑気である。
だが、カイだけは眉間にしわを寄せ、素早く銃を構えた。緩んだ空気が締まりを取り戻す。緊張した面持ちに全員が何かを察し、再度車の方へ注目する。
天井まで焦がさんばかりの業火――揺らめく灼熱のカーテンを通り抜けて、あの男は出てきた。
――どうして無事なんだ。織笠は愕然とする。
壁にもろに激突し、さらには、あの爆発をまともに受けたのに平然と車の上に立っている。理解の範疇なんて、とうに越えてしまった。
男は頼りない足取りで、車の後部を踏みつけながら歩き、地面に降りる。
眼光は死んでいない。
緑だったロングコートも、今は紅のマント。男はわしづかんで脱ぎ捨て、その“力”を発動させる。
「この……、くそインジェクター共がああああああああああああああッ!!」
地を割りそうな咆哮の後、彼を中心として突風が巻き起こった。ロングコートが旋風の餌食になり、ズタズタに切り裂かれる。それは背後の炎をかき消すほどの威力であり、数メートル離れた自分たちでさえ踏ん張らなければ立っていられないほど強力だった。
こんな閉鎖空間で自然な風はまず吹かない。これは彼の意志が反映された小型の台風。又は竜巻だ。
「野郎、俺と同じタイプだったか!」
キョウヤが顔を腕で庇いながら叫ぶ。
「それにしてもこの力のデカさは何だ!? 明らかに個人の限界をオーバーしているぞ!!」
男の特性は風。見る限り精霊使いの能力が暴走している――そうインジェクターが判断した通り、男の肌が裂けて血が噴き出す。頬に、腕に、足に。みるみる男は血まみれになってゆく。
「おそらく、薬物を服用したのかと。正式な認可が下りているものなら、ああはならない。あくまで用法を守れば……ですが」
半身になって風を受けるユリカが冷静に分析する。
「けれど違法な薬物となれば強烈な副作用が伴う。あの症状は一錠や二錠どころではありませんね、きっと」
それを聞いて織笠はハッとした。
「そ、そう言えば、あの人出発する前に何かしてました。 もしかして、あれがそうだったのかも……」
「マナ増強ドラッグか……。ったく、はた迷惑な物を作りやがって……」
苛立たしげに呟くカイ。
「どーするよ? このまま放っておいても
「バカなことをぬかすな。俺たちの仕事はマナの回収だけじゃないだろうが。もう一つ、精霊使いの更正のためにも必ず生きて捕らえる。――それに、訊かなきゃならんこともあるしな」
「……あん?」
「この施設が違法薬物を扱っていると、どこで知ったのか。その情報源ですわね」
ユリカが代わりに答えると、キョウヤは「あぁ」と納得した。
「じゃあどうすんのよ。これじゃ近付けないだろ?」
カイが銃のトリガーを引く。レーザーの弾丸が真っ直ぐに男の胸元に突き刺さろうとする――が、その寸前、螺旋の渦を巻く風が盾となり簡単に弾かれてしまう。
「ッ!?」
絶句するカイ。他の二人のインジェクターも目を見張る。
暴走した男の風は予想を遥かに上回っている。精霊使いを掃討するために生み出されたE.A.Wが通用しないのでは、対処のしようがない。
――どうすれば。
そんな一瞬の迷いが、隙を生んだ。
風が勢いを増し、こちらに向かって強く放たれる。まるで鞭だ。それが鋭くしなり、何本も迫ってくる。防御の体制が間に合わず、周りのインジェクターが次々と餌食になり、後方へ吹き飛ぶ。
織笠はユリカが前にいたために当たらずに済んだ。庇うように立ってくれていたお陰だ。
「あ……、あ……」
逆にそれは不運だったのかもしれない。無事なのが仇となる。一人取り残されてしまったことへの恐怖。頼るものがいなくなってしまったことへの絶望。
インジェクターたちは地面に伏したまま、わずかに呻きを上げるだけ。
「早……く……、逃げてください……」
ユリカが弱々しく言ってくる。着物が無惨に裂け、きめ細かい白い柔肌が血に染まっている。
無理だった。逃げようにも膝が笑っている。足が勝手に後ろに下がるが、それ以上の動作は脳が拒んだ。
「はは、はははははは!!」
両手を広げ、高笑いをする男。
「やったぞ、俺はインジェクターを越えた! もう怖いもんなんてねぇ! お前らにビクビクする毎日も終わったんだ。最っ高の気分だぜ!!」
竜巻の中心で、己の力に酔いしれる男。しかし、すぐにそんな喜びも拭ったように消え去る。
「……あ、あれ?」
恍惚の笑みは、困惑の笑みへ。視線を両手や、上半身、または周囲へとせわしなく動かしている。
「と、止まんねぇ、止まんねぇよ! 何だコレ、全然おさまんねぇ! コントロールが利かねぇよぉぉお!」
薬物過剰摂取の副作用。
力の暴走は彼自身の肉体を傷付けるだけではなく、制御も受け付けなくなってしまったらしい。そして冷静さを取り戻してしまったために、状況が一変する。
「い、痛い! 痛い痛い痛い!! 体が、体がぁぁああッ!! あああああああああッ!!」
興奮という麻酔が切れたことにより、尋常ではない痛みが蘇り、一気に彼を襲う。あらゆる血管という血管が千切れ、体外に噴出される。
目を覆いたくなるような光景。自業自得、としか思えないが、こうなってしまっては最早助からない。
風の鎧も、彼にとっては拷問具の中にいるようなものだろう。アイアンメイデン――かつてはそんな人形を型どった拷問具があったそうだが、それに近い。
男は激痛にもがき苦しみ、膝をつく。
視線が合う。男は織笠へ手を伸ばし、懇願する。
「な、なぁ……助けてくれよ……。お願いだからさ……、俺、俺このままじゃ死んじゃうよぉ……」
情けない声を出す男。あまりに身勝手な申し出だ。
助ける義理なんて皆無に等しいはずなのに、
自分はインジェクターではないし、精霊使いですらない。助けられやしないのだ。どうすることも出来ないのだ。
それでも、織笠の足は動いていた。恐怖を忘れ、彼に近づいていた。
「お、おい。アイツは何してんだよ……」
キョウヤの呟きが漏れる。
「馬鹿、やめろ! 死にたいのか!!」
カイが上半身を起こそうとするが、ダメージが大きいのか、体が言うことをきかない。
カイが続けざまに制止の言葉を飛ばしてくるが、織笠の耳には全く届かない。
聞こえるのは風の唸り。鳴き声。まるで悲鳴だった。これが精霊の苦しみなのだろうか。泣きわめく赤ん坊を思い起こさせた。
風が拒むように織笠の体を押し返し、さらには傷つけ、体内にまで侵入し――心まで痛めつける。
織笠が緑の壁の前まで辿り着く。
右腕が上がる。あたかも
このとき、精神のざわめきとは逆に、頭の中は静寂に満ちていた。穏やかに、砂浜に寄せる波の音のように。自然を修復する、ただそれだけしか頭にない。
伏し目がちに、織笠はかざした右手に意識を集中させる。
風が形を変えた。ドリルの先端のように捻(ねじ)れて、開かれた右手に先が吸い寄せられていく。
織笠はドアノブを回すようにして、その風を
「なっ……!?」
インジェクターたちの表情が驚愕に染まる。織笠の行為は、普通の人間ではあり得ないものだ。
精霊の力を解除した。
その事実だけでも衝撃的なのに、三人のインジェクターは織笠の右手に釘付けになってしまう。
直径一メートル以上はありそうな長い緑の光。形状からして、大剣だ。
織笠は柄らしき部分を両手に持ち、ゆっくりと高く振り上げる。
織笠を見て、男は寒気を覚えた。助けを求め、そして実際に救ってもらった青年の瞳はどこか虚ろだった。男はその場にへたり込む。
トランス状態。
織笠の思考は乗っ取られてしまったかのように、知らない誰かが命令してくる。“やれ”と。彼は従順に、疑問さえどこかで排除され、その指示にただ従い――忠実に実行する。
緑光の大剣が、男の肩口へ振り下ろされる。
意識が飛んでいるはずなのに、狙いは正確だった。
光刃は体を呆気なく通り、斜めの軌道を辿って脇腹へ突き抜ける。
「あ……がっ……!」
呻き声を発し、男は倒れる。
その際、男から小さな光が抜け出し消え去ると、織笠の握る大剣も役目を終えたとばかりに形を失い、自然の元へと還る。
「おい、今のは……」
地下駐車場が、静けさを取り戻す。
キョウヤは二人を交互に見たが、同僚であるインジェクターは続きを答えてはくれなかった。
答えは簡単だ。ただ、その事実を受け入れることを頭が拒否しているのである。
織笠の体がぐらつき、地面に崩れ落ちた。
外ではサイレンの音。救急車だろう、近かったその音が、徐々に遠ざかっていく。
三人のインジェクターたちは、気を失った彼をただ呆然と眺めることしか出来なかった――。
二十一世紀半ば。
彼らは突然現れた。
精霊使いという存在である。
魔方陣を用いてこの日本にやって来た数人の精霊使いは、異世界の住人である日本人へ接触を開始。交流を図ろうとした。
しかし相手にされる筈もない。なぜなら、人々は彼らをアニミズムの体現者、要は新興宗教の勧誘だとしか見なさなかったのである。
この国への影響を恐れた政府は彼らを拘束、隔離し、その存在を秘匿とした。それがこの国の主張であるならばと、彼らもその待遇を受け入れていた。
しかし、転機が訪れる。
この国の終焉が近づいたのである。発展し過ぎたテクノロジーが国の財政を圧迫し、破滅へと至らしめた。
国の死。国民は絶望していた。
為す術がない彼らを気に病んだ精霊使いは、助けを買って出た。政府も手のひらを返し、すんなりそれを受け入れた。
精霊使いは、テクノロジーとは真逆な自然エネルギーを駆使し、日本の経済をみるみるうちに回復させた。改めて自然の尊さを再認識した政府は、彼らに市民権を与え、公にその存在を公表する。
日本人特有の合理性と、精霊使いの思惑が合致した結果だった。
以降、行政機関の一部となった精霊使いは、《アーク》と呼ばれる精霊の保護管理を目的とした機関を設立。
科学と精霊の融合により、精霊使いは現代社会になくてはならない重要な存在になった。
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