4

 メディカルセンター地下駐車場。

 外来患者の多さに合わせ、さらに職員との併用でもあるために、ゆうに三百台以上は停められる規模だ。緑の照明がいくつも設置されてはいるのだが、広すぎる空間には巨木に射し込む日光に等しくあまり効果はない。造りはあまりにシンプル。最新鋭の病院とは思えないほどデザイン性はなく、本館に全てを注いだような印象がある。

 診察時間も終わりに近いため、停めてある車もまばらだった。ほとんどが自家用車の中、一台だけ年代物のグレーのバンが駐車してあった。犯人グループのものだ。


(う……)


 織笠はその後部座席で目を覚ました。

 車内であることはすぐに認識出来たが、どうして自分がここにいるのかまでは、すぐには思い出せなかった。

 肺に一気に酸素が送り込まれ、織笠は咳き込んだ。苦しい。呼吸が一時的にストップしていたのか。


(……ん?)


 運転席に男が座っている。

 ゴソゴソと動いているが、シートの後ろ側からでは、彼が何をしているのか掴めない。

 男が助手席にカバンを置く。


(そうだ、俺はこいつに……)


 思い出した。

 強盗に連れてこられたんだ。エレベーターまでしか記憶がないが、あのままここに放り込まれたんだ。

 逃げなきゃ。

 織笠はそう思い、ドアに手を伸ばす。


「動くな」


 眼前に黒い物体。男が体をひねり、拳銃を突きつけている。織笠はゆっくり手を離した。


「ちくしょう、ちくしょお! あと少しで計画は大成功だったのによ……。あんな奴等さえ出て来なけりゃ……」


 男の呼吸が荒い。悔しさからだろう、拳銃が小刻みに震えている。


「どうして……」

「あ?」


 恐怖を精一杯押し殺し、織笠は訊く。


「どうして俺をこんなところに……。何で殺さないんですか?」

「目的のブツは手に入れたが、仲間をみんなやられちまったからな。こうなったらお前を交渉の道具にして、金とマナを大量にふんだくってやるのさ」


 男は唇の端を持ち上げる。本人は笑みを浮かべたつもりなのかもしれないが、織笠には違って見えた。引きつっている――頬の痙攣がかなり激しい。


「俺たちはな、お前らとは違ってこの世界に認められていない。存在していると、みなされてないんだ。母親の腹から出たときからな。分かるか? その気持ちが。産声を上げた瞬間から犯罪者予備軍とレッテルを貼られるんだ」


 男はフードを取り、サングラスを外した。驚くことに若かった。歳も自分とそう変わらなそう。いや、もしかしたら年下の可能性もある。

 精霊使いではあるが、精霊使いとして認められていない者たち――ストレイエレメンタラー。

 外見は人間と同じなため、街ですれ違う数多の歩行者の中に精霊使いがどれだけいるのか、まず人間には見分けられない。精霊使い同士ならマナの有無を容易く判別可能だが、ストレイエレメンタラーの境遇がどんなものか、織笠はよく知らない。


「で、でも、そんな目で見る人ばかりじゃ――」

「被害妄想ってか? 甘いんだよ。無登録ってだけで、どんだけ風当たりがキツいか。お前は知らねぇからそう言えんだよ」

「…………」

「人間のお前さんにも、分かりやすく言ってやろうか? 仕事だよ。学歴のないヤツはいい仕事に就けねぇだろう? ――それさ。限定されるんだよ。まして出世なんて論外。下層も下層、最下層さ。代えのきく使い捨て駒――そんな一生だ」


 男の最後の言葉には憎しみが詰まっていた。過去の経験が彼を、彼らを凶行に走らせたのか。

 それに比べ、いかに自分は恵まれているか。親の働いたお金で大学に行き、職業を選択する。感謝はすれど、そこに疑問は持たない。

 胸が苦しくなる。辛くて彼から目を背けた。

 少しの沈黙。やがて、織笠は何かを思い出し、再び視線を男へ戻す。


「そ、そういえば、ちゃんと登録申請をすれば、正式な精霊使いとしての資格を得るって確かニュースで……」


 聞いたことがある、と言い終える前に、男に軽く鼻で笑われた。「浅い知識」だな――と、人をバカにしているような態度。


「んな簡単なもんじゃねぇんだよ。ややこしい手続きがいくつもあってな。書類審査だの、能力判定だの、とにかく厳しいんだ。能力が高くても素行が悪けりゃ失格。逆の場合もあらぁ。しかも、だ。世の中にゃ、ごまんとストレイエレメンタラーがいる。その内、どれだけのヤツが申請してると思う? 許可が下りたとしてもその頃にゃジイさんよ」


 ストレイエレメンタラーの中には自分を偽り、人間として生活するケースも多いと、男は言う。

 だとしたら、今まで自分が出会った人達の中にも、ストレイエレメンタラーがいたのだろうか? それでもし、何かの拍子にそれを知ってしまったら、自分はどういう反応をするんだろう。

 と、織笠の微妙な表情の変化に気づいたのか、


「お前、いいヤツだな」

「え……」

「人間になんか同情されたくないが、初めてだよ。俺たちの話でそんな顔するヤツ。大抵みんな関係ないってツラすんのによ」

「そ、それは……」


 男の声色は優しかった。表情も心なしか緩んでいた。


「世の中、お前みたいなのばっかだったらいいんだがな」


 まさか強盗にこんな言葉を投げかけられるとは。織笠は戸惑う。素直に嬉しいような、「だったらもう解放してくれよ!」と逆ギレしたいような……。複雑な心境。


「……そう、なんでしょうか……」


 男は正面へ向き直り、エンジンを始動させる。今では稀少ですらあるガソリン車だ。音もかなり大きく、震動も強い。


「先に謝っとくぜ。それでも俺は、この不平等な世界に復讐するためにお前を利用する。力を手に入れるために、そのためならなんだってしてやる」


 男は言った。エンジン音に負けない、強い口調で。ギアを入れ、アクセルを一気に踏む。急なGが織笠を襲い、体が後ろへ引き寄せられる。急発進したバンのタイヤが地面との摩擦で悲鳴を上げた。

 バンは駐車スペースを出てすぐに右折。停める場所までは計画していなかったのか、出口は真反対の位置にあった。荒い運転に片輪が浮く。

 さらに右折したところで、突然、急ブレーキがかかった。織笠は前の座席に顔面をぶつけた。

 鼻をおさえながら前方を見ると、フロントガラスの向こう側――数メートル先に『何か』がいる。

 緑のライトに照らされた、人影。

 白い着物の女性――ユリカだ。

 メディカルセンターにいたインジェクターが、車道のど真ん中に立っているのである。

 階段を使い、追ってきたのだろう。しかし他のインジェクターの姿は見えない。彼女一人だ。

 ここでも彼女は笑顔だった。まるでそれがデフォルトであるかのように、固定され、崩れない。

 ただ、優しくもありながら、凍えてしまうほど冷たい。それはいわば、見る人で受け取る印象が変わる――アーティスティックな絵画。


「ううう……、がああああああああああああああッッッッ!!」


 突然、絶叫する男。織笠は思わず耳を塞いだ。

 ユリカが特別何かをした――という風には見えない。少なくとも織笠には、ただ男が勝手にパニックになっただけ、そう映った。

 彼女から放たれる膨大な力の流れ。精霊使いにしか感知できないオーラのようなものが、男を恐怖させ、自制心を失わせた。

 車が再加速する。衝突すれば何トンもの衝撃が彼女を襲う。

 それでもユリカは泰然とした態度を崩さない。逃げようともしない。

 動いたのは右腕。前方へ突き出し、手のひらを下へ。扇子を持ち、舞を踊る直前のような姿勢だ。

 彼女の足元が突然、眩く輝く。黄燐の光が、地面を波打つ。


(…………?)


 織笠はシートの間から凝視する。アスファルトに浮かんだ小円形の中から、ゆっくりと、じわりじわりと、何かがせり上がってくる。

 それは細長い棒状の物体だった。

 ――刀だ! 藍色で鍔がなく、柄が若干長めの日本刀が、ユリカの繊細な左の五指に包まれる。彼女は刀を腰元に据え、右手で添えながら体の重心を下に落とす。

 裾から美しくきめ細かい生足が覗き、織笠はそちらに目を奪われてしまう。

 そこで初めて、彼女の表情が消える。長いまつ毛に縁取られた目を伏せがちに、そのままの姿勢を維持。

 高速で突撃する鉄の塊と、刀を構えた女性。

 距離が一メートルにまで縮む。

 その時、ユリカの右手がピクリと反応した。それは、動いた、と表現するのも困難なほど小さいもの。

 ――瞬間。目にも止まらぬ速さで鞘から刀が滑る。


 ズ……、という音が聞こえた。

 続けて来たのは奇妙な違和感。微妙な不安定さを感じる。シートベルトはしていないが、そのせいではなく、座席に密着しているというのにバランスが取れていない感覚なのだ。

 勘違いと片付けられなくもないが、横を見て織笠は確信する。


(ななっ……!)


 車体の右半分と左半分が徐々に引き離されていく。初めて見る車の断面図。言葉を失う織笠。

 綺麗な鋼鉄のシンメトリーが永遠に別れを告げるのを、織笠は唖然として見送る。


 居合い抜き。彼女は稲妻のごとき鋭い斬撃を繰り出し、鋼鉄の車を一刀両断したのである。断じて力業などではない。彼女の洗練された実力とE.A.Wが噛み合わさった、当然の結果なのだ。

 左右に分かれた車体は、まるで計算されたようにユリカから逃げる。

 さらにユリカは驚く行動に出た。高速で疾走する車とのすれ違い際、呆然と車中にいる織笠の手首を掴んで強引に引き寄せたのだ。訳の分からぬまま、勢いよくユリカに抱き締められる織笠。二人は地面に倒れ込む。

 猛然とコンクリートの壁に叩きつけられた車はクラッシュ――轟音と共に爆発を引き起こす。衝突の影響で変形したドアが凶悪な武器と化し、二人がいる方に飛来。織笠の背中を間一髪かすめた。そして、地面を一度跳ねた後、駐車する高級車のフロント部分に突き刺さった。


「……大丈夫ですか?」


 ユリカに呼び掛けられ、織笠はゆっくり顔を上げる。

 ほのかな、いい香りが鼻腔を満たした。彼女からなのか、もしくは着物からか。ガソリン特有の臭さがあってもおかしくはないはずだが、全然感じない。心地よいまどろみだった……が、織笠はすぐに我に返った。

 自分はこの美女の胸に顔をうずめていたのだ。


「おわぁっ! ごごご、ごめんなさ――!」


 と、ユリカが優しく織笠の頬に手を触れる。心臓が飛び上がる。顔から湯気が出そうだ。そのせいもあるのだろう、彼女の手のひらはひんやりとしていた。


「お怪我はありませんか?」


 そんな事実はどうでもいいとばかりに、ユリカは織笠を心配する。

 鼻先数センチという距離で彼女の唇が滑らかに動く。ささやき声は艶やかで、甘い。脳が溶けてしまいそうなほどに。


「は、はい! 全然、これぽっちも、何ともないです! はい!」

「あぁ、よかった!」


 織笠が何度も頷いて返事すると、ユリカは心から安心したように今度はもっと強く抱き締めてきた。


「あそこで対象を始末しきれなかったのは我々の失態。あまつさえ、貴方をこんなにも危険に晒してしまった。申し訳ありません。何とお詫びしたらいいか……。民間人を守るのも我々の使命だというのに」

(おわぁーーーーーーーーーー!!)


 ある意味、今の方が危険な気がする。早いところ離れなきゃ、と思う反面、このままでいたいという誘惑がくる。頭の中で葛藤するが、それより何より、彼女の力が異常に強く、引き剥がせない。


「ぬぁぁぁあああああああああ!!!!」


 後方から男の声が響く。ようやく彼女の力が緩み、織笠はホッとする。そちらへ顔を向けると駐車場奥の非常階段から二人の男が駆け寄ってきていた。彼女の仲間――インジェクターのカイとキョウヤである。

 特にキョウヤは、猛ダッシュで傍まで来て、わなわなと身を震わす。一体何を言うのかと思いきや――織笠へ、


「お前、なにユリカちゃんに抱き締められるとか羨ましいことされちゃってんのォォォ!! とっとと離れやがれ、こんのバカ野郎ォォォォオ!!」


 本音丸出しの想いを大爆発させたのである……。





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