3
終わりの瞬間は刻一刻と近づく。一秒一秒があまりに長く感じられ、織笠は息苦しくなる。目をギュッと瞑った。絶望に耐えかねた末の行動だった。
否応なしにさせられる、死の覚悟。
現実は残酷だ。
リボルバーの激鉄が鳴る音。男が敢えて焦らしているのか、と思える程の長い時間。
――この時、目を閉じていた織笠は気づいていなかった。
窓ガラスの向こう――ビル群に重なる、燃え上がるような赤い夕焼けに瞬いた小さな光に。
いや、たとえ目を開いていたとしても、こんな状況では特に気にもしなかっただろう。
犯人グループの一人が、窓に近づく。あまり運動が得意そうでない体躯だ。
彼の行動にリーダーの男の注意が逸れる。
「おい、どうした? 何をしている?」
「いや、今外で――」
それがこの男の最後の言葉。
分厚く設計されたガラスが内側に粉々に砕け散り、男は破片を浴びながら後方へ仰け反った。
誰もが呆気に取られた。まるで弾かれたように巨漢が吹き飛び、床へ投げ出されたのだ。
素人の動体視力ではきっと、スタントマンのお芝居のように映ってしまったに違いない。それでも、男がピクリともしないのを見ると、人質の女性から悲鳴が上がった。
張り詰めた緊張が破れ、混乱の渦に支配される待合室。
激しい物音に驚き、織笠は目を開けた。
「おい、どうした!?」
仲間の一人、ナイフを持った細身の男が駆け寄っていく。ガラス片にまみれた男は白目を剥き、唇の端からは泡がついている。
死んでしまったのか。織笠はそう思ったが、不思議なことに目立った外傷らしきものは何もない。コートの胸元が軽く焦げているぐらいだ。
気絶しているだけ……?
何が起きた?
確実に言えるのは、外部から何かしらの攻撃を受けたこと。
警察か……? いや違う。もしそうなら、とっくに突入を開始しているはず。
織笠は破れたガラスから外を確認する。ざわついてはいるが、どちらかと言えばこれは困惑。警官が互いに顔を見合わせ、戸惑っている。
じゃあ誰が……。
次の瞬間、倒れた男に変化が生じた。
むき出しになった胸元がぼんやり輝きだし、光がすうっと飛び出したのである。弱々しくはあるが、美しい黄土色の光は、夜にそっと浮遊するホタルを連想させた。
それを見て、リーダー格の男がハッとした。
「しまった、これは――!!」
焦ったように声を張り上げる。
「おい、後ろだ!」
倒れた仲間の傍らにいた細身の男は目を丸くした。彼には振り返る暇さえなかった。首に衝撃を与えられ、錐揉み状に真横にある受付に激突する。
さっきと同じだ。大の大人が勝手に吹き飛ぶ、マジックを見ているかのような光景。
(え……えぇ……!?)
織笠の驚愕は、それだけでは終わらない。
視線を釘付けにしたのは、細身の男が数秒前までいた位置。その場所だけ、妙にブレている。というか、空間に歪みが生じている。
自然なようで、不自然。
例えるなら、日常の風景に溶け込ませるために塗り重ねた人間アート。
――そう、それは紛れもなく、
と、今度は受付奥にある職員用ドアが勢いよく開く。
「精霊保全局だ! ただちに武装を解除し、大人しく投降しろ!」
ドアを蹴破り、両手で銃を構えながら突入してきたのは黒いスーツを着た金髪パーマの男。端整な顔立ちで、派手さと規律を持ち合わせた風貌だが、銃もまた変わっていた。強盗犯のような時代遅れのものとは根本的に違う構造をしている。深海を思わせる濃い青色に、ハンドガンとは思えない大きさの銃身には楕円形の宝石が埋め込んであった。
強盗たちの顔が一瞬にして強張る。拳銃を織笠から金髪の男へ移動させたリーダー格の男が、悔しげに呻く。
「貴様ら……。インジェクターかぁっ!!」
「そのとおーりー」
答えたのは、金髪の男ではなかった。リーダーの男は声の出所を探すが、どこにも見当たらない。
声の正体は、あの人間の形をした歪みだった。
乾いた絵の具が剥がれるように、緑の粒子の欠片から
「俺たちは悪ーい精霊使いさんをお仕置きしにきたの。あまり抵抗しない方が身のためだぜ。下手に暴れたりしたら、そこの仏頂面のお兄さんが黙ってないからさ」
と、不敵な笑みで金髪の男を横目に見る。
「繰り返す、武器を捨てろ。マナを回収した後、貴様らをすみやかに更正施設に移送する」
高圧的に金髪の男は言った。
まるで対照的な二人だが、どちらにも一切の隙がない。一般人の織笠にもそれははっきりと感じ取れた。
織笠は呆然としながらも、この乱入者たちの言葉を反芻する。
精霊保全局。
精霊という存在が新たなインフラとして加わった現在の日本。それを管理・運営するのが、彼ら『精霊使い』だ。
自然の中から生み出される高密度のエネルギー体を精霊使いは操り、社会を円滑に運用させる。今や、日本の人口の約四割が精霊使いにまで膨らんでいた。
しかし、全ての精霊使いが、この国のために尽力するという模範的な精神を持っているわけではない。一方で、無登録下の精霊使い『ストレイエレメンタラー』と呼ばれる中には、己の私利私欲のために精霊を悪用する者たちもいる。政府は彼らを犯罪者と認定し、対処すべく設立されたのが精霊保全局だった。
その実行部隊がこのインジェクター。精霊犯罪に立ち向かう精鋭集団である。
「う、うわあああああああああっ!!」
小柄な男が発狂する。身の丈に合わないライフルを持った彼は、自暴自棄になったらしく、受付越しに立つ金髪のインジェクター――カイに銃口を向けた。
「無駄な抵抗は止めろと、今そこの阿呆が言ったのが聞こえなかったのか。お前らごときがインジェクターに敵うと、本気で思っているのか?」
「ううう、うるせぇぇぇええええ!」
男は構わず発砲。ダァン! というけたたましい破裂音が鼓膜を刺激する。やぶれかぶれに撃った弾丸は偶然にも左胸に命中。しかし、それでもカイは、眉一つ動かさない。痛がる素振りすら示さない。
不思議なぐらいの無反応。
驚きのあまり、男はあんぐり口を開ける。無理もない。普通なら大量の血が噴き出しているところだ。胸の弾痕からは数秒経っても変化は訪れない。それに、愕然としたのはこの場にいる織笠含め全員だ。……ただし、例外を除いて。
茶髪のインジェクター――キョウヤ。彼だけは動じず、タバコをふかしている。
「な、なんで……」
ありえない、そう呟きかけたその時、本当にありえないことが起きた。
カイの全身がみるみる“溶け”だしたのである! まるで灼熱の太陽に氷の像を近づけさせたかのように急速に無色透明の液体となり、真下に流れ落ちた。残ったのは床に溜まった水溜まりと弾丸のみ。
小柄な男はパニックに陥りかけた。ライフルが手元から滑り落ちる。
カチャリ。
小柄な男の左横から乾いた金属音。
そして、冷淡なる男の声。
「だから無駄だと言ったろう?」
そこにいたのは、やはりカイだった。平然とした表情で小柄な男のこめかみに銃を突きつけていた。
「俺は“雨”の精霊使いだ。能力を発動させれば状態変化を起こせる。今のは液体に変化させ、空気に含まれる水分でこちらに移動し、固体に戻したわけだ。……もっとも、簡単なようで実は難しい技でな。こんなことが可能なのは雨の精霊使いでも限られる。しかもここはマナを遮断しているから、特にだ」
カイは低く、ささやくように語る。
「――この意味、お前も精霊使いの端くれなら理解できるな?」
「ひっ――!」
男は逃げようと試みるが、それよりも早く銃弾が彼のこめかみを貫く。
特異なのは銃だけではなかった。放たれたのは鉛の弾丸などではなく、細長いレーザービーム。真横から男の頭部を直線状に射ぬいた。
意識を刈り取られた男が崩れ落ちる間際、頭頂部から丸い光が飛び出した。
最初に倒れた男と似たような光だ。カイが銃をかざすと、光はひとりでに吸い込まれ、宝石が輝きを増した。
――これが回収作業なのだろう。
やられた側は、正しく魂が抜かれた人形と化す。
「さぁて、残るはお前さんだけだぜ?」
受付に寄りかかる形で倒れている細身の男からも光を抜き取って、キョウヤはリーダー格の男に向き直る。
普通の人間と精霊使いとでは構造的にさほど違いはない。ビジュアル面も変わらないし、運動能力も大差ない。
唯一の違い、それがマナである。
精霊使いの体組織には生まれつきマナが備わっており、細胞一つ一つに直結している。マナの含有量もまたそれぞれで、精霊使いとしての資質の優劣に影響してくる。
そもそも精霊は体内のマナと空気中のマナが結合することで初めて精霊となる仕組みだ。精霊使いは力を行使するとマナを消費し、使い過ぎれば過ぎるほど当然疲弊し、限界を超えれば一時的に活動が困難になる。
インジェクターの仕事は、他人のマナに強引に干渉し、本人の意志に関係なく奪うこと。そのためには特殊な力が必要となる。
|E.A.W(エレメンタル・アドバンス・ウェポン)。
マナを吸収し、捕獲する――類い稀なる資質を持つインジェクターだけが発動を許された、裁きの武具だ。
「ぐ……っ!」
仲間がすべてやられ、追いつめられたリーダーの男は噛みつくように叫ぶ。
「政府のイヌがぁッ! マナを自分のために使って何が悪い! 誰に迷惑がかかるってんだよ、あぁ!?」
「あのな……」
カイは落胆したようにかぶりを振り、キョウヤは肩をすくめる。
分かっていない、そう言いたげだ。
男の言い分はもっともらしく聞こえるが、その主張は真っ向から切り捨てられる。
さらなるインジェクターによって。
「……マナは我々精霊使いにとって非常に大切なもの。マナを大事にしたいと思うのは精霊使いとして当然と言えるでしょう」
現れたのは女性だった。
長い藍色の髪をなびかせ、口元には優しい笑みをたたえた着物の美女。裾がはだけないように擦り歩く様は
彼女もインジェクターなら相当な実力者なのだろう。
優美な振る舞いでありながら、「ですが」と、紡がれる言葉には芯の強さがこもっていた。
「マナを個人の欲求のために人為的に増強するのは間違いです。我々がマナを使用する目的は一つ。世の安寧を保つためです。そのために我々精霊使いは存在するのです」
「そーいうこと。君、ラッキーだぜ? ユリカちゃんの説教が聞けてさ。……というか、犯罪者が知った風な口を利いてもあまり効果ないな」
「……ッ」
「元々この世界の住人ではない私たちが出過ぎた真似をしてはならない。ほら、よく言うでしょう? 過ぎたるはなお及ばざるが如し、と」
「……それ、ちょっと違わない? ユリカちゃん……」
「あら、そうなのですか?」
にこやかに首をかしげる女性インジェクター――ユリカ。緊張感が感じられないカイは、もう何度目かのため息を吐く。
「観念しろ」
低い声音で、カイが男ににじり寄る。
「ぐっ……!」
圧巻だった。息をするのも忘れていた。何もかもが驚きで衝撃的。感動さえ覚え、身が震えた。
織笠はインジェクターという存在を知ってはいたが、ニュースで観た程度ぐらいでしかない。その背後には厳しい報道管制がしかれており、一般人が実物を見る機会を意図的に少なくしているという裏事情がある。マスコミに取り上げられてしまえば任務に支障をきたすからだ。
人質にされていた市民に安堵の空気がもれる。
――もう安心だ。
織笠も力が抜けた。
しかし。
「くく、来るなぁァァアアアア!」
立っていたのが不味かった。
男が素早く織笠の背後に回り込み、銃を首にあてる。
「いぃい!?」
「来るんじゃねぇぞ! てめえら一歩でも動いたらこいつを撃つからなぁ!」
「……ッ!」
カイが舌を打つ。
「あ〜らら。こりゃマジィわ」
「呑気に言ってる場合か! おい、馬鹿な真似は止めろ。俺たち精霊使いが民間人に手を出せば、どれだけ罪が重くなるか、知らないわけじゃないだろう!」
「そうそう。二度と社会復帰出来なくなるよ?」
口調は軽いが、キョウヤの表情は堅くなっている。
「うるせえ! 関係あるか、もう遅えんだよ!」
織笠の首を絞める力が強くなる。息苦しさに声にならない喘ぎを発した。抵抗しようと男の腕を掴もうとするが、腕力に差がありすぎて引きはがせない。
男は拳銃で三人のインジェクターを威嚇しながらわめき散らす。
「俺たちはぐれ者にとってお前らはウザイ存在でしかねぇ! 能力が高いってだけで俺たちを下に見やがって。お前らは犯罪を犯すストレイエレメンタラーを裁くことで中立の立場でいるようだが、その実、力を振りかざして上に立った気でいやがる。神にでもなった気でいやがんだよ!!」
「ひねくれてんねー。……いいから離せや」
「ドラッグにしたって俺らの理屈が正しいからだろう! この世界が気に入らないから必要なんだよ、お前らの支配から逃れるためにはな!!」
怒気を孕ませた言葉をキョウヤは吐くが、興奮した相手には通用しない。その横で、ユリカが銃を構えたカイにそっと近づき、耳打ちする。
「……私が行きますか?」
視線はそのままに、カイはわずかに思案し、すぐに口を開いた。
「いや、民間人を盾にされているんだ。危険すぎる」
「あら、私が失敗するとでもお思いですか?」
「そうは言ってない。今あの男はパニックだ。何をしでかすか分からん」
「ホントーに、ユリカちゃんの予言通りになっちまったなぁ……」
インジェクターが手を出せないでいると、男が織笠を掴んだまま引きずるようにして移動を始めた。
「いいか、お前ら動くんじゃねぇぞ!」
織笠は意識を失いかけていた。視界が薄れてゆく。
どこへ連れていくつもりだ……?
織笠を引きずりながら、リーダー格の男はエレベーターの方に移動していく。拳銃でボタンを連打し、中に入ると、男は地下フロアのボタンを押した。
行き先は地下駐車場。どうやらこのまま逃走を図るつもりらしい。
「じゃあな、間抜けなインジェクターども。いいか、もし追ってきやがってみろ。こいつの命はねぇ。俺を捕まえるのと、こいつの命。どっちが大事か、よぉく考えてみるんだな!」
エレベーターの二重扉が閉まる間、男は笑い続けた。完全に扉が閉まり、降下を開始すると同時に、織笠は遂に闇に落ちていった――。
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