第廿弐話 ~河の民~その拾

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁッ!」


 何もない、何も見えない雲の中のように真っ白な空間。

ただ落ちていく感覚だけが童を襲う。

 何度か会話をしただけの薬師の身体と入れ替わった(と童は考えている)上に

修練とか急に言われて放り込まれたのがこの空間。


「落ちる!怖い怖い怖い怖い!お婆ぁ助けてぇぇぇぇぇぇッ!」


「こら童、目を開けないか!そのままだと地面に激突するぞ」


 どうしたらいいかわからずバタバタしている童を横目に薬師は悠然と自由落下を愉しむように余裕の表情を見せている。


「そんなこと言ったってどうすればいいのさ!」

「空を飛ぶ自分を頭に描くのだ、想像できなければ飛ぶ事どころか浮かぶこともできないぞ。では上で待っておるから飛び上がって来たまえ!」


 そう言って薬師は童から離れて上昇していった。


「うそでしょ!無理無理無理無理ぃッ!」


 だんだんともやが晴れて真下に地面らしきものが見えてきた。

落下するにつれて下界が詳細に見えてくる。


「やだ…死にたくない…落ちないで…落ちるなアタシぃッ!」


 落ちていく感覚が薄らぎ体が軽くなった気がする。

恐る恐る目を開けるとふわりと浮かんでいる事に気がついた。

少しでも体を動かすとまた落ちるのではないかと体が強張る。


"大丈夫…童は強いから…"


 頭の中に語り掛けてくる声…

見回しても誰もいない。


「誰?どこかで見てるの?」

"今は…童に助けられて…ばかりだけど"

「は?!何の事?」


 童の目の前にぼんやりとヒトの姿が見える。

姿かたちだけではあるが童より少し歳上の少年のようだ。


"飛べるって想像して…"


 そう言い残して少年の姿も声も消えてしまった。


見上げるとはるか上に薬師がいる。


「あそこまで飛べっていうのね…飛んでやるわよ、見てなさいぁッ!」


 童は空高く飛ぶ自分を頭の中で想像した。

足元に力がみなぎる。

空を見上げると童の身体は急上昇し始める。

どんどん加速していく。


「ほほう、村長の血族故見込みはあるとは思っていたが…どうしてどうして、面白き事になりそうではないか」


「でもさぁ!どうやったら止まるのよぉぉぉぉぉぉッ!」


 童は薬師の元まで飛んできたのはいいが今度は空中を一定の高さで留まっていることが想像できずにいる。

とっさに薬師の手を握ると二人はそのまま更に上昇を続ける。


「止まらないよ!どうしたらいいの?」

「強い風も荒波も次第に収まる!穏やかな風やさざ波を頭に浮かべてみなさい」

「風?…」


"そう…優しく頬を撫でる風みたいに…"


 強く握る手の先に見えたのは薬師ではなく、さっきの少年が童に微笑んでいる。

相変わらず顔ははっきりしないが、童は少年の声を素直に受け入れることができた。


「優しい風…」


 ふわりと体が浮かぶ。

童は両手を伸ばしながら握った手の先を見る。

"もう、大丈夫だね…"

少年の顔が次第に薬師に変わっていく


「げっ…アンタかよ!」

「げ、とはなんじゃ」

「あのさぁ、ここにアンタ以外誰かいる?」

「私とお前だけだが?」


 なんだ、気のせいか…と童は思った。


「ただの騒がしい奴かと思ったが、飲み込みが早いな。このまま次の修練を続けるとしよう」

「は?ちょっと休ませてよ!体中バキバキだよ」

「生憎だが時間がないのだ。こちらの一年は郷の四半刻だからな。

ほら!ボヤっとしていると火球に当たって火だるまだぞ!」


 童達を目がけて無数の火球が飛んでくる。

一つ、二つとなんとか避けきるが火球の数がどんどん増えてくる。


「ちょ…お願いだから冗談でいいから冗談だって言って!こんなの無理だから!」

「すまんな、私は冗談を言うのが苦手なのでな、全部かわしたら下に降りてこい」


 薬師はそう言い残して下に急降下していった。


かよぉぉぉぉぉッ!」


 ひとり残された童の四方から火球が迫ってくる。

童は大量の火球の攻撃を避けきれず火だるまに…はならなかった。

 童を水の障壁が囲んでいた。火球は童目がけて飛んでくるが水の壁に衝突して消えていった。


「これ…アタシが作ったの?」

"そう、水を操る童の力だよ"

「アタシの力かぁ…へへっ、アンタ、もっと褒めなさいよ」

"すごいね…僕もいつか…童の事を護れるように強くなるから…"

「誰か分かんないけど、待ってなさいよ…こっちから会いに行ってやるから!」


 童は水の壁に向かって思い切り広がるように念じてみた。

水の壁は次第に大きくなり火球を飲み込んでいく。

そして童はついにすべての火球を消し去った。


「これは…河の童、私の想像を遥かに上回る逸材かも知れぬな。

今日はここまでと思うておったが、もう一段高みを目指してもらうか」


 静かになった空に太陽かと見間違えるほどの大きな火球が現れた。

それはゆっくりと童に近づいてくる。


「うん、無理。絶対無理。どう考えたって無理だから!」

「童、その障壁をぶつけてみたまえ」

「は?ぶつけるぅ?」


 水の障壁はかなり大きく広がっている。だが中は空洞のまま…


 童は水の障壁の外に飛び出し、もう一度念じてみる。


「中にありったけの水を貯めてみろっての!」


 童の言葉が通じたのか、障壁の中に水が注がれていく。

水の鞠のようであったものは丸い水の塊となって大火球とぶつかろうとしている。


「火の玉なんか飲み込んじゃえぇぇぇッ!」


 童が作り出した水の塊が火球とぶつかる。水蒸気を上げながら炎を飲み込む。

やがて火球は水に飲みこまれ消えていく…


「ハハ…やったわよ」


 童はとうとう力尽きて気を失い、姿勢を崩し落ちていく。

受け止めた薬師の腕の中で童は眠っていた。

まだまだ粗造りではあるが手順を理解さえすれば飲み込みは早い。

防御については薬師の想像以上の能力を発揮することができている。


「これは…一座に招き入れるべきかな」


 こうして童の長い壱年が始まった。

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 同じころ…

大枝の洞窟。


 酒呑童子は広間にひとり豪奢な椅子に座っていた。

顔には汗が滴り落ち、苦しそうな表情をしている。

わずかに聞こえるうめき声、苦悶の表情を誰にも見せまいと顔を手で覆う。


(まただ…頭が割れるように痛い…)


 激しい痛みと頭の中に浮かんでくるおぞましい夢。


 ひとり捕らわれ幾人もの男たちから辱めを受けている。

凌辱された末に首を刎ねられる。

自分の生首を持つ男がいる。見上げる顔に焦点が定まる。


「おのれ呪詛師ッ!」


 自分の叫び声で我に返る。

首に手を当てる。首は繋がっている。

夢はいつもここで終わる。


 夢なのか、記憶なのか。

自分が操られているような感覚に襲われる。


「我をはずかしめた人間をすべて殺してやる。そのために我は…」

-我は?


「酒呑!」

 酒呑童子の異変に茨木童子が駆けつけた。


「おお、茨木…早く、早く人間どもを消し去らねば…我の汚辱は…」

「どうした?また夢を見たのか?」

「我を辱め殺したあの男…」

「辱め?何言ってんだ、お前は殺されてなんかいねぇ!こうして生きてるじゃねぇか」

「生きて…おお、そうだな、確かに我は生きておる!」


 茨木童子は安堵しながらも自分と酒呑童子の記憶に齟齬があるのではないか、と疑いを抱いていた。

 茨城童子も同じように夢にうなされている。

 自分の夢は壱条戻橋で腕を斬られ、酒呑童子はこの大枝山で首を刎ねられたところで終わっている。

あの時酒呑童子は死んだと思っていた。

だが生きていた…自らの首を抱えて大枝の山に戻ってきた。

腕を斬られ辛くも戻ってきた自分たちを出迎えたのは

同じように瀕死の状態でたどり着いた四天王たちと僅かばかりの配下の鬼達。


出迎えたのはどす黒い闇のようななにか…

首を繋げ、腕を繋げ、傷を癒す誰か…

「もう一度・・・・闘うのだ」

もやの中で声がこだまする。


そんな夢ばかり見ているのだ。


自分たちは本当に生きているのか?

夢の中で誰かに踊らされているのか?

浪花や河の郷を攻めることは自分たちの真の目的なのか?


 二体の鬼の中にそれぞれ異なった疑念が生まれている。


 そして浪花~河の郷への侵攻は翌日と決まった。

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第廿弐話 了


扉絵はこちら

https://kakuyomu.jp/users/eeyorejp/news/16818093074905382510




 

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