第拾六話 ~河の民~その四

 河の郷、村長むらおさの家ではおさと家の主達が集まっていた。

 木で組まれた屋敷の広い部屋に十人以上が囲炉裏を囲んで座っている。

夜も更けて童はもう寝てしまったようだ。

 話題は現在郷への迎えを送っている薬師への対応についてである。


「村長、外の者を郷に引き入れて大丈夫でしょうか」

「どういうことかの」

「郷は何百年もの間、外の者が入ったことがございません」

「例外はある」

「!…そ、それは」

「皆知っていることじゃ、三十年ほど前にもヒトの女が入っておる」

「あれは跡継様あとつぎさまがお連れになられたので…」

「此度は儂が招いたのじゃ、文句があるか?」

「村長、村長におかれましてはその薬師とやら、見知った者なのでしょうか?」


 村長の顔を伺いながら次の言葉を待つ。


「知るも何も、太腿付け根のホクロまでしっかりと覚えておるわい!オーッホッホッホッ!」


 村長の高笑いに皆は唖然としていた。

 一方、村長は皆の表情を気にすることもなく話をつづけた。


「最悪の事を考えて童を郷から外に出す算段をしておったが、薬師様が浪花に来られているとは想定しておらなんだ。

どうやら流れが変わりつつあるわい…これは我らにとって吉兆ぞ。」

「しかし、薬師様が我らに加勢してくださるでしょうか?」


 一人の問いに周りがヒソヒソと小声で話し合っている。


「これは薬師様と童にしかできぬことじゃ…」

「しかし…我々もつろぅございます。ヒトとの間に生まれた子とは申せども、

あの童は跡継様のお子…此度の事があるにせよ一切情けをかけてはならぬ、とは余りに酷い仕打ちかと…」

「決めたことだ、この後は薬師様と話す…皆は家で眠るがよい」


 村長の一言で集会は終わりとなり、皆家に戻っていった。

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 しばらくして、数人の男に連れられた薬師が河の郷に到着した。

浪花の街を出た後、目の前は霧に包まれ何も見えなくなっていたが、

晴れた先に見えたのは月明かりに照らされた山間の小さな集落。

 家々の前には小さな田畑があり道と水路が縦横に張り巡らされている。

男たちに集落の奥まで案内され、ようやく村長の家にたどり着いた。

 念のためと称して持ち物や身に着けているものを隅まで調べられたあと

家の扉が開かれ、薬師は中に入る。


 先ほどまで話し合いをしていた部屋、囲炉裏の向こう側に村長は座っていた。


「お久しゅうございます、郷の長。音沙汰無きこと幾百年、心からお詫び申し上げます」

「あなた様はあの時と全くお変わりありませんな…私はすっかり老いてしまいました…」


 薬師は村長の傍に来てその手をそっと持ち上げた。

村長は若い乙女のように恥じらいながら薬師の手に唇を添えた。


「たった一度の逢瀬ではございましたが、あなた様との想い出は何一つ悔やむことなどございません」

「あの時、あなたは若い娘の姿で私の前に現れましたが…」

「五百年前、あなた様より少し歳上と判ったらあなた様は腰を抜かされましたな?」

 村長はすこし毒づいた言い方になった。

「いや、あの時のおかげで少々歳上の女性にも魅力を感じることができるようになりました…」

 薬師は動揺を隠せなかった。


「ホッホッホッ…今更取り繕うようなことをせんでもよろしゅうございますわい、今宵はこのおばばと腹を割って話をいたしませぬか」

「なるべくお手柔らかにお願いしたいのですが」

「おれはあなた様のお心がけ次第」


 どうやら薬師、この村長についてはあまり良い思い出がなく苦手なようである。


夕餉ゆうげもまだでございますね。温かいものでも食べながら、といたしましょう」


 村長は囲炉裏で温められている鍋のふたを開けた。

湯気と共に食欲を刺激する匂いが部屋に広がる。

 川でとれた魚と郷で収穫した野菜をふんだんに使った鍋を村長は薬師に振る舞った。

 薬師は大地と川の恵みに感謝の祈りを唱えてからこのご馳走を存分に味わった。


「子供は、あの童ひとりですかな?」

「左様、もう三十年も生まれておりませぬ」

「年頃の世代も、でございますか?」

「皆…親よりも先に旅立っております」

「では、この郷は…」

「お話というのはそのことでございます」

「童のことでございますか?」

「話が早うございますな」

「さすがに歳が違いすぎまするぞ」

「誰もそなたらに子作りをせよとは申しておらん!」


 村長は薬師が冗談を言っていることを分かった上ではあったが、

つい郷の民に対する口調で薬師に話してしまったことを少し悔やんだ。


 全く…このお方は昔と変わっていない。

 真面目な話をしていても時折こちらをからかってくる。

本気で怒ってもただ笑っている…

憎めないお方だ…


「あの子から寿命の話を聞かれましたか?」

「ええ、せいぜい五百年位だろうと」

「我らもそう思っておりました。昔ヒトとの間に生まれた子は皆そうでした。

あの子にもそう話しておりましたが…」

「もっと短いと?」


 村長は黙って頷いた。


「あの子は私の曾孫でございます。四百年ほど前、男の子をひとり授かりましたのじゃ。

その子と郷の娘の間に生まれたのがあの子の父親。

みな、早くに亡くなりましてな、私が育てておりました。」

「三十年と言えば、ヒトであればもう立派な大人になってもおかしくないでしょうが、河の民の三十年などまだまだよちよち歩きの頼りない子供。

 ヒトとの間に生まれた子であればせいぜい五つくらいにしか見えないものです。

ところがあの子は十歳程にまで育っております。

 この二年ほどは成長もヒト並に緩やかになっておりますのでこの先はヒトと同じ時を刻むことになるのでは、と…」

「ヒトと同じになりつつあると?」

「この郷におる者であの子より先に逝く者はほとんどおりますまい。それがわかっているからこそ私は民にあの子には情けをかけないようキツく言い渡しておりました。」


「ひとつ聞いておきたいのですが、四百年前のお子様というのは・・・」

「よもやあなた様との間の子、と気になさっておいでですか?」


 薬師は確かに自分と村長の間に子供が生まれたのではないかと思っていた。


「ご心配には及びません。あなた様がこの郷を離れた後、浪花で良き方とご縁がありましてな、その折に授かった子でございます。」


 薬師は複雑な表情をしていた。


「やはりあの時あなたをこの郷から連れ出しておれば・・・」

「童に昔話をすることもなかった、とお考えですかな?」

「ま・・・まぁそうですな」

「ホッホッホ・・・正直なお方。しかし、お話と言いますのは、今度こそ連れ出していただきたいのでございます」

「どなたを、でございますか?」

「お分かりでございましょう。童にございます」


 村長はゆっくりと手をついて、床に当たるほどに深く頭を下げた。


「お待ちください!なぜ、童をこの郷から出さねばならぬのです?」

「先ほども申しました。この郷はもう先がないのでございます。それ故この郷に置いておくわけにはいかぬのです」


「なにやらお急ぎのようだが、郷になにか大事が起こっているのでは?」

「・・・」

「例えば、童の身に危険が迫っているとか?」


 村長はようやく頭を上げた。


「・・・やはりあなた様に隠し事はできませぬな。

出来ればあなた様を巻き込む事などなく、

今夜童と共にこの郷から遠く離れたところへ逃げて頂きたかったのですが・・・」


 村長が話を続けようとした時、家の外が騒がしくなった。


「どうやらその目論見は彼奴あやつらに読まれていたようでございます」

「何があったのですか?」


家の扉が荒々しく開かれ、外にいた郷の男が駆け込んできた。


「村長!鬼です!また鬼が!」


「どうやらご説明いただくより拝見する方が早そうですな」


 村長は「申し訳ございません」と一言呟いて頭を下げていた。


 薬師は席を立ち、家の外へ飛び出した。


 家々から飛び出している郷の者たちは皆空を見上げていた。

 郷に入った数刻前にはひっそりた静まり返っていた郷の空を埋め尽くすおびただしい数の黒い飛翔体・・・

人の姿、大きな翼、頭に角を頂くその姿は紛れもなく鬼と呼ばれるものであった。


 黒い姿の鬼達の中から前に出てきて民を煽るひとりの女、確かに姿からして女と呼ぶべきか。

白く長い髪、妖艶な瞳、そして豊かな胸・・・


 その鬼は嫌らしい笑いを浮かべながら名乗りをあげた。


「大枝山より酒呑童子一の配下、茨木が参った。

童の件、今宵で締めくくるとせぬか、村長・・・」


第拾六話 了


扉絵はこちら

https://kakuyomu.jp/users/eeyorejp/news/16818093074041611482

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