第拾弐話 ~故郷

出発前日の夜中・・・


 サルタヒコが薬師の部屋を訪ねた。


「サル、こんな夜中にどうした?」

「気になることがあってな」

「あの小僧のことか?」

「うむ・・・」


サルタヒコは薬師が夕餉の時から話すべきか思案をしていると感じていたので、

みんなが寝静まってから彼の方から声をかけたのだった。


「お前さんはなんでも一人で抱え込むからな」

「皆に心配をかけることはしていないつもりだが」

「例えば俺だ、使役とは言ってもお前さんよりは遥かに歳は上だ、気を遣うことはない」

「そうだな・・・」


薬師は手にしていた巻物ををサルタヒコに見せた。

 それはいにしえにこの国が造られて以来現在に至るまでの怪異を著した絵巻物であった。


「ほう、大蛇の神隠しも描かれておるではないか」

「ウズメさんは仕事が早いな、あの場にいたからなおさらだ」

「いい女だろ?」

「サルには勿体無いくらいだ」

「褒め言葉として受け取っておこう」


 二人は酒を酌み交わしながらウズメが描いた大蛇との闘いを回想する。


 巻物には彼らが今滞在している東国の街から西にかなり離れたひときわ高い山の麓に大蛇が描かれていた。


「不二の山か」

「そのようだな」

「神社の祠が繋がっていたのか?」

「たとえ繋がっていたとしても辿り着けるのは私やサルにウズメさんと言ったところだろうな。」

「小僧が自分の力で祠から不二の山にたどり着いた、と考えているのか?・・・」

「確証はない、あの場には小さき白い蛇がいたからな。誘導された可能性も否定はできないよ、

ただ・・・」

「その見守刀か?」


 薬師はその通り、とばかりにサルタヒコに笑って一振りの太刀を見せた。

蛇紋様蓬莱丸じゃもんようほうらいまる

蛇が絡みついている様な刃紋を持つ妖刀である。


「鍛錬した爺さんに言わせると『鈍刀なまくらがたな』らしいんだがな。

実際、見守刀と言われる物で実戦に役に立った刀など私は見たことがない」

「お前さんが大蛇を倒したのではないのか?」

「太刀を持つ手に少し力を与えた程度だよ」

 薬師は黙って首を横に振った。


「あの子は大蛇に支配されていなかったからな。

ただの小僧と侮っていたのかもしれぬが・・・

まさか大蛇の奴、蠱毒にして操るつもりが逆に力を奪い取られていたとは間の抜けた話だ、

それよりも・・」


 巻物の絵を指差しながら薬師は続けた。


「ここに私は描かれていない」


 そこには不二の山、大蛇、そして光の塊が大蛇を貫く様に描かれていた。

----------

 西に向かう一座は峠を超えたあたりで少年と薬師、そしてサルタヒコ達の二手に分かれた。


「あまり時間は取れぬ。そしてこれからのことは伏せねばならない。」

 薬師から名を与えられると名前を与えてくれた両親のことは忘れてしまう。

 次にこの地を訪れたとしても覚えていることは何ひとつ無いのだ。それは親にとって死別することより辛いことかもしれない。


 今日以降、彼にとってこの地は禁足の地となる。

彼を知るものがこの世からいなくなるまではこの地に足を踏み入れることができない。


 少年は遠い地で働くから、と両親に別れを告げるつもりでいた。


 薬師はあらかじめ身なりの良い商人に見えるよう蝦蟇蠱に化粧してもらっていた。


 少年達には薬師の指示で河の童も随行していた。


 最初は嫌がっていた童だが薬師に飴菓子を買ってもらうことを条件についてくることにしたのだ。

「里心がついて逃げ出すようなそぶり見せたらアンタをとっ捕まえて尻子玉を返してもらうからな!」

などと先輩風を吹かせるようなことを言ってはいるが、やはり少年のことが気になるのであろう、道中も少年のことをチラチラと見ながら歩いていた。


「童、よそ見が過ぎると怪我をするぞ」

「大丈夫だって!師匠こそ道を間違えないでおくれよ・・・うわっ!」


 童が石につまづいて転げそうなところを少年が支えて抱き止めた。


「大丈夫?」

「へ?あ・・・ありが・・・礼を子分に言うわけないだろ!?」

「そうだね」

 少年は穏やかな声で返事をしたのだが、

「判ったら早く離してくれないかな、歩けないんだけど」

「あ、ごめん・・・」

「別に、謝らなくてもいいから」

「ごめん」

「だからなんでアンタはすぐに謝るのさ!」

「難しい年頃だな、童」

 二人のやりとりを見ていた薬師は笑いながら二人に話しかけた。


「はぁ?!どこが難しいんだよ!アタイほどわかりやすい奴はいないってゲロガマ子に散々言われてるんだけど?」

「そうだな、それでもお前が楽しそうに歩いていることは私にもよく分かったがな」


「どう言うことだよ?」

「そう言うことだよ・・・さて、お前たちの相手をしているうちに見えてきたようだ」


 小高い山を登り切った3人の目の前に小さな集落が目に入ってきた。

 春先ではあるが田畑が手入れされている様子はなく、おそらくは何年も作物が作られていないのが一目でわかる。


「僕が口利屋に預けられたのは口減しのためだったんです」

「飢饉が続いたのか」

「はい、何年も作物が取れなかったそうです」

「ねえ、これ・・・土が弱ってるよね」

 童が畑の側に座り込んでじっと見ていた。

「童よ、わかるのか?」

「わかるよ。ここの土にはもう作物を育てるだけの力がない・・・」


 童の言葉が少年に刺さる。

「もう畑を耕してもダメなのかな?」

「うーん・・・人の力ではどうにもならないかな、土も、水も全部ダメになってる・・・」

「・・・」


 薬師は少し思案していたが、

歩みを早め少年の実家に向かうことにした。

少年と童も慌ててついて行った。


 少年の家は畑から更に集落の奥へ進んだところに建っていた。

それは粗末な造りの小さな家であった。

隣、と言ってもかなり離れたところにも民家は何軒かは見えてはいるが・・・


「思ったんだけどさ・・・」

「何?」

「さっきからこの村の人たちを全然見かけないんだけど・・・」

「童、」

薬師が遮る。

「だっておかしいじゃない?!昼間だよ、働いてるよね?食べるならかまどに火を焚べてるよね?」

「童・・・」

「師匠、もう気がついてるんだよね?

私にだって感じるんだから・・・」

「童っ!」


 薬師の一言で童は黙ってしまった。


「どう言うことですか?」


 少年は童が口にしたことが理解できずにいた。

ただ、生まれた村に戻って両親に別れの挨拶をするだけだと思っていたのに、


 誰か・・・家から出てきてさえくれれば・・・頭の中に湧いてくる疑いを晴らすことができるのに


 三人が少年の家の前に着いた時に合わせるようにあちこちの家から住人らしき人たちが姿を現した。


「ほら、みんないるじゃないですか!よかった・・・」


 そう言いながら少年が家の中に入ろうとした時、


「動くな!」と薬師が少年を引き止めた。

(まさかな・・・これほど近くに寄ることがなければ邪気を読めなんだとは・・・或はこの少年が邪気を妨げたのか?ならば・・・)


 薬師は懐から式紙を一枚わらべに投げ与えた。


「童、縛をかけろ」

「え?」

「考えるな!言われた通りにしなさい!」

「・・・」


 童は黙って頷き、少年の背後に回り込み式紙を彼の背中に貼り付けた。

「ゴメンよ、しばらくの間我慢してもらうから・・・」

式紙から広がる光る輪が幾重にも少年の体に巻きついて体の自由を奪う。


(やはりこの子が遮っていたか・・・ということは既に・・・)

薬師は抱いていた疑念が確信へ変わったのだと悟った。


「なんで・・・こんな事を?」

「いいから後ろに下がって!アンタだってもうわかってるんでしょ?!」

「だって・・・家の中には・・・お父とお母が・・・」

「だから・・・もう・・・アンタの親は・・・」


少年は呪縛から逃れようと必死にもがいているが、どうすることもできずにいた。


 戸がガタがたとと音を立てながら開き、家の中から住人が出てきた。


「お父・・・お母・・・」


 少年にとっては見覚えのある父と母の姿、だがその姿は目線が定まらず顔は青ざめ正気のない変わり果てた姿でヨロヨロとこちらに向かってくる。

 他の住人たちも同じような姿で集まってくる。


 前に立つ薬師を目をやると、既に化粧は溶け落ち、薬師本来の姿に戻っていた。

そして、少年が持っていたはずの見守刀『蛇紋様蓬莱丸じゃもんようほうらいまる』が宙から現れ薬師の手に握られていた。


「何をするつもりですか?やめて・・・やめてください・・・やめてよ・・・やめろぉぉぉぉぉッ!」


 呪縛が少年の体を締め付け、苦悶の表情を浮かべる。


「だめだよ・・・この村の人たちみんな・・怪異かいいに喰われちまって・・・もうこの世に魂が残っていないから・・・」

「だって・・・あれは・・・あの姿は・・・」

「この村はもう怪異の巣になっちゃったんだよ。

ここに来る人間を怪異は誘い込んで魂を喰べるんだ・・・そうやってヤツらは増えていくんだ・・・

 怪異の討伐もアタイたちの仕事だから・・・」

「まさか・・・最初からわかっていて・・・」

「それは違う!この村に入るまでアタイたちは何も感じなかった。あの畑を見るまでは・・・」

「・・・」

「この村に一歩づつ奥に進めば進むほどに疑っていたことが間違いないってわかったんだよ。この村ごと死んでしまってるって」

「そんな・・・酷い・・・」

「なぁ・・・アタイの顔を見て」

「え?」


 少年は童の方を見た。童は涙を流しながら少年に優しく語りかけた。


「聞いてるでしょ?師匠が名前を与えてくれたら、名前を与えてくれた人たちの事を全部忘れるって・・・」

「全部?」

「そうだよ」

「お父とお母の事、全部?」

「そうだよ」

「でも・・・楽しかったことも忘れてしまうんだよね?」

「・・・そうだよ」

「そっか・・・」


 童は少年の頭を優しく撫でながら話し続けた


「だから、ちゃんと見送ってあげようよ・・・

これが本当のお別れだから・・・」

「わかった」


 童は両腕で少年を後ろからぎゅっと抱きしめた。

童の優しい気持ちが伝わってくる感じがした。


「優しいんだね」

「は?バカか!師匠の邪魔をしないように押さえつけてるんじゃねーか!何もできない子分のくせに!!」


 顔を赤くしている童は少年が泣きながらも少し笑っていることを確かめて、

「師匠!お願いします!」

と叫んだ。

「心得た!」

 薬師は九字を切り太刀に力を込める。


「すまぬ・・・こうなると判っていたらお前を連れてくることはなかった・・・

またお前を泣かせることになってしまったな・・・

かけた情けが私の眼を曇らせた

私はお前に誓う

お前が背負う全てのとがはこの私が引き受ける!」


 太刀を鞘から引き抜くと波紋から怪しい光が蛇のようにうねりながら広がっていく。

少しづつ近づいてくる村人たちに語りかけるように薬師は呪言じゅごんを唱えた。


「かつては人であった魂たちよ

哀れにも怪異に喰われし魂たちよ

只今をもってお前たちの呪縛を解き放ち

魂を浄化してご覧に入れよう

いざ、御覧候ごらんそうらえ!」


 太刀から光が広がり村を覆う。

村の住人たち-であった怪異たちは光に飲み込まれて消えていく。


 光の中心にいた少年の前にひと組の夫婦が立っていた。

先程までの弱々しい姿ではなくまるで生き生きとした姿であった。


「お父、お母・・・」


 二人は少年に優しく微笑みかけていた。

声は聞こえないが、少年は自分の名前を呼ばれた気がした。

「おかえり」

「ありがとう」

「さよなら」


 そう語りかけてくれていた、少年はそう思った。そう思いたかった。


 父と母は光の向こうへ歩いて行き、やがて見えなくなった。


 村を覆っていた光が消えたあと、目の前に残っていたのは朽ち果てた家の跡であった。

他の家も崩れ落ち、

おそらく何年も前に村の住人たちは怪異達に喰われてしまったのだろう。もうこの村から人の気配は感じることはなかった。

ただ荒涼とした風景が広がっていた。


 変わり果てた家を前にして少年は呆然と立ち尽くしていた。


 薬師は村を怪異を調べることにした。

少年は何も答えずその場所から離れようとしなかった。


「ちょっと、ついてきて!」

 童は少年の腕を掴んで走り出した。


 二人は村の中心に残っていた大きな樹の側に座った。

 童は少年に向かって少し照れくさそうに話しかけた。

「もう・・・我慢しなくていいから・・・」

「え?」

「今日は・・・思い切り泣いていいから」

「あ・・・」

「アタイはその辺にいるからさ・・・声・・・かけてって・・・」


 童は少年を一人にしておこうと立ちあがろうとしたのだが、少年が童の手を強く握っていたので離れることができなかった。


「そばにいて・・・」

「アタイにみっともないところ見せたくないだろ?」

「童には・・・もういっぱい見られてるし・・・それに」

「何?」

「童に・・・そばにいてほしいから・・・」

「なっ?!」


 少年は溢れてくる涙を抑えることができず大声で泣き始めた。

 童は力が抜けたようにその場に座り込んだ


「この弱虫・・・なんでそんなこと言うんだよアホ間抜けっ・・・アタイは・・・アンタをひとりにしてあげたかったのに・・・なんで・・・アタシまで泣いてるんだよ・・・なんでアンタにアタシが泣くところを見せなきゃいけないんだよ・・・このアホ間抜けぇぇぇぇぇッ!」


 まだ小さいふたりは肩を組み、頭を寄せ合いながら大声で泣き続けた。


 どれくらいの時間が経ったのか・・・

薬師がふたりの元へやってきた頃には陽がすっかり西の空に傾いていた。

 二人とも泣き疲れて体を寄せ合いながら眠っていた。

 薬師は起こそうかと思ったが思いとどまり、懐から式紙を一枚取り出しそれに向けて術式を唱えた。

式紙は消え、しばらくすると遠くから大きな鷲が飛んできた。


 大鷲は人より遥かに大きく降り立った影であたりが夜の様に真っ暗になった。

大鷲は羽を広げた姿でじっとしていたので、薬師は羽を橋のように渡ることでふたりをその大きな背中に載せることができた。


 大鷲は3人を乗せて大空にゆっくりと-子供達を起こさないよう静かに飛び立った。


 視界から村が見えなくなるほど飛び続けた頃


「師匠・・・」

「起きたか?」

 目を覚ました童は、自分たちが大鷲の背に乗っていることに気がついた。

「最初から載せてくれてたらよかったのに」

「こんな大事になるとは思わなかったんだよ。せっかく蝦蟇蠱に化粧してもらったんだが、これは帰ったら機嫌が悪くなりそうだ」

「師匠、今夜は説教だね」

「三人でな」

「え〜やだ〜っ!」


 二人はこの後の事を想像してクスクスと笑った。

「童、ようやく笑ったな」

「あ・・・」

「やはりお前を連れてきてよかった」


「師匠・・・」

「何だね」


 童は思い切って聞くことにした。

「最初から知ってたわけじゃないよね?あの村のこと・・・」

「異変に気づいたのは童の方が早かったのではないかな」

「あの時、アタイは『この子とあの村から離れろ』って師匠が言うのかと思った」

「・・・」

「でも言わなかった・・・この子の目の前で両親の変わり果てた姿を見せるのかよって思った」

「・・・」

「酷いことするんだなって・・・どうして?」


 しばらくの沈黙の後、薬師は口を開いた。


「あの場にいた時にお前もわかったであろう、喰われていたとしても魂は穢れたままあの場に留まっていた。呪縛から解放してやらねばこの子も、その父も母も救われぬと」

「・・・」

「記憶とは、たとえ私が名前を与え、あの村のことを全て忘れた後も・・・心の中には残っているはずだ、思い出す事の出来ぬ傷としてな・・・」


 童は大鷲が向かう先をずっと眺めいていたが、


「師匠、この子泣き虫で頼りないけど、アタイが守ってみせる、守れるくらいに強くなる」

「そうか、それは頼もしいな」

「アタイの一の子分だからね、親分が守ってやらないと、だね」

「あてにしているぞ」

「うん」


 大鷲は三人を乗せて西へと向かう。

命名を済ませたら少年にはサルタヒコの鍛錬が待ち受けている。


 この少年にどのような能力が備わっているのか、

鍛錬によって何か解ることはあるのか

そして巻物に描かれた光が意味することとは何か

そして見守刀の事・・・


 薬師は一つの因果が複雑に絡み合う様を想像していた。

 いつかそれはこの国全ての事象に繋がっていくのだと


 その答えはまだ彼らには手の届かないところにある。


第拾弍話 了


扉絵はこちら

https://kakuyomu.jp/users/eeyorejp/news/16818093074033832230

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