第拾壱話 〜旅立ち、そして次の街へ

 薬師一行が街に戻ってきたのはその日の夕刻になってからのことであった。

 神隠しにあっていた子供たちを家まで送り、

堤屋に顔を出して奉公の少年のこれからについても話を通さなければならなかった。

 一度命を落としてはいるが、それは隠し通さなければならない。

堤屋の倅にもそれについては死ぬまで口にさせてはならない。

 薬師は奉公の少年が無事助かった事だけを伝えた。

 さらに堤屋が口入れ屋に支払った前金をその証文と引き換えに支払った。


僅か一貫・・・

 それだけのために子を奉公に出さなければならなかったこの子の両親にもこの先給金と同じかそれ以上のものを送り続けなければならない。


「まぁ、それはなんとかなるだろう」

「師匠が妓楼に遊びに行くのを控えてくれたらね」

「童よ、私の楽しみを奪うつもりかい?」

「まぁ!あなたまだ女遊びに興じてるの?そろそろ落ち着いたかと思ったのに!」


 薬師に向かって河の童とウズメが辛辣な言葉を投げてくる。


「まぁまぁ・・・コイツが女ひとりで満足できるわけがないからなぁ、昔はもっとひどかったぜ!なんせ目をつけた女には片っ端から声を掛けてだな・・・」

「サル!良いのかその事をここで話しても?」

「あらぁ?聞き捨てならないわね、その辺詳しくきかせていただこうかしら、あなた?」

「いや、俺はお前一筋だから!」


 奉公人の少年が新しく加わることになったので街の酒場でささやかな歓迎の宴、

 今までもてなしをうけることなど一度もなかった少年にとってはなんとも落ち着かない場ではあったが、

 みんなからサルと呼ばれているサルタヒコと言う大男がが隣に座ってくれていたので少し落ち着いてきたところであった。


 サルタヒコとウズメは仲の良い夫婦のようだ。

河の童は同い年くらいに見える。

童は少年とは目を合わせようとせずひたすら目の前のご馳走を食べている。


 薬師は・・・そんな彼らを見ながら会話と酒を楽しんでいる。


「アンタも食べなよ、アタイらは酒が飲めないんだから。食べなきゃ勿体無いよ、師匠の奢りなんだから」

 大人たちが盛り上がっている中、ようやく声をかけてきた童が少し不機嫌そうに見えたので少年は話しかけてみた。


「師匠・・・と、どのくらい一緒に旅をしてるの?」

「もう忘れた、ずーっと昔から・・・」

「お里には帰ったことあるの?」

「『河の民の里』のこと?」

「河の民・・・そう、親とか親戚がいるんじゃ・・・」

「親はアタイが小さい頃に死んだ、ほかにあてもなくて、長老に育ててもらった。だから家族のことなんて覚えてない・・・思い出したくも・・・」

「ごめん・・・」


聞かなければよかった、

少年と童の間に微妙な空気が漂う。


「アンタのせいじゃないし、小さい頃の話だよ」


 そう言って童は運ばれた胡麻饅頭を頬張った。


少年も饅頭を食べようと口にしたのだが、

「なぁ坊主!明日からこのサルタヒコ様がお前さんを鍛えてやるから覚悟するんだぞ!」

と笑いながら話すサルタヒコに背中をバン!と叩かれたので頬張った饅頭を吐き出しそうになった。


「何その顔!真っ赤っか!」

そう言って童は少年の顔を見ながら笑った。

少年も童の笑い顔を初めて見たのでつられて笑った。

2人の笑い顔に大人たちも大声で笑い出した。


 そうして歓迎の宴は幕を閉じた。

----------

 堤屋の女房に紹介してもらった宿に向かう途中

「相棒、蝦蟇蠱がまこがきたぞ」

とサルタヒコが薬師に伝えた。

「そうか、じゃぁみんな先に宿に帰っておいてくれ」

「げっ?師匠・・・まさか蝦蟇蠱と?」

「人に会いに行くだけだよ」

「本当かなぁ」

「なら、一緒にくるかい?」

「お断り!ゲロガマ子と楽しんできなよ」


宿までの案内はサルタヒコとウズメに任せて薬師はみんなと反対方向の妓楼へと向かった。


 妓楼の入り口に黒い服を着た禿のような髪型の少女が立っていた。


「師匠、来たけど・・・ここ、何?」

「妓楼だ」

「妓楼って、何?」

「男と女が・・・あれだ・・・」

「ヤル処?」


 薬師が言葉を選んでいると蝦蟇蠱がまこはあっさりと言ってのけた。


「とうとう師匠も私の魅力に気がついたか」

「阿呆、人に会いに行くだけだ」

「なんじゃ、つまらぬ・・・帰る」

「お前にゆかりのある者に会いに行くのだ」

「ゆかり・・・?」

「覚えてはおらんだろうが」

「ゆかりに会いに行くのか?」

「ゆかりではない、行くぞ」


 話が終わりそうにないので薬師は蝦蟇蠱の手をとって先日の「狐狸庵」へと向かった。

 人混みに紛れながら薬師は蝦蟇蠱を術で隠した。


 妓夫(この男、元は狸である)に声をかけ、狐薊に声かけをしてもらう。

 揚屋あげやではなく今回は狐薊の部屋に案内をしてもらった。


(やはり覚えていない様だな)

(初めて・・・だと思う)

(縁を結んだ時に人としての記憶は失っているからな)

(・・・)


 狐薊の部屋で主が戻ってくるまでの間が長く感じられた。


襖の向こうから畳と衣装が擦れる音がする。

太夫・狐薊が帰ってきたのだ。


「薬師様・・・」

「太夫・・・」

「今宵は揚屋でお待ちになっては頂けなかったのですね」

「今日は用があってきたのでな」

「そうでしたか・・・」

 太夫は少し残念そうであった。


「この前、太夫が話していたいなくなったという娘の事だが」

「まさか・・・見つかったんですか?」

「実は、故あって行動を共にしている者に心当たりがあってな、今宵は連れて参った」

「ここに?」


 太夫は辺りを見回すが二人の他には誰も見当たらない。


「太夫・・・少し、目を閉じてもらえるか」

「は、はい・・・」


 しばらくの間太夫は目を閉じていた。

そして・・・


「目を開けてくれ」

 言われるまま目を開けた太夫の目に入ってきたのは、蝦蟇蠱が深く頭を下げている姿であった。


「頭をあげなさい」

 薬師の言葉に従う様に頭をゆっくりとあげる。

「!」

「この娘は昔この妓楼に売られてきたのだ。太夫が話した通りここを抜け出し、言葉では言い尽くせない様辛い思いの末に我らと縁があってな」

「痣が・・・」

 顔は生き様によってその相が変わる、だが体に残された痣は残っているはずだ。

「痣を見せてくれないか?」


 そう言われて蝦蟇蠱は服の襟を広げ、胸元を太夫に見せた。

胸元に黒く残る大きな痣・・・太夫の記憶通りであった。


「あなたが・・・あや・・・」

「太夫!長い間の不義理、申し訳ございませんでした。

訳あってその名前は捨てました。

今の名前は『蝦蟇蠱がまこ』と申します」


「蝦蟇蠱・・・薬師様、やはりこの子は・・・」

「やはり玉藻殿には、おわかりであったか・・・」

「はい・・・」


 薬師はその昔『玉藻』と呼ばれていた九尾の狐に蝦蟇蠱がここを去ってからの事を話すことにした。

蝦蟇蠱が失った記憶の全てを伝える様に、


 泣きながら薬師の話を聞き終えた太夫は、暫く涙を止めることはできなかったが、


「こうやってもう一度あなたの顔を見ることができただけでも神様に感謝しなければ・・・」


 太夫は何度も薬師に感謝の言葉を伝え、別れ際


「東国で再び怪異がございましたら薬師様にお伝えしたいと考えております」


「ではこれを」


 薬師は小箱に入った紙片を太夫に渡した。


「これは式神です。何かありましたらこれに念じて宙に飛ばしてください。立ち所に私の元に届きますので」


「これがあれば・・・あなた様とまだ繋がっていることができるのですね・・・」


蝦蟇蠱はただならぬ空気に気づいたのか


「では太夫、これで・・・」


 そう言って薬師と急いでその場を離れようとした。

慌ただしい様に挨拶をして「狐狸庵」を離れる二人


「そう、あの子・・・薬師様が・・・」

 蝦蟇蠱の想いを察しながら太夫は離れていくふたりの背中が見えなくなるまでずっと見送っていた。

----------

「で、あの女の人、誰?」

「太夫の話た通りだ、お前が人間だった時に・・・」

「したの?」

「何をだ?!」

「妓楼ってそういう場所でしょ?」

「・・・」

「助平」

「こら、蝦蟇蠱!」

「これ、都から預かってきた。私、一人で宿に帰る。童と抱き合って寝る。師匠は一人寂しく寝ながら枕を濡らせ」


 京都からの書状を押し付けて蝦蟇蠱は走って帰って行った。


 薬師は書状を懐にしまい込んで夜の街をゆっくりと歩いていた。

----------

 次の朝、

 日が昇るにはまだ早いのに少年は寝苦しさを感じて目を覚ました。


 左の手が重い。

右手は動かせるのに左手は何かに押さえつけられている様な感じがする。

 目がようやく暗さに慣れてきた。

左の違和感に目をやると誰かが真横で少年の左腕にしがみつく様な姿で眠っていた。


 背格好は同じくらい、黒い髪からいい匂いがする。

顔が近付いてくる。

相手の吐息が顔に当たってくすぐったい。


「お父、お母・・・」

泣いている様な声が相手の唇から伝わってくる。

だんだん、だんだん・・・

 河の童だ!

 少年が顔を背けようとして慌てて体を動かしたので童が目を覚ました。


「な・・・なんでアン・・・」

「シーっ!」


 少年はみんなが目を覚ますからと相手の口を塞いだが・・・

「モグモグモグモグ・・・」

「君が僕とサルタヒコさんが寝てる部屋に入ってきたんだよ!」

「ファっ!?」

童が反対の方に目をやると、確かに大男がいびきをかきながら眠っていた


「あ・・・ごめん・・・」

「いや、別に・・・」


「今日から特訓だぞぉ〜覚悟しとけよぉぉぉぉッ!」


 サルタヒコが寝ぼけたまま寝返りを打ったのでふたりは目を合わせてお互いのビックリした顔を見て

クスクスと笑っていた。


 襖が開いて誰かが入ってきた。


「男衆、寝ているところすまんがここに泣き虫童が来ているなんてことはないと思うんだが来ていないか?・・・と思ったら・・・いた」


「が・ま・こ?」

「すまなかった」

「いやいやいや何もないから勘違いしないで!」

「その様を見て何を勘違いというのか半刻問い詰めても良いか?」

「へ?」


 童は少年の左腕に抱きついて体を密着させていた。


「お楽しみだった様だな、童」

「誤解だってば!」

「心配するな、私は口が固い。それも童のこれからの行い次第だな」

「どういうこと?」


 童は蝦蟇蠱を睨みつけた。


「たいしたことではない。私はお前がいつも買い揃えておる飴を所望する」

「そんなのでいいの?」

「どうせ寝ぼけた童が便所の帰りに部屋を間違えたんじゃろ、話を広げても喜ぶのはあの犬神だけではないか」

「犬神って、仲間?」


童は少年の問いに黙って頷いた後


「わかった。いちばんのお気に入りの飴をあげるよ。そのかわり・・・」

「わかっておる、誰にもこの事は話さん。だが・・・」

「何?」

「お前を揶揄う種が見つかった事だし、この一座もおもしろきことになってきたのぉ!」

「悪趣味・・・」

蝦蟇蠱はふたりをニヤニヤと眺めながら


「少年、この童に物足りなくなったら私が相手をしてあげよう、大人の男にしてやるぞ」

「もういいから!部屋に戻るよゲロガマ子!」


 妬きもちか?などと話しながらふたりは部屋から出て行った。


 まだ左腕に童の腕の感覚が残っている。髪の匂いも、甘い吐息も、しがみついていた童の胸の感触も


 もう眠れそうにないと少年は諦めて起きることにした。


 冷たい朝の空気が肌に染みる。

この風景も次に見るときは違うものに見えるのか、と考えながら少年は旅の支度をする。

 とは言ってもたいしたものは持ち合わせておらず、ウズメたちが用意してくれた風呂敷一つ分くらいの荷物と薬師から与えられた見守刀「蛇紋様蓬莱丸」だけである。


 しばらくすると皆が起きてきた。朝食あさげの匂いがしてくる。

 腹が減る・・・生きている様に思うが元の体は命が尽きている。魂を繋ぎ止めているのは大蛇が施した孤独としての力と童が与えてくれた宝玉の力だ。


「次の仕事だが・・・」

食べながらではあるが、みんな薬師の話を耳を向けている。

飛鳥京あすかのみやだ」

「うわっ!遠いなぁ・・・」

「二日で着く」

「やっぱり・・・アンタ初めてだけど覚悟しなよ、飛鳥に着く頃には何も食えなくなるくらいボロボロになってるから」

「そうなる前に俺が道中で鍛えてやるから着く頃には見間違えるくらいの筋骨隆々間違いなしだ」

「サル、やめて筋肉だらけなんて見たくもないから」

 サルタヒコは笑っていたが童はよほど「がたいのいい男」が苦手らしい。


「まぁ、童ちゃん、男はやっぱり強くなきゃ。君も強くなって童ちゃんを守らなきゃ、ね?」

「え?」

 童は蝦蟇蠱をジロッと睨んだが我関せずといった感じで首を横に振ってきた。

「そうだな、年恰好も似ているしいい組み合わせになるだろう。

童、この子の世話を頼むぞ」

「なっ?!」

「少年、よかったな。童は面倒見が良いからな」

「なんでアタシがコイツの面倒見なきゃならないの?」

「おや、嫌なのか?なら私が面倒を見てやる。文字通り手取り足取りじゃ。夜の方もしっかり鍛えて・・・」


「わかったわよ!私がコイツの面倒見させていただきます!ゲロガマ子に任せてたら女の敵を育てるだけじゃない!」


「童、後で説教・・・と言いたいところだが、今日は許す、今日の私が寛容でよかったな童?」


「ありがとうございますゲロ・・・蝦蟇蠱姉さん!」


 童は朝食の間中蝦蟇蠱を睨みつけながら食べていた。


 全員の旅の支度が整い、薬師、河の童、蝦蟇蠱、サルタヒコ、そして新しく一座の一員となった少年は次の目的地である飛鳥京あすかのみやへと向かうことになった。


 ウズメは途中で別れ住まいのある伊勢に向かうことになる。


「この後この子の里に向かうのでお前たちは先に飛鳥京に向かっていてくれ。どうせ追いつく」


一座は街を出ると、飛鳥へ向かうサルタヒコ達と少年の里へ向かう薬師の二手に分かれた。


 大蛇によって命を失い蠱毒として生きることを選んだこの少年。


後に龍を司る神となるこの少年の運命を知るものはまだいない。


第拾壱話 了

第拾弍話へ続く

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