第13話 目が離せない婚約者(アンディ視点)

「……身体が覚えていたみたいです」


 目の前の彼女も、驚いたように自身の手を見つめ、答えた。

 俺は彼女が記憶を取り戻したのではないかと、一瞬焦った。


(何を焦る必要がある!? 記憶を取り戻したほうが、好都合だろう!)


 自身の考えに驚き、言い聞かす。


「あの、それで、お身体は何ともないですか?」

「あ、ああ……」


 心配そうにこちらを見る彼女に我に返る。

 治癒魔法は悪い物ではない。それなのに不安そうな彼女の瞳に心がざわついた。


「大丈夫だ、ほら――」


 元気な姿を見せようとして、自身の変化に気付く。

 それは、まだ父の下に付いていたころの傷。自身が未熟だったときを戒めるかのような古傷。


「無い……」


 傷一つない綺麗な腕を見渡す。


「どうかされたのですか!?」



 顔色を変えた俺に、リリーの顔が青くなった。


『私の婚約者なら、その傷は隠してくださいね? 騎士団長が過去でも傷を負わされたなんて、恥ずかしいもの』


 そう蔑みながら、彼女は一度も俺の傷を癒そうとはしなかった。

 目の前で俺を心配そうに見つめている彼女とは、まるで別人だ。


(俺も、治す気はなかったんだがな)


 今にも泣きそうな表情のリリーにふっと笑みがこぼれる。


「君が俺の古傷を治してくれたんだ」

「本当ですか!? 良かったです……!」


 リリーが安心したように表情を崩す。


(本気で俺を心配して、喜んで……?)


 急激に恥ずかしくなった。

 手で自身の顔を覆い、隠す。


「アンディ様!? やっぱり痛かったりとか、弊害が!?」

「違う……ありがとう、リリー」


 目の前で表情をコロコロ変えるリリーに、胸の中から感情が湧き上がり、俺は頭を彼女の肩に乗せた。


「アンディ様?」


 彼女の身体が強張るのがわかった。

 俺たちは婚約しているが、互いに触れ合ったことはない。


(思えば、彼女を抱き上げたときも顔を真っ赤にしていたな)


 耳を真っ赤にし、いじらしい彼女に、持ってはいけない感情が俺を支配していく。


「……これで治療院の人たちを救えますかね?」

「ああ。君ならきっとできる」


 自信なさげな彼女の背中を押すように答えた。

 ――――彼女は変わった。

 記憶をなくし、まるで聖女が憑りついたようだ。


(それでも、彼女は彼女だ)


 リリーのしてきたことは、決して許されることではない。

 でも彼女にだってやり直す機会があって良いと思う。


(彼女ほどの力があって、それを国のために使おうというのだ)

「ありがとうございます、アンディ様」


 穏やかに礼を言う彼女に、俺も心の中で礼を言った。


「リリー、俺が最後まで見届けてやる」


 顔を上げ、目を見て言えば、彼女は寂しそうに笑った。




「また婚約者殿のところですか」


 騎士団に戻ると、ライリーが俺の執務室で待ち構えていた。


「団長、あまり深入りして取り込まれませんよう」

「わかっている! 彼女が記憶を取り戻したとき側にいたほうが、都合がいいだろう!」


 ライリーの苦言に、つい苛立って答えてしまった。

 驚き、目を点にするライリーに、俺は咳払いをして続けた。


「リリーは今日、使用人たちと同じテーブルで楽しそうに食事をしていた」

「えっ‼」

「記憶は戻らないが、治癒魔法は身体に染み付いていたらしく、俺の古傷を治してみせた」

「ええ⁉」

「そのあと、メイドの身体の傷も治していた」

「ええええ⁉」


 リリーは俺の古傷を治した後、すぐにアネッタの元へ走って行った。

 アネッタのムチによる傷を治してやりたいと思っていたらしい。

 アネッタは涙ながらに礼を言っていたが、リリーはずっと彼女に謝っていた。


「……明日から外れの治療院に行くらしい」

「ちょ、ちょ、ちょ、待ってください、団長‼ どなたのお話をされているのですか⁉」


 使用人たちを慈しむ彼女を思い出していると、興奮したライリーの顔が近くにあった。


「……リリーの話をしている」

「最近、婚約者殿のことを悪女とは呼ばないのですね」


 ムッとした俺の顔を見て、ライリーはジト目で言った。


「今の彼女は記憶を無くしている。それに、今の行いを悪女としてくくるのは……」

「あー、はい! わかりました! すみませんでした!」


 ライリーに抗議するように前のめりになれば、彼から話を遮られる。


「団長、今の婚約者殿が本当に記憶を無くし、本気で償いをしようとしていたとして。で? 団長はどうなさるのですか?」

「どうとは?」


 眉根を寄せたライリーが俺をじっと見て言った。


「団長は、まだ彼女を捕まえる気はありますか?」

「……! 当たり前だ!」


 一瞬息を呑み、それでも即答した。


「それなら良かったです。彼女がいくら罪を償おうが、罪人です。これ以上の情をお持ちにならないよう……。婚約破棄、なさるのでしょう?」


 ライリーの問に俺は即答できなかった。


「……監視、代わりましょうか?」


 俺の様子を眉尻を下げて提案するライリーに、俺は顔を上げて言った。


「いや、最後まで見守ると彼女と約束したからな。お前が心配することはない。リリーは俺の手で捕らえる」

「そうですか。それなら私は何も言いません。団長が苦労されてきた日々をお忘れになりませんよう……」

「ああ」


 ライリーは俺の返事を聞くと、部屋を出て行った。

 俺の父は、リリーの猫にすっかり騙されていた。ライリーは俺もそうなるのではと、心配しているのだろう。


(彼女の手に縄をかけるのは俺だ)


 他の誰にも任せられない。

 それが執念によるものなのか、リリーとの約束だからなのか、わからない。


「リリー……」


 最後まで見届けると最初に言ったとき、彼女は嬉しそうだった。しかし今日の彼女は別れを惜しむかのように寂しそうな表情を見せた。


「……これが演技だったら恐ろしいな」


 目が離せない、俺の婚約者。

 俺は父のように騙されてなどいない。彼女は本当に変わった。でも、遅い。


「せめて、俺の手で牢に送ってやる」


 脳裏に焼き付く彼女の穏やかな笑顔をかき消すように、俺は自身の拳を力いっぱい握りしめた。

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